ソフトウェアと大量消費の時代

忘れないように頭の中にあるものをメモ。

パーソナルコンピューターの使われ方として、業務の効率化が唱えられていたのは90年代までとされている。業務の効率化が中心だった時代から、メディアの取り込み、そしてコミュニケーションツールへの変貌といった流れが PC に対して生じてきた。
もちろんこれ以外にも早期から PC でゲームをする層とか、プロクリエイションツールを使うために PC を用いている層とかが存在しているけれども、そういった人たちは筋金入りで今後も大多数ではないながらも存続はしていくのではないかと思われる。

じゃあ PC でコミュニケーションなのか、というとそれは現在の立ち位置であって「これから」を見据える目ではない。
では00年後半は PC にとってなんの時代かと問われたら「消費の時代」ではないかということを予見したい。
ここしばらく、省エネルギーから始まって不景気突入と「節約節約」で世の中は流れてきた。一時期の「大量生産、大量消費」の時代は遥か過去のものになりつつある。確かにハードウェアに関しては今後も節約方針一辺倒であろう。
しかし、ソフトウェアについてはどうだろうか。
ここしばらくの萌芽を元に「ソフトウェアの大量消費」とその快楽を考えてみたい。

「大量消費」というものには様々な快楽が伴う。苦痛を伴わない消費はある種の娯楽と言っても良い。衝動買いとか無駄遣いなど、物品の購入はそれを所有する喜びとはまた別に「入手するプロセス」をも娯楽として見ているものである。

これまではコミュニケーションが娯楽であり、PC が担う重要な役割であった。
しかし、コミュニケーションを得るためにクリエイションをしなければならない場面というのが多々あり、クリエイションできるものがコミュニケーションという娯楽の中で力を持つ傾向があった。
絵が描ける曲が作れるといったコンテンツを作成できる能力だけではなく、WEB を作成できる能力とか、面白い Blog を書ける能力とかそういった事である。
しかし、大衆のほとんどにおいてはクリエイションが得意ではなく、できるだけクリエイションを行わずにコミュニケーションできるものに人が集まっていく。
または、クリエイションできる人のコンテンツを享受するといった徹底的な受け手側に回るといったスタンスに構え始める。
そういった「作り手」と「受け手」の線引きができてしまうということはあらゆるクリエイションをパーソナルの手に持ってきた PC の力を活かしてはいないため PC を道具にするクリエイターとしては大きな抵抗が生じるところではある。
そういった二極化を嘆くだけではなく、そういうものだと言うことで体制を確立して大量消費の時代に突入することこそがソフトウェアを産業、工業とし文化の中で確立していく手順なのではないだろうか。
つまり、それはソフトウェアが芸術である時代の終焉ということかもしれない。

では、ソフトウェアの消費とはどのようなものなのか。
単なるコンテンツの大量視聴とはまた違ったところにあるのではないかと思われる。
ある種象徴的なのが HDD レコーダの惨敗と、HDD+DVD のハイブリッドレコーダの隆盛といった状況である。どんどん録り貯めていって時間の空いている時に纏めて試聴する、そんなタイムマシンシフターとしての HDD レコーダは訴求力に欠けた。
実際に HDD+DVD ハイブリッドレコーダを購入した人間が HDD メインで使っているにもかかわらずである。
ポイントとしてお気に入りは DVD に焼いて残せるといったところにある。この残しておけていつでも観れるという安心感を買っているのではないだろうか。もっと極端になると HDD に録って貯めたものの観ない番組まで DVD に焼いて保存したりする。
将来見るだろうからという理由なのだが、実際にコンテンツを観なくてもそれを所有するだけで満足しているといった状況となっている。これこそ「大量消費」の先にある快楽ではないだろうか。
ソフトウェアの消費といっても単純にそのソフトウェアを正規利用(コンテンツならばそれを閲覧するとか)じゃなくても、ちょっと別な形で消費していることが興味深い。

コミュニケーションから消費への緩やかな流れとしては「本棚.org」の活況に注視したい。
「本棚.org」以前にも書評が行えたりお気に入りの本をお勧めしたりといったサイトがいくつも存在していた。だけれども「本棚.org」がそこにもたらしたものは他のサイトとはちょっと違うものであり、それこそがこれまでのサイト運営をしてきた私達には見えていないものだったのである。
「本棚.org」が他のサイトと違っていたところ、それは「書評を書かなくて良い」という単純窮まり無いその一点である。
書評がないとその所有者のパーソナリティが見えず面白くないだろうというのが、旧来のサイト的な考え方である。しかし、書評を書くにはそれなりの文才、クリエイションが必要であり、それは多くの人にとってはハードルとなるのだ。
「本棚.org」においては書籍の購入、所有といった「消費活動」をできるだけ少ない手順で PC 上に持ち込める。そしてクリエイション能力を伴うことなく、なんとなくコミュニケーションクラスタが発生していく。そこには消費するだけでコミュニケーションとなる奇妙な快楽が存在しているのである。
「本棚.org」では現実の書籍を題材としているため本という物質から完全に離れる事ができないが、これを無形のコンテンツにシフトしていくことで完全なるソフトウェア消費文化とそれが産み出す快楽へと発展する可能性がある。

PC を使ったソフトウェアの消費。なんとなく言葉だけで漠然としているけれどもどう言ったことが PC での快楽なのか、といったところから考えて行きたい。

「大量生産」「大量消費」の時代はいずれ自重による崩壊が訪れ、そののち適切な供給量と需要量が確立されていくのだろう。しかし、今からそういったことを危惧するのではなくそうなりつつあることをわかりながらも提供していかねばならないのだと思う。

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