製品のコンシューマ化ということを考えると、それまで大仰に構えないとならなかった物が手軽に扱えるという大まかなフローが存在している。
例えば音楽などは、ずっと昔は正装でホールに鎮座して聞く物だったが、それが町に音楽があふれ、録音再生機器の発達でいつでも聞ける様になり、ステレオセットが家庭に入って、ポータブルオーディオで自由に持ち運べる様になった。
ここで注目したいのが、20万円ぐらいのオーディオセット中心だった頃からポータブルオーディオやミニコンポへの流れである。そのあたりが「大衆化」の最たる物だろう。
オーディオセットとレコードが高価だった時は、音楽を聴くという行為がある程度神聖で「これから拝聴させていただきます」といった感じの準備がどこかしら存在していたと思う。それが手軽になることで聴く側もかしこまらずにいつでもどんなときでもねそべりながらでも聴く様になっていく。そういった受け手の姿勢が大きく異なる時代の差においては音楽を買ったり楽しんだりといった行為自体にも大きな違いがあるのではないかと考える。
それが良い悪いではなく大衆化とはそういうものなのである。
テレビにしても、家族みんなが茶の間に集まって正座で見ていたという時期もあったが一人一台時代になってそんな堅苦しい見方はしなくなった。
このあたりに、コンテンツの持つ「おごそかさ」があるのではないかと考える。
ゲームなどもその変革にある。かつてはアーケードしかなく、100円を投じてプレイしていたので 1プレイにもひたすら気合いが入っていた。やがて家庭用ゲーム機がやってくると、正座してプレイに近い感じでテレビの前で集中してプレイするといったスタイルであったのではないだろうか。
90年代のゲームはとにかくプレイ時間が長時間なものが価値を持っていたので、正座して集中というプレイスタイルが若干崩れていた。90年代後半にはそのかしこまらないプレイスタイルを増長するアイテムが定着する。ポータブルゲーム機である。
ポータブルゲーム機はそれまでも存在していたが、据え置き型ゲームの小型版にしか見られていたかったので当初はさほど影響はしていなかったと思う。ゲームボーイを持って正座でテトリスをプレイなんて姿は珍しくなかったはずだ。それが、90年代後半から、ポータブルゲーム機はどうあるべきかといったソフトが次々に作られる。
だらけたプレイスタイルの到来である。
ここでいうだらけたというのはだらしないというより、気負いなく気楽な格好でプレイしているといった意味を指す。
音楽でだらけた楽しみ方ができるようになったことで大衆化が一気に進んだが、それまでの音楽と変革してしまったことを憂える人もいる。従来の楽しみかたも残っているからだ。
ゲームについても同じように、だらけたプレイスタイルの到来によりそれまでと違う物に変革していると思われる。
そんなに強引な論述でもなくて、映画館が DVD になったのも同じような経緯で語れると思うし、他のメディアにも当てはめることができる気がしている。
さて、では次に同じ道をたどりそうなものはなにかなとあたりを巡らせてみると PC が目に付いた。
日本においては「PC=仕事の道具」といった考えから入っている人が多いので、未だに書斎に飾って正座で使うスタイルが中心になっている。ノートパソコンであってもデスクの上だ。特に購入用途においては「仕事にも使える様」といった頭がどこかにあり万能な物を求めてしまう。
そんな堅い使い方はもう終わりなのだ、これからはだらだらコンピューティングの時代なのだ。モバイルノートパソコンはそれにうってつけじゃないか。
だらだら使用を行うためには、それがいつでも手にできるものであることと正座しなくても(寝ころびながらでも)ある程度使えること、それとユーザーのスペックに対する割り切りが必要である。多少質が下がっても気軽に使うためにはしょうがないよね、といったことを許容できるかどうか。
もちろん、だらだらコンピューティング用に使うマシンは、仕事には使えない。仕事は仕事で正座して行うべきである。だから一台で済まそうと考えずに、仕事用と娯楽用の 2台があるのが正しいご家庭コンピューティングなんではないだろうか。
まずは手元に数台ある PC それぞれに、役割を決めてそれようのソフトしかインストールしないとかやってみようかね。
# ひょっとして正座するコンピューターが PC で、だらだらがケータイなのかなあ
# コンピューターというよりはネットワークか