ニコニコ動画がちょびちょびとリニューアルしているが、個人的にはニコニコニュースがふつーのBlog化しているのが一番衝撃的だったり。
これまでは業務連絡ぐらいしか書いていなかったのだけれども、外部のニコニコ動画に対する反応を反応返しする様になったらしい。
この記事からone hopで流れ弾を食らっているので多少影響があったりもするんですが。
その記事で紹介されている「クリエイター to コンシューマーな直通エコシステム」という記事に反応してみたり。
IOSYSという同人サークルがCDを自身の手でAMAZONにて販売しはじめたという事についてのお話。これ自体は賛否両論というか、きわどいバランスの上で皆静観している状態といったところ。
確かに言われてみれば、いろいろなモノをすっ飛ばしたダイレクトセルモデルであり、これこそネット時代の流通だよねという気がしなくもない。
ここ20年ほど色々変わったが、やっぱり流通が一番変わっている様に思う。
家電メーカーも直販に力をいれて、(顔色をうかがいながら)小売りの比率を下げていたりするし。
なんでもかんでも直販という訳にはいかないけれども、それぞれのメリットを生かして最も良いと思われる流通形態を利用するのが良いのではないだろうか。
で、話しは飛ぶようで繋がって居るんだけれども、旧来メディア業界に対して消費者が抱いている不満のお話。
音楽とか映画とか、テレビとか、やたらと権利者団体が強気で色々と消費者に「利用の仕方」を指導(という名の制限)したり、善良な消費者を泥棒呼ばわりしたりして対立する構造が強調されていたりする。
JASRACの様な徴収業務委託業者や私的録音録画補償金制度が毛嫌いされていたり、間に入って広告料を持って行く代理店に対して陰謀論を抱いてみたり。
でも、多くの人はコンテンツのエクスペリエンスに対して、楽しみに対して、対価を絶対払わないとまでは言ってない気がする。やっぱり好きなモノは応援したいし、対価を支払いたいと思うものだ。
問題はその対価が「正当なモノ(額)である」と認識できるかどうかなんじゃないだろうか。
つまり現在のCDやDVDがなんであの値段になっているのか理解しきれていないし、それを払ってもアーティストやクリエイターにお金が届くと思っていないから不満を述べるのである。アーティストやクリエイターに対し対価を払いたいのに、ほとんどが間に入る権利者団体が持って行ってしまう、なによお前らはと。
インターネットの普及で提供者に対しクリエイターからダイレクトに買えるようになったり、CGMで配給会社抜きの状態でコンテンツを楽しめたりする様になっているのでその「中間層」に対する疑問と不満は一層募っていく。
じゃあ、それらが無くなれば良いという論調になりがちだけれども実はそうじゃないんでは、というのが今回のお話。
つまり、いわゆる旧来メディアの権利者団体の営業不足ではないかという視点提起。
レコード会社や配給会社がクリエイターを発掘し、プロデュースし、お金をかけたからこそこのクオリティのコンテンツが供給できるのだよという状況があったとする。たぶんそれは本当のことじゃないかと思うのだけれども。
その中間層のマージンに見合うだけの賞賛を消費者から得られていますか?というあたりが疑問。そこの部分に必要性を見いだすことができれば、お金を払うことは当然の事と思ってもらえるのではないだろうか。
だから、配給会社や出資団体は「俺たちが居たから、俺たちの活躍でこのコンテンツが世に出た」とその仕事ぶりがっちり宣伝して存在をアピールするべきなんではないか。そして、それが消費者に受け入れられたとき、権利者団体に払われるお金はスムースなものになる。理解してもらえなかったとき、それは営業力不足でありお金を払うに値しない程度の仕事しかしていないと思われたということである。
やっぱりコンテンツを買う以上納得して買いたい物だし、あそこが作っているなら確実だねという安心感があれば一層良い。納得できるだけの必然性。
ダイレクトコマース主流という極端な市場になるのではなくて、いろんな物が混ざっていて適材適所で楽しくやれていてば良いんじゃないかなあ。楽しくやれない要因の一つに「著作権侵害」という言葉があったりするのですが。
つか、版権物を二次創作利用したとして問題ないので黙認されている状態を表す適切な言葉は無いものか。無断利用して、でも明確な金銭的損害はないし双方の利益になる状態なので黙認している、といった場合でも現状「著作権侵害」と言われてしまうのはちと忍びない。