管理主義は何も生み出さないという見方
日経のサイトをぶらぶら眺めていたら見つけた糸井重里氏のインタビュー記事。それを読んで思わず「むぅ」と唸ってしまう。
『「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/
『ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139184/
(記事自体はまだまだ続くらしい)
なにやら自分を管理者として置きたがりその正義を周囲に影響させる人達と、そういった管理は実は何も生み出していないんだよねというお話。
糸井氏のお話は個人的に賛否半々くらいなのだけれども、今回はたまたま私の中での認識と合致していた内容だったのでかぶりつきで読んでしまった。この記事の何が凄いかというと言っている内容そのものではなくて、それを適切な言葉を選択してわかりやすく伝えてくれるところにある。このあたりの「糸井マジック」には、いつも凄いなあと感心する次第。
作家の森博嗣氏が MORI LOG ACADEMY で良く「詩を紡ぐのだけは才能に因る」みたいな事を書いているけれども、そういった言葉を操る才能というものを最近やたら大きく感じる。
それはともかく内容の管理主義についてのお話。
管理する人ってのは必要だし、それがいないと不均等が生じるであろうといったあたりはその通りなので良いと思う。問題は、管理を代行された人の融通と、代行されてもいないのに代弁する人々の威力範囲なのだろう。
オープンソース主義者とその否定派の衝突っていう構造と、創造主義者と管理主義者の衝突ってのはなんとなく根っこが似ているよなあと前々から感じていた。なのでその原因を同一視することで何となく理解できるんじゃなかろうか。
『ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会』では一節しか出てこないが「勝ち負け」という言葉がある。私としてはこの「勝った負けた」という定義の差と、競争社会に浸りすぎて「負けてはいけない」という強迫観念に囚われている結果なんじゃないかなあと思っている次第。
資本主義社会だと「勝った=儲かる事」なので、今すぐお金にならない様なクリエイティブワークはなんでもかんでも「負け」になってしまうのだろう。そして本当に負けることはいけないことなのだろうかというお話もある。