視線で演技するということ

実はみんな気になっているはずなんだけれども、ピュアかつジェントルメンなのでおくびにも出さないで居る XBox360 用ゲーム「Dream C CLUB (ドリームクラブ)」。
先日というには結構前なのだけれども、キャラが歌って踊っているステージムービーが2本デモムービーとして公開された。(続々公開予定)ダウンロードしながらテレビの前でわくわくしているのなんでなんだぜ?

あー、双葉理保が居ることで気づくべきだったんだがデベロッパーはTAM SOFTなのね。出来のかたさとか色々納得。
しかし、この理保のスカートはないだろう。これじゃ金太郎前掛けだよ。スリットがひどすぎるのか。
亜麻音もスカートのすそが凶悪だなあ。力のいれどころがまち……いや、これはこれで正しいのか。
と一見楽しんで見ているようだけれども、どうにも見ていて違和感がぬぐえない。モーションはちとぎこちないけどここまでできりゃ合格点だと思うし、別な声優の歌が聴きたいなあとかいうのは今は関係ないし。(水橋loidを早く出せ)
なんでだろうと考えていたのだけれども、なんとなくわかった。目線の動きがおかしいんだ。

この辺アイマスと比べると一目瞭然だろう。とか思ってアイマスPVなどを見返す。ううむ、ドリクラを見た後だとモデルが貧弱すぎる。つか棒人間?ドリクラのモデルは妙に力はいっているからなあ、肉感的だし。
でもアイマスのモーションと表情は今見ても逸品である。
まず何が気になるかというと、アイマス慣れしていると「カメラ目線」がないことに違和感を覚える。これだけで、ずいぶんとキャラの存在感というか意志の存在を感じるものなのだ。
ドリクラも目線がきょろきょろ動いていて一応振り付けの一部にはなっているのだけれども、どこを見ているのか、何を見ているのかといった「ストーリー性」が存在していない。なので、挙動不審に目を泳がせている様に見えてしまうのだ。
この辺アイマスはどうかというと、実はカメラ目線をしている時以外は正面しか見ていない。でもそれはちゃんと意味があって、ステージから客席を見ているので視線が正面前方になっているのだ。なのでそこに目的を感じ、不自然さはない。
そういった意味ではドリクラの設定がいまいちという向きはある。あそこはラウンジで、ステージの周辺にテーブルとお客様が居ることになっているからだ。じゃあ、誰を見ているのか、プレイヤーを見てくれないのかといったことになりなんとなくしょんぼりとしてしまう。
たぶん、グローバル座標の一点を与えてそこを見るという実装が入っていないんだろうなあ。モデルのローカル座標的な目の動きしかしていない様に見える。

アニメでも漫画でもゲームでも、キャラクターの目線の演技というのは重要である。
何気ない視線の動きが、キャラクターの内面描写となりそのことが何ともいえないキャラクターの存在感と奥の深さを生み出すことになるのである。




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