「海鮮(買い専)」という言葉がある。
確か 2chの同人板あたりで使われていた言葉で、コミケ等のイベントで本を買うだけの人を指す。要するにサークル参加をしない、クリエイターワークをしないサイドのお客様の事だ。この言葉はどちらかというと「また海鮮の野郎がよー」といった調子で侮蔑的な意味合いで使われ始めた様な記憶がある。
同人誌即売会というのは参加者同士が直接コミュニケーションする事ができる素敵な空間であって、上手い下手問わず楽しんでいきましょう。といった理想を持っていると、この買い専的な行動をとる人ってのは少々利己的に写ってしまいがちなのだな。
その買い専という言葉も使われてしばらくたつと今度はその立場の人が使い始めるようになる。
自分の事を買い専と呼び、主に「自分は絵も文も書けないのでもっぱら読ませて貰う方っす」と自分の技量のなさを卑下するような使い方をする。このように卑下するための言葉になったところで、当初の侮蔑の意味はほとんど無くなってきたと思う。
初音ミクがブレイクし、ボカロ界というものが形成され始めたときに今度は「聞き専」という言葉が誕生した。
「聞き専」の登場は「買い専」より存分に後なため侮蔑的な意味は最初から持っておらず、「自分は作曲も打ち込みもできないから、もっぱら視聴専門で応援する側っす」と卑下の所から始まっている様に見える。
私は侮蔑の意味を持っていた頃の「買い専」という言葉を強く覚えているので、「買い専」「聞き専」という言葉にどうもしっくりこないものを以前から感じていた。
自分としてはクリエイター側にいたいという願望を持っているから、受け手に徹します宣言であるそれらの言葉を嫌っているのかと思っていたけれども、それもどうも違うらしい。
この違和感はなんだろうとぼんやり考えていたら、ひとつ気がつくことがあった。なんで「買い専」「聞き専」にはうっすらと卑下の意が含まれているのだろうといった点である。「自分は作れないから消費する側に回ります、すいません」ってなんでここに「すいません」がくっつくのだろうか。
もっとわかり易く言うと、既存のメディアに置いては「買い専」「聞き専」にあたる言葉はないのである。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、CD、その他諸々においては単なる消費者、視聴者であって、受け手に回ることが当然なためそのような区別をする必要はなかったのであろう。
つまり、同人界、ボカロ界といった「アマチュアクリエーション」がメインでありつつ市場を形成している場でのみ生じ得る言葉なのではないかということだ。
そう考えると興味深い。
表現するのが当たり前、制作するのが当たり前という世界があって、享受する側が幾分申し訳なさそうにしているという構図。
まあ、最近は卑下の意味も大分薄まってきている様に見える。
それというのも、結局「買い専」「聞き専」という「お客様」がいないと「発信者」を『評価』してくれる人がいないという事になりがちだからである。お客様がつくことで市場が形成され、発信者も潤う。
なのでお客様は大切だよ、お客様あっての盛り上がりだよ。と発信者側も理解しお互いの関係を大事にしようとしている。
しかしてそれは正しい方向性なのだろうか。
結局の所、従来の市場原理を導入してそっちに誘導しようとしているようにも見えなくもない。
作り手と受け手に分かれないと市場も広がらないし、人気も出ない、なにより儲からないよ! うん、まあ、そうなんだけれどもね。そのシェアをとって儲けに繋げようという活動自体が従来のモデルに縛られているんじゃないかという様に考えるのは行き過ぎだろうか。
そう言ったように消費者が大きな存在になると、発信者の人気というのものがくっきり現れることになる。そういったヒエラルキーを無くしてみんなで広くシェアしていきましょう、というのが目標だとしたら明らかに反した世界に変貌してしまうだろう。
だからといって「みんなもクリエイター側にまわるといいよ!」とも言い辛いものである。
それでも、「作る方があたりまえ」的な空気は特殊かつ、なかなか得難いものだと思うし、それこそがこれからを作るモデルじゃないかと思うので大切にしていって欲しいところではある。