好きなことだからこそお金にしないというのはどうか

誠 Biz.ID 「必要なのは才能発掘の次のステップ」――日本のアニメ業界に足りないもの
この記事を読んでなんとなく思い出したこと。
単に思い出しただけだから関係無い話かもしれない。

以前、オープンソースライブラリ SDL ユーザーML のOFF会にお邪魔させてもらった事がある。オープンソース系方面においてゴリゴリの趣味でゲームを作って楽しんでいる方々がいっぱいな集い。OFFというよりミニ成果発表会。
学生・研究生と本職・元本職のゲーム制作者とその他が 1:1:1 くらいの割合だったのかな?本職も少なくなかったということで。仕事とは別に趣味でもってゲームを作りたいという筋金入りまくった人たちだと思っておくれ。
そんな中にえらく若くて有望な学生さんがいて、ゲームとして完成させたものはないけれどもこの歳でここまでできるのは凄いよキミと皆一目置いていた。その子に対して皆が口をそろえてかけた言葉が
「そこまでできるなら絶対に『ゲーム会社には入らない方が良い』、個人で続けなさい」
といったもの。もちろんその場では私もこの言葉には同意していた。
企業に入って『商品』をつくるとなると、いかに早く安く作るかだけが問われて技術や才能を振るいようがない。特に、市場が自転車操業になっている状態では言われたことをやるだけだし、ろくな事をさせてもらえない。そんな意味の言葉。

しかし、冷静に考えると妙な話である。才能がある人間に対し「プロにはなるな」と言っているのだから。適当な仕事をして生活するだけのお金を稼ぎつつ、才能は個人趣味で伸ばせというのは本当に適切なのだろうか。
このへん、開発職が職人色や芸術色を淡くもっている故のジレンマなのかもしれない。
でも、企業に属して沢山のお金と人を費やさないと作れない類のものもある。そういうのが作りたいなら会社に入って作るしかない。逆に言うとそうでなく個人で作れる何かであったら、組織は足かせになって個人の才を殺してしまいかねないから趣味でやっていた方が良いのかもしれない。
そんな風に「個人でできるから企業には入らず趣味でやります」という考えが主流になったら企業と市場を中心とした「業界」というものにとってはもの凄い痛手かもしらん。才能がある人ほど業界にこなくなるのだから。

なぜ、会社や仕事において上の地位を目指すのかと考えると、そうすることが自己表現の形、自己のアピールだったからなんじゃないかなあ。生活の他は仕事しか無く、個人研究や趣味というものをイメージすることができない種類の人は、仕事=自己表現だからそれに邁進できるのだろう。
しかし、ネットワーク等テクノロジーの発展で時代は変わり様々な形で自己表現を行う事ができるようになった。やりたいことを仕事という形にしなくても表現ができるのではないか。
才能を開花させても仕事にはする気がない。そういうのもアリか。




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2 Responses to “好きなことだからこそお金にしないというのはどうか”

  1. 匿名 Says:

    大手ゲーム会社に勤めていましたが、(改造なし)ゲーム機向けネイティブアプリ開発、販売、ユーザーからのレスポンスに一喜一憂(ウェブサイト巡回して感想眺めるのも結構面白い)ってプロセスに価値が見出せるなら、いいんじゃないでしょうか。個人で作っても遊んでもらえる人数は限られますしね。とはいえ、仕事ではグループ開発で好き勝手に作れないですが。
    技術あるならそれはそれで仕事が相対的に楽になりますし、公私でゲーム作りもいいですね。自分がそうだったみたいに。

  2. rerofumi Says:

    自分が関わった製品名を検索しちゃいますよね、やっぱりw
    マスやシェアというか、より多くの人に見てもらうという部分に価値を見ているのであれば市場そしてプロを目指すことになるというのは自然だと思います。
    なので、プロというか企業にしかできない事があるという事を明確に提示するというのは必要でしょうね。案外それをやっていない業界が増えてきたと感じるのですが。

    音楽あたりは下手にメジャーデビューするよりも、ネットを利用した方が多くの人に聞いてもらえるといった状況が絵空事じゃなくなってきている気がします。

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