Archive for 12月, 2004

PSPと我が青春のゲーム

PSPが我が家に来てからというもの、ず〜っと「リッジレーサーズ」で遊び通しと駄目な休日の過ごし方をしている。他のソフトもあるんだけれども、やっぱりリッジなのだな。
「グランツーリスモ4」は確かに凄いし、プレイしていてやめられないようなタイトルではあるけれども、やはり「リッジは別腹」なのである。
特に今回は「初代リッジ」のテイストを大切にしてあるあたり堪らないものがある。特に、初っぱなから "Course765"(初代リッジ初級中級Course)から始まったり、初代のテーマ曲 "RidgeRacer" がノンアレンジで入っているあたりがほんとうに堪えられない。
この曲を聴きながらお馴染みのコースを走っていると「ああ、本当にリッジレーサーだ」とうれしくなって思わず涙ぐんでしまう。カーレースゲームをやりながら涙をぽろぽろ流すというのも変な話だけれども。

学生時代にやたらと執心したいわば「我が青春のゲームタイトル」とも言えるゲームがいくつかあるのだけれども、アーケード版の初代「リッジレーサー」がまさにそのうちの一つに当たるのだな。
当時大学生だった私は、卒研のためにテクスチャー付きのポリゴンを表示するプログラムをぽちぽちと作っていた。当時の PC はもの凄く遅く、ジオメトリ演算をしながらピクセルをぷちぷち打っていく作業はとても時間がかかるものだったのだ。
そのときにナムコが「リッジレーサー」を発表し、やがてゲームセンターにそれがやってきた。
テクスチャー付きの 3DCG がリアルタイム(60frame/sec)で動いているなんて。その衝撃はもの凄い物があったのですよ。
元来ゲーム好きであったので、以降はもう夢中になってプレイしていた次第。

なんとなく PS1 の初代「リッジレーサー」を取り出して遊んでみる。これがちょうど 10年前のタイトル。
確かにしょぼいんだけれども、それなりに面白かったりする。
この 10年、コンピューター業界やデジタル界はとてつもなく激しく変化したけれども、コンテンツの楽しさとかプレイヤーの心情とかは案外変わっていなかったりするものなのですよ。

ちなみに「リッジレーサー」の出たあたりというのはギャルゲーの萌芽の時期。「コズミックサイコ」「きゃんきゃんバニースペリオール」「同級生」と新機軸が出てきて、エロゲーが官能物から恋愛物へと変貌を遂げつつあるころ。
その翌年の 5月に「ときめきメモリアル」が発売されてここでようやくジャンルが誕生する。

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PSPでテキストを読む一つの冴えたやり方

待望の PSP が届きました。
UMD も飛び出すぜしゃこーん。というか、これ閉まらないよカパカパ開きまくるよ。と思ったらどうも強く綴じ込まないとラッチが入り込んでくれないらしく。ふたの真ん中を強めに押してパチンっという音を確認しないとならないらし。

さて、PSP が手元に来てようやく検証もできたので、ちょいまえから準備していたアイディアの公開とあいなりました。
小説等のテキストファイル(ただしベタテキストであること)を PSP で閲覧する方法とそのための実験ツールでございます。

見て「なーんだそんなことか」と思うこと請け合いのしょぼさ。

珍しく Linux が絡まないのでどのサイトに置こうか悩んだ末 fumi2kick.com へ。
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オタク力数値化に対する考察

先日の「激☆店」で桃井はるこがゲスト出演していたときに、自分の方がオタク知識豊富なので男性が萎縮してしまうみたいな話を語っていた。
このあたりを引き合いに出さなくてもオタクとしての力量においては強い弱いという差が確実にあり、一般的な力関係と同じく強い方がすごかったりもする。
では、「オタクとして強い」というのはいったいどういった基準でなされているのだろうか。パッと思いつくところでは如何に「コア」で「ディープ」であるかといったところだろうか。
最近では「オタク=消費者」となりつつあるので、どれくらいオタク文化を消化しているかといった量的計測もできるような気がする。
しかし、それらの計測化はあくまでオタクジャンルが同一である場合にのみ適用されるのではないだろうか。昨今のオタク業界は細分化し、ジャンルは多岐にわたるようになった。そこに誤解が生じる可能性が大いに含まれている。
そんな状況を鑑みて、より正確な計測化ができるような基準を提案してみたい。

オタクとしての経済力
最も明確で決定的な力量として現れやすいのが「趣味に対してどれだけお金を使えるか」であろう。趣味にお金を使えれば使えるほど、より多くのコンテンツやグッズを入手することができる。
絶対的な力差として現れやすいし計測もしやすいけれども、質的なものは含まれていない。故に経済的に有利な状況であったとしても必ず優れているとは限らない。
ただし、経済力は全ての基本として他の要素に影響を与える事になる。

オタクとしての収集力
オタクとしてオタクな物をどれだけ持っているかという「コレクション性」に対する数値化である。
コレクションの数というのは経済力に大きく影響される、また最初から数量化されているためわかりやすいという一面を持っている。
故に対一般的な情報としては経済力と収集力がオタク力として語られる事が多いが、オタク界では「コレクター」として別枠扱いされている。
もちろん収集力として数量のみが扱われるわけではない。
「集めているから凄い」というわかりやすい見解から「誰も持っていないようなレアな物を持っているから凄い」という視点に移動したとき、オタク側の世界として語られる。

オタクとしての情報力
オタクたる物オタクジャンルについてよく知っていなければならない。「あ、それ聞いたことある、知ってる知ってる」程度の知識ではオタクとして認められない。
みんなが知っている事を知っていた程度ではオタクとして強くは無い。
情報を得るためには経済力が必要ではあるが、インターネットと大衆情報交換場の出現で、経済力とイコールではなくなった。ただし、「面白いらしいよ」という伝聞情報と「面白かったよ」という体験情報には決定的な重さの差があるため、経済力に裏付けされた情報はより強力である場合が多い。
みんなが知らない様なことまで知っている、というところが重要なのだが、それを数量化する場合には二つの軸があると思われる。それは「広域性」と「専門性」の二つである。様々な事を幅広く知っているということと、一つのことをより深く知っている事は分けて考えた方が良い。
異なる二軸であるので単位としては分けた方が良い様に思われるかもしれないが、本当に優れた物であれば「広く深く知っている」といった風に兼ね備えているので、二軸を持ったスカラー値とベクター値で分析するのが良いと思われる。

オタクとしての非汎力
ここまでにも「一般」と「オタク」という対峙が出てきたが、オタクと呼ばれるためには大多数と同一ではいけない。エッヂにいるからオタクとされるのであり、その立ち位置が普通になってしまったらもうオタクではなくなる。
故にオタクはエッヂの位置を認知し、その位置に立ち続けなければならない。
そのエッヂは汎化された要素の中にはない。汎化要素から逸脱している事が前提条件ではあるが、誰の共感も得られないような位置であっては評価できる人がおらず逆に弱まってしまう。
逸脱している必要はあるが、オタクの立つエッヂというのはこれから波が訪れる場所である。如何にしてそのエッヂぎりぎりまでよれるかといった、バランスを見ながらの逸脱なのである。

オタクとしての広報力
オタクを語る際に意外と意識されていないのが、他への影響力であると思われる。優れたオタクは自身の中で完結させず、他へ影響を与え続ける物である。
例えば優れたコンテンツに出会い感動したとする、その後それを「他人にも勧める」という行為に及ぶ事が多い。そのときに如何に上手に勧める事ができるか、布教することができるかといった能力の事である。
優れたWEBページ作成者はこのお勧めの仕方がとてもさり気なくて巧い。
布教活動自体は共感性集団の構築という行動だが、その行動様式自体もオタクとして重要な要素である。

オタクとしての創造力
オタクとコレクターの境が認識上明確とされていない場合、オタクは消費を続けるだけの存在とされることが多い。それが転じて生産が行えず文化的消費を過度に行う存在であり、社会的不要論へと過激に飛躍される場合もある。
だが、実際オタクは生産的である場合の方が多い。
このあたりの見解は様々な食い違いが生じそうなので軽く流して置いておくことにする。
オタクの中にあって、コンテンツを創造できる者は圧倒的に強い。他が共感できるようなコンテンツを自身で作りだせる事は、次の波を自身の手でコントロール出来るかもしれないからだ。
何もオタクが創造し生産するのはコンテンツだけとは限らない。WEBサイトでの感想もそうだし、ファンのコミュニティであったりもする。広報力を高めるために創造する事も多い。

ここでは「オタク力」を 6つに分類して、強弱の定義を行った。
この 6つをダイアグラム化し、より大きな円形となった者がオタクとして優れているのではないかということを提案したい。
実際に計測、評価するためには数値化できる具体的な標準指標が必要となるがそれは他者の考察に委ねたいと思う。

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こんなところにもQRコード

ちと QRコードに興味を持って本をぱらぱら読んでみる。
その中に書いてあったので本の ISBN 記述ってのに目がとまる。今現在大抵の本には一次元バーコードで ISBN が付いているけれども、これをマイクロQRコードでも記述するという物。
あれま、もうすでに付いていたんだ。
部屋内の本を手にしてみたら、あーホントにもう付いているよー、とビックリした次第。
ただし手元で確認できたのは角川系全部と電撃文庫の 2系列のみ。逆にそれら二つには 1年以上前から付いていたのね。いや、まったく気が付かなかった。

その QRコードが付いているのは背表紙の上の方。
かなり小さくて専用のリーダじゃないと読めないだろうな。

うーむ、QRコードが生活に浸透しはじめているなあ。
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アウトラインプロセッサというもの

アウトラインプロセッサというアプリケーションがある。
ワードプロセッサより耳なじみの無い人が多いのではないだろうか。とはいえ、MS-WORDも一太郎も簡単なアウトラインプロセッサを備えているので知名度は低くないのかもしれない。
文章を章立てで組み立てて行くためのツールで、文章の階層化と、章の入れ替えが行えるのが特徴だ。
白紙の原稿用紙に向かっていきなり文章を書くのではなく、目次(章立て)を最初に考えたり、文章の順番を頻繁に入れ替えたりするような書き方する場合に有効である。
これが理系的文章を書く場合には有効なのだが、そうでない世界の人にはちょっと有用性が伝わらないのかもしれない。
私なんかはアウトラインプロセッサを用いた階層構造管理で物事を思考し纏めていくことが多いので、このアウトラインプロセッサは必需品として必ず手元にそろえておくことにしている。

ここしばらくで一番お気に入りで使っていたアウトラインプロセッサは「Kacisノート」である。商用アプリだが、元々出版業界を見据えて作ってあったものなので文章書きに強い。ま、不満も多々あるけど他よりは馴染めている。「ぽえりな」の構成組み立てや文章書きは全てこいつで行ったくらいだ。
さて、そんな「Kacisノート」だが久々にサイトを訪れてみたら、……無くなっていた。どうやら 2004/10 で活動を停止したらしい。パッケージ販売とサポートは e-Frontier に移管し販売は続いているようだが、ダウンロード販売は無くなってしまった。
かつてダウンロード販売でシリアルだけを買った人はバイナリを入手する方法が無くなってしまった。私がその例だったりする。まあ、1.0 からのアップデータが 2.0 体験版兼ダウンロード版と同等であることがわかったのでそれでなんとか出来なくもないんだけれどもね。

まあ、追悼の意も込めて「Kacisプロノート」のパッケージ版を買ってくる。以前は廉価な「マイノート」の方を使っていたんだけれどもね。
いつでもダウンロードできる時代になったから、とか思っていたけれどもこんなことになるとは。パッケージ購入も無いと不安なものですなあ。

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小管勇太郎氏の漫画

成人向け漫画界隈で活躍されていた小管勇太郎氏が死去されたそうで。
ご冥福をお祈り致します。
線が細くて女の子が可愛くてと割と好みだったため同人誌も合わせて結構読んでいたので消沈の思いです。

上気した表情の表現のために顔の上に極端なかけ線をするのが特徴で、これが妙に少女漫画チックだったのが印象的で好きでした。

ほいや、目の下というか頬にかけ線や髭みたいな線を入れる事を「オタク線」とか言われたことがあったけれども、あのへんの起源はなんなんだろ。
最近はピンク色の丸をのせて、より漫符っぽくなりましたが。
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プリンセス・ブレイブ終了

以前買ってレビューしていた18禁麻雀ゲーム「プリンセス・ブレイブ!」だけれども、その後ちょうど真ん中あたりで(PCが変わったことがあって)ほったらかしになっていたものをもぞもぞひっぱりだしてきてここしばらくプレイ続行していた次第。
まあ、つつがなく終演までたどり着く。
麻雀部分が意外とちゃんと作ってあってそれなりに遊べるので最後まで楽しめた。もちろん、「ブリンセス・ブライド」が大好きだからという注釈がつくのだけれども。

麻雀は一応最後の方は強くなるけど、あまりキャラ差がないのも確かなので別段緊迫した物はなかったり。ラスト、相手は大きい手であがってくるけれども、同じ流れがこちらにもあるのでそれを使うと同じくらい大きな手で返せる。
まあ、この手の麻雀で難易度をつけるアルゴリズムなんてそんなもんだよな。
対々和、三暗刻、四暗刻あたりを狙ってあがれば良い。

しかし、全作のファン、特にベアトリクス萌えだった身にとってはベアトリクスにビジュアルを付けたのは勘弁して欲しいところなんだよなあ。まあ、流れ上出てくるべきキャラなんだけれども。
炉利キャラ(元々背丈が愛生と同じという設定)なんで許してしまいそうになっている私がいたりもするのだけれども。
いや、ベアトリクスはもっと格好いいところもあるのだ。

5段階評価の3くらい。
プリブラが好きなら。
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P・S・P!P・S・P!

あまりにも買えなさすぎな PlayStatiion Portable ですが、まあ 3ヶ月もすりゃ買いやすくなるだろうと様子見スルーな構えでおりました。
んが、本日 12:00 から Playstation.com で第三回プレ予約があることを 10分前に思い出したのであわててアクセス、準備して待つことしばし。12:00’05 あたりにエイやと予約ボタンを押したらぬるりと予約完了できたじゃないすか。
「任務・完了!(ミッション・コンプリート)」(決めポーズを取ると同時に背後で爆炎があがる)

なーんだ楽勝だったなー、と思っていたら 10分ほどで売り切れてしまったのでやっぱりいつもの通りでした。
29日に届く分のプレ予約。なので年内にはもじぴったんできまする。
これで UMD を飛ばしまくるぜ (シャコーン)
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D・L・P!D・L・P!

ごろ寝テレビ環境とか、迫力ゲーム環境といったものを追い求めて HMD (ヘッドマウントディスプレイ)を昔からいくつか試しているが、案外迫力がなかったり必要以上に目が疲れたりと散々な感じであった。
結局のところ、アニメやゲームに最適なデバイスとしてご愛用なのが「ブラウン管テレビ」と「ライトプロジェクター」の二つで、色々試したがここに落ち着いた感がある。
テレビはまあともかくとして、プロジェクターの方だがこれが結構良いのですよ。狭い部屋では色々工夫は必要だし、視聴時周囲の明かりを落とさなければならないといった事はあるけれども、割と安価に大画面が楽しめる。しかもあんまり疲れないときたもんだ。

でまあ、これまでは「プロジェクターがある生活がどんなものか試してみたい」といったノリでクラス的には最下位の荒くて暗い東芝「ビデオボール」を使っていた次第。安価で入手した中古品。
これでも不満はそうなかったのだけれども、画素が荒くてアドベンチャー系のゲームだと文字がつぶれて読めないとか、光源が暗いので本当に室内の明かりを全部落とさないと駄目だとか、色々と弱い事は事実。
最近のプロジェクターはさぞかし綺麗なんだろうなあと思いを馳せる事しきり。で、奮発して買ってきちゃいましたプロジェクター。未来の俺、ありがとう。
といってもデータプロジェクタの一番安いところで、SVGA(800×600)画素しかないのですが。しかもデータプロジェクタなんで、映画を見るのに適しているかというとそうでもないのだが、そこまでは気にしない。まあ、PC をつなげるのでむしろ良いのだけれども。

こいつ(HPのsb21)が液晶プロジェクタじゃなくて、DLPプロジェクタなのよね(Digital Light Processing)。
会社で会議に時に使ったりするやつが液晶の奴ばっかりなんで、DLP の画像が見てみたかったのよ。液晶だと「光を遮る」といった抵抗型でどうしてもその遮る程度に限界があるのだけれども、DLP はマイクロミラーの角度で「反射する、しない」でもってコントロールするので光が減衰せずにレンズに届く。だから DLP の方がコントラストが高いとされている。
まあ、細かい理屈は譲るけれども、DLP 特有とされる中間色のざらつきなども実際に目にして「なるほどー」などと感心する。

しかし「ビデオボール」なんか比べものにならないくらい明るいですなあ。
蛍光灯の照明を落とさなくてもスクリーンに映った映像が見えるよ。

一口メモ。
60インチスクリーンに投影してギャルゲーをプレイすると、キャラクターがほぼ等身大に映る。
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撲殺天使

どくろちゃんが堂々のアニメ化だそうで
Anime-TV 内で放映ということは OVA なのか。
キャストが…… orz

コミカライズ(漫画版)のドクロちゃんを見て確信したんだけれども、やっぱりあれは小説であるからこそ文字間の遊びが持つ楽しさ、リズムというのがあってよかったのであって、撲殺シーンを映像化されるといまひとつ笑いに欠けるのよねー。
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