勉強になるのはニコニコブックマークの方とする説

最近はニコニコ動画の一挙手一投足が注目されて連日ニュースサイトを賑わせている次第。なんというか、ニコニコ動画は成功したサービスであり勝者であるとされている。
そして、お金の臭いがするとばかりにビジネスマンが群がって来ているあたりに妙なむず痒さを感じてみたり。
ユーザーコラボレーションは初音ミクだけじゃないんだよ?愛犬『てつ』とかチーターマンとかもすごいんだよ?とか言ってみる。(フタエはちと面白さがわかんない)

ニコニコ動画がどうして成功したかなんてのは実は分析してもなんにも役にたたないんじゃないかと思っている。なんでかというと、ほとんどがユーザーサイドの側にある都合で、運営の努力が結実したものではないと考えているからだ。
むしろ全く同じ思想と手順でサービスを行い失敗したニコニコブックマークを分析することの方が勉強になるのではないかといったことを提案したい。
私がニワンゴすげえと思ったのは、他でもないニコニコブックマークをあっさりと止めてしまったところにある。ああ、ここは本当に決断と行動が早い所なのだなとしみじみ感じた。

ニコニコブックマークは世間にあるWEBページに任意のコメントを付けることのできるサービスであった。このこと自体ははてなブックマークのコメントと同じ様なものだからうまくいきそうな気もする。
だが、WEBページに付箋紙のようなコメントを付けても感想を述べている感には乏しく、ページに落書きをしているもしくはされている様な気分にしかならなかったのが直接的な失敗の理由だろう。
(はてブのメタコンテンツを「陰口の場だ」と怒る人も居りますが)

実はニコニコ動画とブックマークはコンセプトが同じだったりする。WEB上(YouTubeとか)にある動画にコメントを付けられることから始まったニコニコ動画。WEB上にある記事にコメントを付けられるニコニコブックマーク。
ニコニコ動画が幸運だったのは、コメントを付けながらの鑑賞に味をしめたユーザーが「コメントを付けるために」わざわざ動画を持ってきてニコニコを利用した事にある。なので「私の動画を勝手に利用して笑いものにしている」と怒り出す人がほとんどいなかった。
だけれども、WEBページはニコニコでコメントしてもらうために作るという余地がほとんど無かった。つまり、ネタ職人が腕を振るうことができなかったのである。
この「コメントしてもらうためにネタを作り投稿する」というスタンスが大きな差違を生むことになっていく。
しかもある意味幸運なことにニコニコ動画はYouTubeから締め出しを食ってしまい自前の動画共有サービスを作ることになってしまう。このことが一層「ニコニコでコメントしてもらうための動画を投稿」という色を濃くしたのだ。
最初からコメントされるのを意図したコンテンツなので制作者も怒りようがない。
(動画の中で勝手に絵を使われた絵描きとかは怒っていることがあるが)

そういう風に考えると重要なのはネタを提供する「職人」と、その職人を喚起するに十分な数の「視聴者」ということになる。
「提供者」「職人」「消費者」という三層構造になっていてその層の境界が限りなく曖昧であるというところがこれまでの、「生産者」「消費者」しか見えていないビジネスモデルと違うところなのだろう。
この三層については「デジモノに埋もれる日々」のCKさんが過去に語っており、そこから引用している。
ニコニコと「アイマス」と「初音ミク」 – 企業とユーザと鑑賞者の関係変化

セカンドライフも三層構造を持っているのだけれども、職人しかいなくて消費者が思ったように増えなかったのではないだろうか。いや、良く知らないのだけれども。

ニコニコ動画の成功譚よりも、ニコニコ市場の方が凄い。
あれは最初から狙ってストレートにストライクを決めている。しかも、お買い物という行為にネタで買うという要素を取り入れ、娯楽としてしまったのだ。
さらに言うと、ユーザーが買えばニワンゴにお金が入るというマネーフローがあれだけ明確なのにそれでも気にせずニコニコ市場で買い物をさせることができている。ニコニコ動画の枠を崩さず、さらにプラスとした手腕には正直感服せざるを得ない。



この冬は蜜柑が大量消費される予感

ネギの次を狙うのは良いが今の段階から、たくあんだの、エステー化学だの、はじけるレモンの香りだのやりすぎですおまいら。もちつけ。

でも、
みかん

この冬はみんなしてむさぼるようにみかんを食いまくる事がなんか今から想像つくね!

剥いたみかん
↑この写真を見て興奮した奴は想像力が旺盛すぎます。

参考資料:認知心理学の実験:鏡音リンを作ってみた
ねりねりしちゃうゾ(←狙ってみた



みねリンは本当に妹キャラなんだなあ

minerin00

正式発表の前日ではあるけれども、ほぼ情報が出回った VOCALOID2 キャラクターボーカルシリーズ02「鏡音リン」。公式画像のすっぱ抜きが ITMedia というのも面白いところ。
プロフィールで年齢と身長があるらしいが、初音ミクよりも一回り小さいスペックになっていて本当に妹キャラ的存在なのね。おっきなリボンがトレードマーク。
14歳(相当?)という設定からもエロ同人自重風味。

まあ、まだまだ先だとは思うけれども、音声サンプルが気になるところでつね。

minerin_trio

03は紫色で学ランとか来るかな?

ふと思ったんだけれども、キャラクターボーカルシリーズが出そろった時何がおこるかというと、単に「アホの子」が 3人に増えるだけなんじゃないかと。
揃いも揃って手がかかることがわかっているというのも面白い。



三人目のVOCALOID

kaito_package
いつかは買おうと思って幾年月。何か考えるところがあったわけじゃないけれども、ひょろりとKAITOを購入。MacOSX10.5 を買いに行ったついでというか、なんでかミクと一緒にMEIKOとKAITOも数本店頭に並んでいたので。

KAITOって歌声がイマイチに聞こえるから不人気だったけれども、これ使い方次第なんじゃないかな。使いこなせば化けそうな気がする。
実際ニコニコでもぱらぱらと良い歌声のKAITOの断片をみるし。

以前MEIKOに歌わせていた「お正月」のデータをそのままKAITOに歌わせたモノ。
newyear_kaito.mp3

これ去年作ったモノだと勘違いしていたけど、二年前のデータだったのか。



管理主義は何も生み出さないという見方

日経のサイトをぶらぶら眺めていたら見つけた糸井重里氏のインタビュー記事。それを読んで思わず「むぅ」と唸ってしまう。

『「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/
『ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139184/
(記事自体はまだまだ続くらしい)

なにやら自分を管理者として置きたがりその正義を周囲に影響させる人達と、そういった管理は実は何も生み出していないんだよねというお話。
糸井氏のお話は個人的に賛否半々くらいなのだけれども、今回はたまたま私の中での認識と合致していた内容だったのでかぶりつきで読んでしまった。この記事の何が凄いかというと言っている内容そのものではなくて、それを適切な言葉を選択してわかりやすく伝えてくれるところにある。このあたりの「糸井マジック」には、いつも凄いなあと感心する次第。
作家の森博嗣氏が MORI LOG ACADEMY で良く「詩を紡ぐのだけは才能に因る」みたいな事を書いているけれども、そういった言葉を操る才能というものを最近やたら大きく感じる。

それはともかく内容の管理主義についてのお話。
管理する人ってのは必要だし、それがいないと不均等が生じるであろうといったあたりはその通りなので良いと思う。問題は、管理を代行された人の融通と、代行されてもいないのに代弁する人々の威力範囲なのだろう。

オープンソース主義者とその否定派の衝突っていう構造と、創造主義者と管理主義者の衝突ってのはなんとなく根っこが似ているよなあと前々から感じていた。なのでその原因を同一視することで何となく理解できるんじゃなかろうか。
『ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会』では一節しか出てこないが「勝ち負け」という言葉がある。私としてはこの「勝った負けた」という定義の差と、競争社会に浸りすぎて「負けてはいけない」という強迫観念に囚われている結果なんじゃないかなあと思っている次第。
資本主義社会だと「勝った=儲かる事」なので、今すぐお金にならない様なクリエイティブワークはなんでもかんでも「負け」になってしまうのだろう。そして本当に負けることはいけないことなのだろうかというお話もある。



どうしてお穴が空いてるの〜

なんとなくやってみたくなったので、
ちくわシェイク
マクドナルドのシェイク(ストロベリー味)をちくわで吸って飲んでみた。
シェイクがくそ甘いのに対しちくわのなんと塩しょっぱいことよ。ちくわだけで食べているとそんなこと気にならないのにね。
画的におもしろくないので動画は撮影してないのです。

飲んでいる途中でちくわをむしゃむしゃ食べてしまうあたりが難点。
ちくわおいしいよちくわ。

ちくわ酒
日本酒にちくわ。これは普通においしい。



駄目なものを楽しむ粋さ

ニコニコ動画でなんか流行っているらしい「チーターマン2」。ちらちらと視野に入るものの、なんとなくスルーしていて先日ようやく起爆動画とその周辺を見て回った。なかなかわかりやすいクソゲーぶりに微笑む。
昔からクソゲーというのは尊ばれてきたが、ただ単に駄作というのではなく中途半端ではない酷さに笑いを誘い、ゲーム自身とはまた違った独特の消費のされ方をされるものだ。
んじゃ、この「チーターマン2」が普通に紹介されていたらここまで面白がれたかというと微妙なところで。
このあたり「つまらないものも面白くするニコニコスパイス」の威力だと思う。

そういや、ニコニコ動画で面白いと思ったものってどれも大したことない動画だったような気もするなあ。

最近はあまりにも名前が広まりすぎた初音ミクに対して「なぜ人気があるのか」的な考察Blog記事を多く見かけるようになった。まあ、いろんな論が展開されているが、どうも上辺だけで滑っている感がぬぐえない。
人間の歌手に置き換わるのか、とか。このレベルではあの歌手の味は出せない、とか。
駄目なものを可愛がるというニコニコにおける「初音ミクはアホの子」という認識がかっぽり抜けているんじゃないかと思うのよね。VOCALOIDは現状そんなに凄いものじゃない、でも面白くて(駄目なところが)かわいい。
そもそもニコニコで音声合成やボーカロイドがウケていたのって、自然だからじゃなくてロボっぽさが面白いからだったりもする。空耳コメントという文化がそれをさらに面白いコンテンツへと育てるといった土壌。
完璧さを求めないことで生まれる娯楽というものがあるに違いない。

そりゃまあ、第一線で活躍している著名人はうまくて凄いけれども、近所の子の上手い下手もそれなりに楽しめるものだよ。と、そんな粋さを持ち続けたいものだ。



数は力となりうるか?

『「文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理」に関する意見募集の実施について』のパブリックコメント募集が開始されているのはご存じの通り。
これまでの経緯からネットワーク上で声を上げても駄目で、実際に人が動いて影響していかないといけないというのが見えてきている状況。
そんなのんびりしていられない状況であるということで「MIAU」が設立された、というのはニュースサイトで取り上げられていたからみんな知っていることと思う。
取り敢えずどれだけパブリックコメントを集められるかという状況なんだけれども、この問題に敏感に反応しうる集団にどうやら火の粉が飛び移ったみたいである。ニコニコ動画に集まるニコ厨のみなさまですな。直接自分たちに影響があることだからこれは良く燃え上がるよー。
MIAU の記者会見ビデオも Youtube だと 50前後の二桁しか再生されていないのに対し、ニコニコでは数千Viewを超えている状態。問題を問いかける動画は 18万View を超えているし、関連動画がどこどこ投稿され、支援コメントがじゃかすか打ち込まれている。
あの空気に乗れるのならば、ちょっと熱いお祭り騒ぎ(の前夜)といった雰囲気だねえ。

丁度「初音ミク」で激震が続いていたのに繋がってしまうかもしれん。
結果はわからないけれども、面白い事になりそうだなあ。



オープンエモーションという考え方

オープンソース系の実力者は、その Blog も面白いなあと思う事が多い。
以前から漠然と思っていたものの説得に足る材料が揃えられていないため口外してこなかったことなのだが。
結局、今の時点でも統計をとっているわけではないので単に私がそう感じているといった程度に受け止めて貰いたい。

オープンソースというと「無料」というイメージがつきまとうが、本来はそういった金銭的なお話ではない。文化をみんなで育てるという割と当たり前な事をしようとしているだけである。
文化を発展させるためには、誰でも参加できるようにした方が良いよねということを若干強調しているに過ぎない。ただ、その強調部分が「金銭的なお話」の人の何かを逆撫でしてしまうことが多く、あらぬ方向で火の手を上げてしまうのだが。

オープンソースと直接的には関係ない記事だけれども dankogai氏の「気前がいい」関連やその周辺の反応は興味深く読ませてもらったし、その後しばらくたっても頭の中に残っている。

404 Blog Not Found: 気前という技術
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50864723.html
404 Blog Not Found: 頭がいいより気前がいい
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50773505.html
www.textfile.org: 頭がいいより気前がいい(反応記事)
http://d.hatena.ne.jp/textfile/20070226/kimae

オープンソースという言葉を使ってしまうとどうしてもコンピュータープログラムがイメージされてしまうため話しの発展性が無くなるが、要するに「技術」や「知識」や「嬉しさ」をできるだけ公開・共有してお互いの意見をぶつけあいより良くしていこうということだと思う。
別にそこにおいて「金銭的に儲かる」話しをしても実は良いのだけれども、文化的発展を阻害するのだけは御法度である。そして、過度の私欲追求(お金だけじゃなく、名誉や権力も)は文化的発展の阻害要因となることが多いので、非難対象とされやすいというだけの話しだと思う。

あんまり外れた所に力をいれてもしょうがないので Blog の話に戻るけれども、オープンソース系をその様に理解し活躍されている人ってのは Blog に対する姿勢もオープンソースと同様なのではないかと類推するわけだ。
つまり、技術を伝搬し知識をぶつけて切磋琢磨していくための文章だからではないかと。
Blog なので思想的なものだけではなく、感情的なものも良く記述されている。でもそれにおいても、単なる日常を記した個人日記やメモというわけではなく誰かに伝えるためのもの、ひいては文化的発展に関与するためのものであるとみている。そして、そういった感情論の上に技術や知識が乗っかって味わい深い記事となっていくのだ。

そういった、オープンソース的だけれどもプログラムに因らない Blog エントリーはどう表現すべきなのかと考えていたのだけれども、言うなれば「オープンエモーション」といったところだろうか。
ソースコードと同じくなんでもかんでもオープンにすれば良いという物ではなく、文化的発展を狙ってここぞというところをオープンにしシェアしていく、そんな感じ。

以上の様な視点で Blog をみていくと、意外と重要なのが間違った見識でもって書かれた記事であることにも気がつく。もちろん間違っているのでその記事自体は害なのだが、それを諫める識者の反応がとてつもなく役に立つ。様々な正解が寄せられて比較できるのもそうだが、答え合わせをして何が間違っていたのかを考察することが勉強になるのだ。
タコも財産なり。



業務連絡という名のテレビデジタル化自慢

ここ数日アクセス数が増えており、流石は初音ミク嬢は時の姫だと感心しきり。
ご贔屓の方も一見の方もごきげんよう。
そんなアクセスに割と涼しい顔で耐えてくれている我が家のサーバーちゃんに感謝。「ぽえりな」の時はアクセス過多でサーバーが落ちるという恥ずかしい体験を本気でしたけれども、最近は安いPCでもすんごいパワーがあるもんで全然苦しんでいる様には見えない。

さて、そんな昨今でありますが、タイミング悪く宅内工事のため10月20日の午後に 1時間ほど回線が切断されます。それに伴い、うちのサイトが見えないだけでなく1時間ほど行方しれずになりますのでご了承ください。
下手すると DNS の関係で復帰後即座に繋がらないかも。

なんの工事かというと、わが家の Bフレッツ光ファイバー回線に「スカパー!光」の終端装置を接続するための工事です。わーぱちぱち。
思えば一年半前、スカパー!光を契約しようにも家の領域だけが未サポートで憤慨したものだったけれども、ふと気がつくとサポート開始していたのでさっそく申し込んだ次第。地上波デジタルも搬送してくれるので、これまでアンテナが無くて地上デジタルが安定して見れていなかったという事態とはおさらばさ。

しかし、見れるようになったは良いけれども、地上派放送ってとんと見なくなっている事に気がついてみたり。まあ、あったらあったで観るかネギま!pureとか、みなみけとか。

[追記]
Oct.20.2007 13:55頃、工事が終わりました、13:00頃開始でしたのでこの間 1時間ほどアクセスできなくなっていました。その前もちょっと重くなっていたりしていました。ちょうどその時間にアクセスしようとしてできなかった方はごめんなさい。