ARTIFACTさんのところから、殿下執務室さんの「Blogってうざくねえか」を読む。
2ch の同名スレで「googleで調べものしようとしてもblogのページランクが高くてひっかかるのでむかつく」というお話に対する言及。
そもそも、なんでblogだとむかつくのかというと、調べたい事柄があるのに、たいして情報が書いていないつまらないblogばっかりひっかかって目的が達成できないという点にある。
また、blogはリンク構造上の都合や新鮮なワードを取り上げるためにページランキングが高くなりがちであるということも留意せねばならない。
まあ、「むかつく」という意見もある意味もっともではある。
そもそも、なんで「blogには価値がない」と定義されているのだろうか。
先の殿下執務室さんではその点に言及されている。
要するにネットの最大の敵というのはそういう「オーディナリー・マジョリティ」なのかも知れない。
反面、情報価値の高いblogというのも確かに存在はしている。
その「情報価値の高い/低い」というのは、これから本当に意識していかなければならないものだと捉えている。
個人のblogで、簡単でかつ情報価値を持ちやすいのは「お買いものレビュー」ではないかと考える。「今日これを買った、買ってみたら良かった(悪かった)」そういった情報はこれから買おうとしている人にとって有益であろう。また、それを読んで「お、あれ良かったのか、じゃあ買ってみるか」という流れになれば市場形成としても良い方向に向かう。
これが言葉足らずで「今日これを買った」で終ってしまうと「日記」になってしまい、とたんに情報価値の低い記事となる。
そうした、日常あったことに対して「どのような考察をしたか」が情報としての分かれ目であろう。
そういった事を常日頃考えてはいるのだが、これを「アニメ感想系」という枠の中で指向しようとするといくつかの疑問にぶちあたる。
例えば、アニメタイトルでたまたま奇跡的に面白い回があったとしてそれを熱く書いたとする。読者はそれをみて「ああ、この回は面白かったのか」ということを知る事はできるが、「じゃあ観てみよう」と見る事ができないというのがほとんどではないか。
もちろん、対象が OVA などの現在売られている販売形態をとっていたら問題はない。これが放送という形態だった場合の話ではある。が、現状電波による放送コンテンツに対する感想がほとんどであろう。
結局悩んだ結果、作品のストーリーや感想だけでなく、それを構成要素に分解して作りとしての評価分析を行なうような形になっているのが今の私といった所だろうか。
もちょっと前向きに考えてみる。
自分にとってのアニメ感想系の面白さは「1つのコンテンツに対する各人の様々な視点と思考をみることができる」点にある。
今は感想を書いている人物が中心となっているけれども、もっとコンテンツオリエンテッドになるべきではないだろうか。
1つのコンテンツに対してみんなで色々と語り合う事ができないかというのを考えているんだけれどもね。
トラックバックを用いてみんなの感想を一箇所にあつめるという事を提案してみる。
アニメ感想portal なサイトが一つあって、そこには記事としてアニメの放送話毎のタイトルが登録されて基本的な情報が書かれている(あらすじとか)。で、そのアニメを観て感想を書いた人は、そのタイトル記事に対してトラックバックを送るのだ。
結果その記事は各人のそのアニメに対する感想へのリンク、およびリンク集となる。
これで読者は自分にとって興味のあるアニメ、みんなで語りたいタイトルだけ拾って読めるという仕掛け。
まあ、うちのメインシステムにはトラックバックがないのでやりませんけど(笑)。
〜〜
長文失礼。
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