昨年末に「『魔法少女まどか☆マギカ』は10年代の魔法少女を見せてくれるのだろうか」なんて事を書いていたのだけれども、その『まどか☆マギカ』が異色作として話題になっている。
これを書いている時点では第6話で、この後どうなるかはわからない。けれどもネット上で現時点でほとんどお祭り状態な感じであり、このアニメについての歓談は花開きまくっている。
それというのも、予感的中というか、なんというか『そ れ 魔 法 少 女 じゃ ね え よ』というハードな内容だったり、ふわふわきゃきゃっを期待させておいてたたき落としたりといったすごい展開を見せているから。
といってもアニメそのものが面白いというよりもそれを肴に皆で語り合ったり、契約ネタで盛り上がったりといった行為が楽しい感じ。
なので「そんなに流行っているならBDを買ってみてみるか」といったアプローチはオススメできない。できるだけ毎週リアルタイムで追いかけて、そのときそのときの盛り上がりについていった方が良い感じ。
傑作というのとは微妙に違うんだけれども、話題になっているので見ておきたいアニメというのが数年に1本のスパンくらいで存在しているように思われる。
そういった話題になっているアニメってのはレコーダーに録っておいて後で一気見とかじゃ駄目で、ましてタイムラグがある BD/DVD のリリース待ちでは味わえない何かを持っている。それは「この先どうなるのだろう」というわくわく感であり、それを皆と共有してこれまでの解析とこれからの予想を語り合うという、そういう体験が重要だからである。
なので、ときたま現れる話題のタイトルについては毎週リアルタイムで視聴し翌週までの間は皆と語り合ったりブログに書いたり、それを読んだりしたくなるものなのである。
そういう過程が楽しいアニメのうち何本かは終わってしまうと結末にがっかりするなどして綺麗に忘れ去られる事もあるけれども、その場合でも放映期間中のわくわくは本物なのだ。
今だとインターネット経由でほぼリアルタイムに情報や意見を交わせるので、そういう「語りたくてしょうが無い」アニメに出会ったときずいぶんと幸せな思いをできるようになった。ブログやTwitter、実況掲示板などで emotional を余すところなく共有できるのだから。
昔だと、「新世紀エヴァンゲリヲン」のTV版を放送リアルタイムで見ていたときなどがそうだったのだが、この頃はインターネット(所詮ダイアルアップ)の普及率も低く、まだパソコン通信が残っていた時代。なので、毎週の展開とこれからの予想を熱く語れるのはせいぜいで会社の同僚とか友人とかそういった近隣の数名程度であった。
そう考えると、ネットワークが発展したここ15年でコンテンツの消費の仕方がかわったもんだなあと思う。
そういう、皆と語り合いたいアニメ、コミュニケーションの中心にあるアニメというものを考えているとどこかでみた構造だなということに気がついた。
かつてゲームはコミュニケーションのハブであり、ゲームそのものを楽しむよりゲームを楽しむことで他者とコミュニケートが取れるようになることの方が重要であるという見解をしていた事がある。
ゲームというコンテンツそのものよりも、ゲームを取り巻く外側にある世界で楽しむ事も含めてゲームなのだというお話なのだけれども、「ゲームがオープンであること」というタイトルの記事の下の方にそのあたりが書いてある。11年も前に書いたものだけれどもね。
その後、ゲームの外側で語り合う事を前提として世に放たれ大成功を収めたのが「ひぐらしの鳴く頃に」だったと思う。これは作者自身も、ネット上で語り合うこと自体がゲームだと公言していた。
東方Projectもゲーム外のコミュニケーションが成功している例だが、これは狙ってやったというよりもゲームをハブとしたコミュニケーションから、キャラをハブとしたコミュニケーションへずるりとシフトした結果ゲームから離れて単独で大きくなっている感じがする。狙ってやっているかというと、ひぐらしほど意図的なものではないだろう。
ゲームはアニメと違うよ、インタラクティブコンテンツだよ!という声もあるかと予想されるが「ひぐらしの鳴く頃に」はほとんど選択肢も分岐もない読むだけのデジタルノベルであった。しかし、コレがゲームとして認知されているのは、先に挙げた『プレイヤーのゲーム外での行動』そのものがゲーム的だったからである。
「ひぐらしの鳴く頃に」というノベルを読んで、その感想を語り、その先の展開を予測し、それを皆と語り合って楽しむ。そういった行為そのものが推理ゲームであったのだ。
少しずつ展開していく話に一喜一憂し、話が進むたびに皆と語り合う。その、みんなの意見を読む、感想を書く、意見を述べる、そして自分の意見への感想を得る。そのコミュニケーションは十分にインタラクティブと呼べるだろう。
ならばアニメを見てその都度感想やネタで盛り上がるのも同じコミュニケーション体系であると言えるのではないだろうか。
楽しいゲームを創るというのはそういう事なのだと思う。
「魔法少女まどか☆マギカ」を観て感想を述べ、ネタを飛ばし、展開予想で熱く語り合うというのはマクロな視点では立派な推理ゲームである。下手をすればムービーが綺麗で映画のようなゲームよりも面白いかもしれない。
それがとても面白いのは語り合うというインタラクティブ性の向こうに人間がいるからである。同じコンテンツを観て語り合うことのできる同士が。
そういった同士とインターネット上で出会えるようになり、ブログ等のインフォメーションツールで容易に意見を交換できるようになっている。これは真の意味でのソーシャルゲームとなっているのではないだろか。
コアがアニメだろうがゲームだろうがこの構造は、あまり変わらない。
むしろ重要なのは、そのように周辺にコミュニティを構成したくなるようなタイトルであること。つまり、観た後プレイした後「誰かと語り合いたくてしょうがなくなる」アニメ/ゲームであることなのだ。
成功しているタイトルというのはそういった場作りが非常にうまい。
だが、クリエイター側がそれらを準備してやっても即座にコミュニティが形成されるわけでもない。ただ、そうしたくなるような物を提供するだけである。
そう考えると「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメにネタを仕込んでくるスタッフ陣はやっぱり巧いなー、とうならざるを得ないところなのだ。