Archive for the 'フリートーク' Category

無友力の高いWEBサービス

『「無友力(むゆうりょく)」という言葉を流行らせようと思います』

ライトノベル作家の森田季節氏が無友力なる言葉を提唱しているtweetを見かけた。
いかに友人が少ないか。通常は多ければ多いほど良いとされる友人数の逆をして、友人の少なさとそれに伴う「何か」の強さ(自立性とかそんなの)を肯定的にとらえ評価するための指針なんだそうな。なんというか、この、実にそそられるものがある単語ではないだろうか。
ぶっちゃけ「非コミュニケーション」の事であり、コミュニケーション力の低い事を自虐的かつ憂い顔もなく語っているだけなのだけれども、恋愛至上主義と同じくコミュニティー至上主義になりがちな風潮においてちょっと一石を投じる可能性はないだろうか。なんて言ってみる。
この「友達が居ない」とか「非コミュニティー体質」の事を最近のコメディ界隈では「残念」と称して、ラノベや漫画での1ジャンル(属性か?)として定着しつつある。平坂読氏の『僕は友達が少ない』なんてのはタイトルまんまだし、瀬那和章氏の『レンタル・フルムーン』も帯に「残念なキャラたち」とこき下ろしていた。『レンタル~』の方は人付き合いが下手と同時に、恋愛に対して鈍感な主人公とヒロイン(両方)というダブルミーニングではあったのだけれども。
そんな感じでコメディ方面ではすっかり「変態系」から「残念系」へシフトしたのではないかと見ている今日この頃。
こういった「つきあい下手」が「残念」と称してステートにして笑えるネタに転じているのを見て、ああこれがまた新しいlifestyleとして定着したのだなと見る。その昔、侮蔑用語だった「オタク」が自虐ネタへ転じてその後ひとつのスタイルになったのと同じである。最近だと恋愛至上主義との決別を「非モテ」と自虐しステート化していたのが記憶に新しい。
そこにはもう非難的な意味は含まれていないのだ。
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次のダウンサイジングは大きな変革となるか

2010年の年始にあたり、当Blogの過去記事を見返してみたりしていた。
その中で、2005年1月に『ソフトウェアと大量消費の時代』という記事を書いているのを見つけた。これは「00年代後半はこうなる!」といった予測記事で、実際その様になったのかを比較しながら読み返すとなかなかに楽しい。記事中ではソフトウェアと書いているけれども、これはコンピュータープログラムのことだけではなくてコンテンツや情報といったデータもひっくるめての表現ですな。
じゃあ2010年から5年はどのようなコンピューティングワールドになるのかといったことを考えてみることにした。また5年後に読んで笑えるように。

90年代はパーソナルコンピューティングの時代で、00年代はネットワークコンピューティングの時代だったのではないかと思う。インターネットが発展しネットワーク上で様々なものが提供されるようになって、私たちの生活は驚いても良いくらい変化した。冷静に振り返ると「さすが21世紀」と言えるようなことが多々あったりもする。
じゃあ10年代は変化するのかと聞かれたら、やっぱり劇的な変化が起こるような気がしている。ただ、その際個人におけるコンピューティングというものが大きく変化して何か別なものになりうるくらいの所にいるんじゃないかというのが今のところの私の見解である。
そのパラダイムシフトといっても良いくらい大きな変化がコンピューティングに訪れたとして、それが良いことか悪いことかはわからない。エンジニアとしてその変革にがんばってついて行くか、別物でおもしろくないからと割り切って旧来のコンピューティングで楽しんでいくのか、見極めをしなくてはいけない時が近づいている。
これからのコンピューティングに何が起こるのかというと「ダウンサイジングの波」ではないかと考えている。
「ダウンサイジング」というとこれまでもあった事だし耳慣れた、あるいは使い古された言葉だと思われるかもしれない。だが過去のダウンサイジングでどれだけコンピューティングが変化したかを振り返ると、次の波に対しても身を固くして構えざるをえないのではないだろうか。

平たくいうと「PCが主役の時代は終わりPD(ポータブルデバイス)の時代になる」といったところ。

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印税70%の世界、ほか

もちょっと頭の中で固めることができてから書こうかと思っていたのだけれども、電子出版について今あれこれと語るのが熱いみたいなので時期を逃さぬようメモレベルで書いておく。

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2010年1月21日に Amazon が Kindle Digital Text Platform の印税を70%まで引き上げるとの発表を行った(cnetの記事)。つまり Amazon が販売店として手数料30%をいただいて、あとは著者(掲載者)の取り分になりますよ、というお話。
この「印税70%」という数字が衝撃的だったらしく、各所で電子書籍と日本の有り様について語られ始めている。
問題はその70%という数字がどれくらい衝撃的なのかなのだけれども、私は何の感慨もなく聞いていた。なんでか。その世界は既に存在しているからである。
なにかというと、同人誌のダウンロード販売代行のこと。DLSiteとらのあなダウンロードストアメロンブックス.comやその他数十ある同人コンテンツのオンライン販売店。
これら同人コンテンツダウンロード販売サイトでの相場は手数料30%~40%が相場であり、その数字でかれこれ10年は運営されている。
当然ではあるが、紙の本を手にした方が嬉しいし、やはりイベント会場で作家から直に買えればもっとうれしい。けれども、なかなか手にする機会に会えない場合ダウンロード販売は強力な味方となりうる。それに、作家側から見ても印刷して紙の本をつくのには結構なお金がかかる。実際に本を売っても差額での利益は少ないものだったりもする。けど、ダウンロード販売なら手数料以外はほとんどかからないので率は良いし在庫切れもない。
なので、この同人コンテンツダウンロード販売は次世代オンライン商法のテストモデルとなりうるとして長らく注目し、利用してきた。(単に好きなだけだろというツッコミは置いておく)
もちろん、同人コンテンツの世界では作者が編集、装丁、デザインまですべてひとりで行うことが条件である。逆にそれができるのならば、印税70%の世界は既に存在しているのである。
また、逆に編集やデザインを他に委譲するこれまでの出版形態も残るだろうし、残ってもらわないとデザインワークができない人は困ることになるだろうね。DTPワークをすべて作者が行うことで、電子書籍の多くがへっぽこな装丁になってしまうという指摘はある意味正しいと思う。

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漫画雑誌は連載という形式で掲載し、ある程度まとまったら単行本を出すというモデルを続けてきた。
それにより雑誌掲載時は安めの原稿料しかもらえないけれども、単行本がでるとまとまったお金が入ってくることで作家はなんとかやっていけるとかいう微妙なモデルを作り出している。
それを逆手にとってというか、雑誌を持たないモデルも確立し始めてきた。つまり、無料のWEBコミックとして連載し人気があった漫画は単行本をだしそちらでしっかり儲けるというビジネスである。
FlexComixWEBコミックハイガンガンONLINEなどがそれらにあたる。
ガンガンONLINEはガンガンノベルズというラノベレーベルのカタパルトにもなっているから、もう少しいろいろなものを巻き込んでいる感があるかな。
私もWEBコミックハイで連載している「つぐもも」とか大好きで読んでいるんだけれども、単行本でたらやっぱり買っちゃうしね。この「つぐもも」の作者である浜田よしかづ氏は自分の執筆しているところ、つまり仕事風景をスティッカムでライブ配信していることでも話題になっている。
また、TVアニメという大きな広告をぶちあげて単行本の売上を伸ばしそこで稼ぐといったモデルもあるようだ。そのものじゃなくて、もう一つ大きな枠で全体的に稼ぐというか、これまでとはちがったマネーフローで稼ぐといった感じになりつつあるのかもしれない。

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同人誌即売会というと、昔はサークルのところに漫画出版者が名刺を持って訪れて周り新規の契約作家を探し回っていたという。でもここ最近は出版社各位そんな余裕はなくなり、編集もフリーの漫画編集会社が代理で受け持つことが多くなったとかでさっぱり数が減っていたとか。
その代わり昨年末名刺を持って絨毯爆撃をかましてたのが、携帯電話向け漫画配信を行っている出版社だったそうな。
携帯電話向け漫画配信というと大多数が女性向けのアダルトな方面だったのだけれども、ソッチ系が飽和かつ縮小を始めたのか一斉に「男性向け創作のブランドを新規に立ち上げそちらにも力を入れていきます」と言い始めたとか。
どうにも景気のよい話ではなく、原稿料がどんどん値下げされており1ページ3000円というのも本当の話らしい。既にある同人原稿を流すだけならともかく、そのために新規で書いていたのでは生活ができないレベル。おまけに、会社都合で締めは半年毎の年2回支払いで、大量に売れた時のインセンティブは数十万ダウンロード以上とかいう話も聞く。
まあすべての出版社がそうというわけでもなく、逆に出版社によっててんでバラバラというから携帯電話というメディアにおける相場というものが確立しないうちに進行していったのだろう。
ぜーんぶ伝聞なので間違った情報もあるかもしれないけれども、一応携帯電話サイトにてエロ漫画を今売っている友人から聞いたというか質問して裏をとった範囲。

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その昔、MP3を利用しているだけで泥棒扱いされた時代があった。だいたい1997~1999年ごろ。
MP3はファイルサイズが小さく、ダウンロード可能なサイズ故不正アップロードやダウンロードに用いられたのである。なので、MP3で音楽を聞いている人=違法コピー利用者というレッテル張りがされていたのだな。ちゃんとCDを買って自分の所有物を私的利用のためにMP3に変換していても、そしてそれを配布せず厳重に手元で管理していても泥棒と同等に扱われていたのである。今でいうとiTunesでCDをリッピングしただけで犯罪者予備軍とされる感じ。
確かそんな頃に書いた記事があったなあと掘り返してみたら、1999年6月の記事であった。

今は、まだ混沌としていても音楽のネットワーク配信や MP3 といったフォーマットは確実に定着していくと思う。 (キリッ

などとカッコつけてるなー、当時の自分。
MP3はともかくとして、この時に本をスキャンして上げるのはなんで問題にならないんだろうということを疑問として書いている。きっと当時は問題にしていなかったのではなくて、問題だと認識すらできていなかったのだろうな。
音楽の方は先に問題視することができて、DRM化、DRMの敗北、オンラインショップ化とこの10年で歩んでくる事ができたのだと思う。それもこれも 2001年にiPodとiTunesが出てきて、2003年にiTunes Music Store が始まったからであろう。これらが成功しこれまでを反省することでようやく芽吹くことができた。
じゃあ電子書籍の方は?DRM化とDRMの敗北は既に味わっているか現在進行中なところで、携帯電話というゆりかごの中もそろそろ終焉だ。ちょいとスタートは遅かったけれどもようやく始まりだすのかもしれないね。



立体出力サービスふたたび

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3Dプリンターを試したいという好奇心で前回立体出力サービスを利用したものの、運送中に破損するという憂き目にあい若干の残念さを伴う結果になってしまった。
その結果をアイジェットさんに報告したところ「申し訳なかった、梱包を見直して再出力したものをお届けしたい」との申し出を受ける。えーべつにいーよー、とも思ったけれどもここで検討を重ねれば今後利用されるお客様が同様の破損被害に出会わなくなるよねということでご好意を受け再出力してもらうことにした次第。

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その再出力版が届いたよー、ということでドキドキの開封。
写真のような感じで梱包材が詰められているので、アイジェットさんを利用する際はご参考に。

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今回のキモは出力品を保護枠でくるんで固定する形での梱包。前回はフィギュアの自重によるたわみで折損してしまったので、それが起こらないための工夫。
面白いのが、この保護枠が3Dプリンターによる立体出力で作られていること。もちろん、元のモデルデータを利用してフィギュアの形にそった型になっている。
つまり彼らは問題を克服するために、自分たちが提供しているサービスを駆使する形で解決したのである。すばらしい。
この保護枠出力の手間と経費がどれくらいかかるかは見当つかないけれども、作戦としては有効だ。確かに一点物を作る機械だからそれを使うというのは理にかなっている気はする。

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事の発端が「3Dプリンターを試してみたい」というものだから、むしろこの保護枠の方が興味津々だったりする。
いや、面白いわ。楽しませてもらいました。



好きなことだからこそお金にしないというのはどうか

誠 Biz.ID 「必要なのは才能発掘の次のステップ」――日本のアニメ業界に足りないもの
この記事を読んでなんとなく思い出したこと。
単に思い出しただけだから関係無い話かもしれない。

以前、オープンソースライブラリ SDL ユーザーML のOFF会にお邪魔させてもらった事がある。オープンソース系方面においてゴリゴリの趣味でゲームを作って楽しんでいる方々がいっぱいな集い。OFFというよりミニ成果発表会。
学生・研究生と本職・元本職のゲーム制作者とその他が 1:1:1 くらいの割合だったのかな?本職も少なくなかったということで。仕事とは別に趣味でもってゲームを作りたいという筋金入りまくった人たちだと思っておくれ。
そんな中にえらく若くて有望な学生さんがいて、ゲームとして完成させたものはないけれどもこの歳でここまでできるのは凄いよキミと皆一目置いていた。その子に対して皆が口をそろえてかけた言葉が
「そこまでできるなら絶対に『ゲーム会社には入らない方が良い』、個人で続けなさい」
といったもの。もちろんその場では私もこの言葉には同意していた。
企業に入って『商品』をつくるとなると、いかに早く安く作るかだけが問われて技術や才能を振るいようがない。特に、市場が自転車操業になっている状態では言われたことをやるだけだし、ろくな事をさせてもらえない。そんな意味の言葉。

しかし、冷静に考えると妙な話である。才能がある人間に対し「プロにはなるな」と言っているのだから。適当な仕事をして生活するだけのお金を稼ぎつつ、才能は個人趣味で伸ばせというのは本当に適切なのだろうか。
このへん、開発職が職人色や芸術色を淡くもっている故のジレンマなのかもしれない。
でも、企業に属して沢山のお金と人を費やさないと作れない類のものもある。そういうのが作りたいなら会社に入って作るしかない。逆に言うとそうでなく個人で作れる何かであったら、組織は足かせになって個人の才を殺してしまいかねないから趣味でやっていた方が良いのかもしれない。
そんな風に「個人でできるから企業には入らず趣味でやります」という考えが主流になったら企業と市場を中心とした「業界」というものにとってはもの凄い痛手かもしらん。才能がある人ほど業界にこなくなるのだから。

なぜ、会社や仕事において上の地位を目指すのかと考えると、そうすることが自己表現の形、自己のアピールだったからなんじゃないかなあ。生活の他は仕事しか無く、個人研究や趣味というものをイメージすることができない種類の人は、仕事=自己表現だからそれに邁進できるのだろう。
しかし、ネットワーク等テクノロジーの発展で時代は変わり様々な形で自己表現を行う事ができるようになった。やりたいことを仕事という形にしなくても表現ができるのではないか。
才能を開花させても仕事にはする気がない。そういうのもアリか。



メーカーのサポートセンターが苦手

手持ちのノートPCのひとつでHDDがBIOSレベルで認識されなくなり、修理に出すことにした。
分解しづらいノートタイプというのと、保証期間内なのでうまいこといかないかと思って自分でばらすのではなく、今回はメーカーサポートを利用する事にした。まあ、それ以前に自分でばらすのも困難な奴だったし。最近はMacintosh を筆頭に分解しづらいのが増えているので息苦しくなってきたよなあとも思う。

メーカーに修理を頼みたい場合、大抵はサポートセンターに電話して引き取ってもらうか、サポートに持ちこんで故障状況を説明する必要がある。しかし、このサポートセンターがどうにも苦手なのだ。
なぜかというと、全ての顧客に対応できるレベルで応答してくるからに他ならない。
つまり、サポートセンターは私を徹底的に初心者扱いしてくる。まわりくどい。

ソフトウェアの不具合や、操作的な不具合は自分でなんとかするので、サポートセンターを利用するときはハードウェアの故障と完全に問題切り分けができている時になる。自分じゃ直せないからハードウェア的に交換して直してくれ、といった状況しか存在しない。たぶん、ハードウェア的に修理もできない状況であると判断できたら修理依頼もせず涙をのんで破棄するであろう。
そのように、ハードウェアの故障だと明確にわかっているときにマニュアル対応されるのは苦痛なのである。
電源が入らないといっているのに「OSのバージョンはいくつですか」と聞いてくるのには苛立ちすら覚える。

別に今のサポートセンターが悪いというわけではなく、むしろ通常利用客にとっては必要なものであり丁寧に教えてくれているなあと素直に感心はする。

ただ上級者や同系列のプロフェッショナルにとってはまどろっこしいだけで、お互いの得になっていないんじゃないかと思う次第。
素人お断りで基本お金を払って直すだけとか、状況によってはユーザーの使い方を嗜める様な、そんな頑固職人みたいな上級者向けサポートは無いものかねえ。いまやメーカーでも修理することができなくて全取っ替えするしかない状況故に、ハード故障時の対応というのは難しい課題な気もする。



2010年はこんな萌え?

2010年明けましておめでとうございます。
毎年年明けには「今年はこんな萌えが来る」と根拠なく放談を続けている当ブログ。いいかげん「萌え」という言葉も古くなり00年代とともに捨てていきたいところですが何となく恒例になっているので今年もやる気なく書いていきますよ-。

2009年の放談を振り返ると「コミュニケーション構築に向けた、名刺としての萌え要素」とか書いていた。俺の嫁を宣言することでわかり合える猛者たちといった事なんだけれども、ラブプラスを取り巻いていた熱狂をみるとあながち外れてはいなかったのかなーとも思う。
ま、そんな事はさておき、今年を占ってみよう。

ここしばらくはコミュニケーションとキャラクターの関係について考える事が多かった。コミュニケートの手段としてキャラクターを用いたり、キャラクターを軸に場を作りそこでコミュニケートをする様になると見ていた。
そういった世界はおおよそ構築されたような気もするのだけれども、今年はそれらが拾い切れていない要素にスポットが当たるのではないかと見ている。
ズバリ言うと「個人の萌えという感情を定量化して比較、競争していく」という世界。俺の愛花に対する入れ込み具合を見よ、ワシが凛子のために書いたラブレターは108式まであるぞ、私は寧々さんとすでに300時間語らっています。とかそんな世界。
なんとなく今までそのように入れ込み具合を競うということはまれで、主にあったのは「いかに自分が壊れているか」といった表現であった。痛車とかはそういったオタクの(ちょっぴり自虐的な)表現から生まれたものじゃないかと思う。

痛車やディスプレイ前でのバースディケーキの例を出すまでもなくこれまでにもいかに壊れた表現ができるかといったことや、それほど自分はこのキャラが好きだという表現を我々はしてきた。
どうやってその表現をしていたかというと、誰が見ても敵わないと思ってしまう圧倒的な壊れっぷりを提示して叩き伏せるといったやりかたであった。これは表現のインフレを招きやすいし、高度になっていくと「どっちがすごいのか」といった判断がつかなくなっていく。
なので、これから出てくる萌え要素にはどれだけ萌えたかを数値化できることが求められていくのだと思う。
数値化、大事です。先ほどちらっと出てきた「プレイ時間」などが良い例。ほかにもキャラソンCDを100枚買うとかあったよね。そういった数値にすると、ヤムチャでは敵わないといったことが明確にわかるわけ。なので、最初からそういった数値化とセットになった萌えが提供されていくだろうと見ている次第。
ゲームだったらプレイ時間だけじゃなく、ゲーム内での実績システムみたいなのとか、お前あのキャラと何回コミュニケートしたとか。シスタープリンセスの前からあった誌上ゲームでのお気に入りキャラクターのお兄ちゃん数によるランキングとか、ああいうのをネットと絡めると今もっと面白くできるはず。

結局、そういった競争や比較をした事があまりないというのはどういう事かというと、キャラクターを愛でるといった行為はこれまで個人の範囲のみで行われてきたことである。そういった隙間をめざとく見つけた人は、他の人がギャルゲーをしている姿は意外におもしろいということがわかっていたりする。
ぶっちゃけていうと「みんながどの様にラブプラスをプレイしているのか見てみたい」といった事になる。そして、そういった事はオフ会などを通じてちょくちょく実現化されているようだ。
今のとこ互いの萌え度をぶつけ合うといった場はオフ会の様なリアル空間でしかやりにくいものとなっているのではないかと思う。しかし、その表現方法が確立すればネットワークを介して見せっこすることが可能になるはずなのである。
つまりはキャラクターに対する愛や入れ込みといった「プレイスタイル」を作品として提示し、それを元にPixivのように語り合うSNS空間、そしてそこで交わされるコミュニケートがより求められるのではないかという世界を見ている。
そして、すごい奴を見て自分の位置を確認するという作業のために必要なのは萌え度を表すスカウター、つまりは定量化でないかといった事につながるのである。
こう改めて書いてみると ai sp@ce が微妙に惜しいなあ。

ここ数年の繰り返しというか総括になってしまうんだけれども、ゲームやアニメといった商品によってトップダウンで与えられるキャラクターによる「萌え」というのが発端だったのだけれども、今はキャラクター単体があってもなんの価値も持たない様になってしまった。
萌えやキャラクターといったコンテンツが成功するには、ユーザー側で発展させ膨らませるという作業が必須であることが目に見えている。そういった状況なので、ユーザーがなにに飛びつくのかというのは制御が難しくなり、コンテンツフォルダーとしてはやりにくいところだと思う。場合によっては素人が描いた全くの落書きみたいなものがもてはやされるかもしれないのだから。
だからこそ、ユーザー側での祭りにフォーカスが当たるわけである。
ユーザーも与えられるだけ、消費するだけでは面白くないと感じている。だから、キャラクターに対する想いを動画作成に注ぎ込んだニコマスといったものなどが作り出されていく。
そういった、ファン活動という二次創作活動が加速するとどうなるかというと、次は二次創作者にスポットがあたりブランディングされていく。エンドユーザーそのものが注目されつつも、キャラクターという共通項を通じて好きな人たちがつながっている。
そういったコミュニティ構築がやりやすい「萌え」というのは、自己表現がやりやすいキャラクターもしくはコンテンツ、システムといったことであると纏められる。
ニコニコ動画「御三家」などと括られたアイマス・東方・ボカロはそれに必要な要素をバランスよく含んでいると見れるのではないだろうか。

消費だけでなく、表現ができないと今の「萌え」は楽しめなくなってきている。



CD-Rが読めなくなっていた

ちょうど10年前にデータを焼いたCD-Rが出てきた。
ディスクメディアはよっぽど几帳面に整理しないとどこに行ったかわからなくなりがちなのと、古いデータなので読めるうちにHDDに移しておこうということでコピーを開始する。
……うむむ、半分くらいデータがエラーで読めなかった。
まあ、CD-Rの耐用年数なんて5年から15年くらいとか言われていたしある程度覚悟はしていたけれども実際にこういう形で現実を見せられるとしょんぼりとしてしまうもんですな。他にもいっぱいあるディスクもこんな感じになっているんだろうなあ。

欲しかったデータは拾えたし、駄目になったデータはどうでも良いものだったから問題は無い感じだけれども。

なんのかんので一番楽なデータ取り回しは定期的に新しいHDDを買って、その都度コピーしていくことかなあ。
HDDだとクラッシュして一気にデータを失うこともままあるのだけれども、それを避ける意味でも定期的なお引っ越しをしていく感じで。



とあるアニオタのテレビ鑑賞環境、2009年度版

先日私が入居している賃貸住宅でアンテナ工事があり地上デジタル対応となった。2011年の地上アナログ停波まであと2年となったこともあり、流石にアクションを起こす必要があったらしい。
元々今年の春先に工事をする予定だったのだけれどもそれまでのアナログ宅内配線を利用してアンテナだけとっ換える作戦が失敗に終わり、アンテナ線を屋外引き回ししてアンテナ宅内のアンテナターミナル裏に穴を開けて配線するといったことをやらないといけなくなったらしい。3階建の小規模な賃貸なのだけれどもそれでもなんだか1週間近く電気屋さんがとんてんかんとんてんかんとやっていた。ご苦労様です。
地上デジタルのアンテナだけでこれだけの手間と時間と費用がかかるのかと改めて感心。

私個人は入居時にBフレッツの光ファイバを引かせてもらっているので、それを利用したスカパー!光を契約している。地上波放送はそのスカパー!光に含まれているので安定したテレビ視聴環境を一歩先に導入していた次第。
そんなこんなでここ2~3年ほど安定していた我が家のテレビアニメ鑑賞&エアチェック環境だが、環境や機器の変化で再考と導入検討をする必要がでてきたようだ。
案外わかりにくいエッジなテレビ事情。今回はそんなお話。
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無意識時の時間距離

なんの裏付けも無く思っただけの与太話。
作業中にテンポラリファイルとか、作業履歴のためにファイル名に今日の日付を含ませるのはみんな良くやることなんじゃないだろうか。
hoge090923.txt
とか、日に何度も更新しそうなときは、
hoge090923a.txt
とか。
このとき何となくつける日付が年を含めた6桁の人と、月日だけの4桁の人がいる様な気がする。なんとなくそう感じただけで統計資料は無し。
4桁でつけていると、数年後見返すことがあったときいつ作ったモノかわからなくて混乱するのが目に見えているので私は6桁派なのだけれども、そもそも4桁をつけるということはそんな先までそれが残るということを考慮していないもしくは考えつかないのだろうなあ。もちろん、ライフタイムが短いことが分かり切っているのでその程度で十分といった判断の結果かもしれない。
しかし、意外なモノが意外な時間残ったりするのでできるだけ先先を見て余裕のあるアクションをしたいものだ。

そういう意味では、6桁で日付をつけるのも100年前後経ったときに見ると混乱するだけのものとなってしまう。
遠い将来を意識していくために今後は8桁で日付を付けていこうか。
hoge20090923a.txt




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