2010年明けましておめでとうございます。
毎年年明けには「今年はこんな萌えが来る」と根拠なく放談を続けている当ブログ。いいかげん「萌え」という言葉も古くなり00年代とともに捨てていきたいところですが何となく恒例になっているので今年もやる気なく書いていきますよ-。
2009年の放談を振り返ると「コミュニケーション構築に向けた、名刺としての萌え要素」とか書いていた。俺の嫁を宣言することでわかり合える猛者たちといった事なんだけれども、ラブプラスを取り巻いていた熱狂をみるとあながち外れてはいなかったのかなーとも思う。
ま、そんな事はさておき、今年を占ってみよう。
ここしばらくはコミュニケーションとキャラクターの関係について考える事が多かった。コミュニケートの手段としてキャラクターを用いたり、キャラクターを軸に場を作りそこでコミュニケートをする様になると見ていた。
そういった世界はおおよそ構築されたような気もするのだけれども、今年はそれらが拾い切れていない要素にスポットが当たるのではないかと見ている。
ズバリ言うと「個人の萌えという感情を定量化して比較、競争していく」という世界。俺の愛花に対する入れ込み具合を見よ、ワシが凛子のために書いたラブレターは108式まであるぞ、私は寧々さんとすでに300時間語らっています。とかそんな世界。
なんとなく今までそのように入れ込み具合を競うということはまれで、主にあったのは「いかに自分が壊れているか」といった表現であった。痛車とかはそういったオタクの(ちょっぴり自虐的な)表現から生まれたものじゃないかと思う。
痛車やディスプレイ前でのバースディケーキの例を出すまでもなくこれまでにもいかに壊れた表現ができるかといったことや、それほど自分はこのキャラが好きだという表現を我々はしてきた。
どうやってその表現をしていたかというと、誰が見ても敵わないと思ってしまう圧倒的な壊れっぷりを提示して叩き伏せるといったやりかたであった。これは表現のインフレを招きやすいし、高度になっていくと「どっちがすごいのか」といった判断がつかなくなっていく。
なので、これから出てくる萌え要素にはどれだけ萌えたかを数値化できることが求められていくのだと思う。
数値化、大事です。先ほどちらっと出てきた「プレイ時間」などが良い例。ほかにもキャラソンCDを100枚買うとかあったよね。そういった数値にすると、ヤムチャでは敵わないといったことが明確にわかるわけ。なので、最初からそういった数値化とセットになった萌えが提供されていくだろうと見ている次第。
ゲームだったらプレイ時間だけじゃなく、ゲーム内での実績システムみたいなのとか、お前あのキャラと何回コミュニケートしたとか。シスタープリンセスの前からあった誌上ゲームでのお気に入りキャラクターのお兄ちゃん数によるランキングとか、ああいうのをネットと絡めると今もっと面白くできるはず。
結局、そういった競争や比較をした事があまりないというのはどういう事かというと、キャラクターを愛でるといった行為はこれまで個人の範囲のみで行われてきたことである。そういった隙間をめざとく見つけた人は、他の人がギャルゲーをしている姿は意外におもしろいということがわかっていたりする。
ぶっちゃけていうと「みんながどの様にラブプラスをプレイしているのか見てみたい」といった事になる。そして、そういった事はオフ会などを通じてちょくちょく実現化されているようだ。
今のとこ互いの萌え度をぶつけ合うといった場はオフ会の様なリアル空間でしかやりにくいものとなっているのではないかと思う。しかし、その表現方法が確立すればネットワークを介して見せっこすることが可能になるはずなのである。
つまりはキャラクターに対する愛や入れ込みといった「プレイスタイル」を作品として提示し、それを元にPixivのように語り合うSNS空間、そしてそこで交わされるコミュニケートがより求められるのではないかという世界を見ている。
そして、すごい奴を見て自分の位置を確認するという作業のために必要なのは萌え度を表すスカウター、つまりは定量化でないかといった事につながるのである。
こう改めて書いてみると ai sp@ce が微妙に惜しいなあ。
ここ数年の繰り返しというか総括になってしまうんだけれども、ゲームやアニメといった商品によってトップダウンで与えられるキャラクターによる「萌え」というのが発端だったのだけれども、今はキャラクター単体があってもなんの価値も持たない様になってしまった。
萌えやキャラクターといったコンテンツが成功するには、ユーザー側で発展させ膨らませるという作業が必須であることが目に見えている。そういった状況なので、ユーザーがなにに飛びつくのかというのは制御が難しくなり、コンテンツフォルダーとしてはやりにくいところだと思う。場合によっては素人が描いた全くの落書きみたいなものがもてはやされるかもしれないのだから。
だからこそ、ユーザー側での祭りにフォーカスが当たるわけである。
ユーザーも与えられるだけ、消費するだけでは面白くないと感じている。だから、キャラクターに対する想いを動画作成に注ぎ込んだニコマスといったものなどが作り出されていく。
そういった、ファン活動という二次創作活動が加速するとどうなるかというと、次は二次創作者にスポットがあたりブランディングされていく。エンドユーザーそのものが注目されつつも、キャラクターという共通項を通じて好きな人たちがつながっている。
そういったコミュニティ構築がやりやすい「萌え」というのは、自己表現がやりやすいキャラクターもしくはコンテンツ、システムといったことであると纏められる。
ニコニコ動画「御三家」などと括られたアイマス・東方・ボカロはそれに必要な要素をバランスよく含んでいると見れるのではないだろうか。
消費だけでなく、表現ができないと今の「萌え」は楽しめなくなってきている。