Archive for the 'ゲーム' Category

君の瞳に乾杯

実は PS2 用ゲーム「THREAD COLORS – さよならの向こう側」を購入している。
風上旬氏のキャラは結構前(G’sエンジンや電撃PSのハガキ子あたり)から嫌いではなく注目していたのだけれども、ここ最近ですっかり安定して好みの絵を描くようになったなあと関心。その反面、ちとトゲが抜けてしまった感はあるけど。
シナリオは舘山緑氏という事で PC エロゲーの文脈をストレートに PS2 に持ってきた(ただしエロ要素は無し)という辺りも興味深い。
ゲームの方はなにやらしらんがヒューネックス10周年記念だとか。「なんかファイヤーマンみたいだな」「ああ」という会話が飛び交う。
あまりプレイはしていないのだが、なんというか 3年前の泣きゲー全盛期だったら通用するんじゃないかなあといった感じ。沢山あったクローンの一つ的な。
フラグがかなり前の方にあって分かりにくいのでバッドエンドの後ロードして再開してもなかなかルートが変わらない。おかげで何度も何度もループする事に。
スキップがそこそこなのでそんなに苦でもなかったのだけれども。
プレイ中に「なんかキャラの魅力が薄いかなあ」というか「幼なじみ以外はどうでも良いような」感想を持つ。
何度もループでスキッププレイでフラグを探している時に、ふとその理由がわかったような気がする。この幼なじみだけ立ち絵の表情やポーズが多くて感情豊かに見えるのだ。
この会話の内容に合わせて表情がくるくる変わるというのは非常に漫画的な表現だなあと思うと共にそれが持つ表現力の大きさに感心してみる。
過去、この立ち絵の表情で最も衝撃的だったのは「To HEART」のマルチであった。明らかに立ち絵が変わった瞬間があるのに絵が変わったことが認識できなかったのである。次にもう一回変わったときにそれは理解できた。
マルチの「視線」だけが変わっていたのだ。伏し目がちに目をそらして、またこちらを向く。そのちょっとした目線の演技の為だけに立ち絵を用意しているのかと(当時は)絶句した。そしてそれによって演出される雰囲気の大きさに感心した次第。立ち絵がくるくる変わって会話に表情を持たせるという試み自体は「雫」で発展しそれはそれで感心したものだが。
ちょっと前に「合成顔表情の目の動きによる印象形成の実験研究」という論文を読んだことがある。ヒューマンインタフェース学会研究報告集によるもので、CG 表示された顔がこちらに語りかける際目の演技によってどういった印象をうけるものであるかという報告書である。まあ、分かりやすいところでいうと瞬きが異様に多いとせわしなく感じるとかいった内容である。報告書では「視線」「瞬目」「瞳孔」の 3項目を変化させてその印象を見ていた。
その結果最も影響が大きかったのが視線であり、凝視ではなく適度な頻度で視線を泳がせた方が好印象であるとの事だ。この報告書で面白いところは被験者を「内向的」「外向的」の 2集団に分けてサンプルを取っている所にある。内向的被験者においては凝視が多い方が真剣性を感じ好印象で、外向的被験者においては目の動きが多い方が熱心と感じ好印象なのだそうだ。
凝視で思い出したが「ときめきメモリアル」を初めてプレイしたとき奇妙に感じた事がある。序盤で女の娘達は主人公に対してつれないのだが、親しい仲でもなくそっけないはずなのにいちいち挨拶を返すので「実は俺に気があるんじゃねえのか?!」と思わせ振るのである。なんでそんなことを思ったのだろうかと疑問だったが今にして思うに、いちいち立ち絵が表示されてその立ち絵がこちらを凝視しているからであろう。大して知った仲でもなく用件があるわけでもないのに凝視されているということにどことない居心地の悪さを感じていたのだと思う。
そもそも「立ち絵」というものが確立したのってそんなに昔でもないような気がする。それ以前は紙芝居に文章が付いていた様なものであり要するにイベント絵オンリーといった感じであった。「立ち絵」が確立したのがいつかは覚えていないのだけれども「同級生」の辺りな気がする。「きゃんきゃんばにー」あたりは大分近いような気もするけど、背景とキャラクターが明確に分離しなければならないゲームシステムを持ったのが「同級生」辺りかと。そしてそれに豊かな表情と身ぶりのアクションを持たせたのが「雫」ではないかと思っている。
つまり何が言いたいかというと、今後のゲームは立ち絵に対して目線と表情の演技をもっと多分に含めるべきなのである。そしてそれはボイスと同じくらいにエフェクティブな感情演技となるのだ。3DCG などもそうなのだけれども、この視線の演技ができないとどうしても固い印象や場に合わない印象を受けてしまう。
そう考えると先週のアニメ「シスタープリンセス・リピュア」のキャラクターズは素晴らしかった。担当回の白雪の表情と視線が本当にくるくると良く変わるのである。そしてその変化が多い事でキャラクターの可愛さを存分に表現していると感じた。いや、単に私のマイシスターが白雪ってことで色眼鏡かけまくりなんだが。
(※マイシスター…12人のうち最もお気に入りの妹を指す言葉)

立ち絵の元祖は「ポートピア連続殺人事件」の「ヤス」ではないかというのはここでは置いておくことにしよう。

関連リンク
http://www.d3p.co.jp/thread/



クイズああっ女神様を覚えているか

あー、なんかゼノサーガの方が萌えません?
というわけで表題とは関係なくナムコの「ゆめりあ」

(ネタ元「メラメラ草」2002/11/22)
http://www4.pos.to/~pyonkey/cgi-bin/diary/

ナムコといえばアーケードで恋愛クイズアドベンチャーが出るとか言う話があったまま消えていった切ない思い出が…。

関連リンク
http://www.dengekionline.com/g-net/yumeria/index.htm
http://www.namco.co.jp/home/cs/ps2/yumeria/index.html



ぬるぬるアニメ

3DCG でビューティーモデルというのもすっかり死語になりつつある昨今。
私が夢見ていたのはそんなリアルな造形のバーチャルアイドルではなくてアニメフィギュアの流れを 3DCG に持ち込む事であった。
そんな中、エロゲー界も流行物に敏感でいくつかの 3DCG 物が発売されているのは説明するまでもあるまい。そんな中にあって唯一リアル系でなく、アニメキャラ系のモデルをフィーチャーし確実に技量と経験を積んできたのが TeaTime である。
そんな TeaTime が 5作目にして放つのが「Toon」。トゥーンシェードレンダリングを用いたセルアニメ質感を持った 3DCG がエロゲー界に降臨。
http://www.teatime.ne.jp/infor/toon/toon_sys.html
それが嬉しいかどうかはまあ置いておくとして、それまでの経験がぞんぶんに生かされている出来であると思う。キャラクターデザインは村上水軍氏であるが、その氏の絵をほとんどそのまま 3DCG に出来ているあたり関心せざるを得ない。
んでそのモデルがアニメーションするわけである。(流石にリアルタイムではないけど)
やあ、なんか面白い事になってきたなあ。

トゥーンシェードレンダリングというとコンシューマゲームの方から入って来てはいるけれども、何もゲームだけの物ではない。AIC の「魔法遊戯」はフルトゥーンシェードアニメのパイオニアとも言える現在唯一の存在である。
http://www.anime-int.com/works/magic/3d/ova/index.html
日本のアニメと 3DCG の融合、そして世界初の商用フル 3DCG トゥーンシェーディングアニメ。ある意味「トイ・ストーリー」に並ぶ金字塔ではないかと思ってはいるのだけれども、いかんせん商業的に成功とは言えないあたりが切ない。
見ていて最初は綺麗に動くのですごく違和感を覚えるけど、見ているうちにだんだんと普通のアニメと同じ感覚になっていくんだよな。実際にリミテッドアニメを作成している会社がやってるだけあってアニメの文脈は全部押さえてあるんだけど、でもあの動きはすぐには慣れない。アニメや漫画ってのは見せるためにかなりパース的に嘘を含ませているのだけれども 3DCG だとその嘘が表現しにくいので不自然に感じるのだ。

しかしこれらが「新しい表現」として台頭していく可能性もあるのだな。
ある種のエロメディアが受け入れられるかどうかは、若者が性的興奮を初めて覚えたメディアが何であるかで決まる。という台詞を以前勤めていた会社の先輩がつぶやいていた。妙ちくりんな台詞だけどまんざら嘘ではなさそうだ、それ故に忘れることができないでいる言葉である。
漫画→アニメ→3DCG そんな流れがあるのかもしれない。
デッドオアアライブいいぞもっとやれ。

TeaTime はそのモデルに惚れて「めいでん☆ブリーダー」を買ったりもしているんだけど、ゲームの方がちょっとアレでねー。

関連リンク
http://www.teatime.ne.jp/



かなり気に入った

人に勧めるほどじゃないんだけどじんわりと悪くなかった「たいせつなうた」を作成したきゅーくすの次回作「こころナビ」。絵柄がかなり気に入っているので実はこっそりと期待していたり。
そんな「こころナビ」の主題歌がそういや公開されていたんだっけと思い出したのでダウンロードして聞いてみる。うわ、なんか少しそういった系統のアニメの OP みたいだ。いや、良い意味で。気に入ったのでリピート中。

しかし昨今のエロゲーともいわれる美少女ゲーム(コンシューマギャルゲー含む)のほとんど全部といって良いほどのタイトルに主題歌が付くようになってしまった。さらに、よっぽどのインディーズや意図してそうなっているタイトル以外はボイスが付くようになっている。
業界的にそれが当然となってしまったということだろうか。
市場的にそうなってきている、ということ以上に家内制手工業的なエロゲー開発においてすらそういった主題歌や声優へのコネクションが出来ているといった方が感慨深い。そういった付加が無いと商品にならないという厳しさもあるわけだが、それら付加によって音響周りのスタッフが大きな意味を持つという事で、そういった技能を持った人が数多く必要とされているといった事でもある。
プロアマ問わずそういった人がゲームに携わってくれるのはありがたい。

主題歌もボイスもオープニングムービーも付いた、次にエロゲーに必要なのは何か。
アニメか? 私はそうは思わない。
SCE が「やるドラ」というインタラクティブアニメを世に送り出したが、結局それがメインストリームとして定着はしなかった。今発売されているギャルゲーは依然として 3行のメッセージボックスに文字がつらつらと表示されるタイプである。
結局この手のゲームはアニメと漫画と小説の真ん中に存在するものであり、それでいてそれら 3つとは似たようで異なった表現手法を持つ。
大人向けの漫画がビックコミックであるように、大人向けのビジュアルノベルというものも確立していくべきなんじゃないかと思う。サウンドノベルの様なミステリー物ばっかりでなくて。

関連リンク
http://www.q-x.jp/



ハリウッド映画とジャパニメーション

プレイステーション2のパッドが壊れた。
パッドのボタン L2, R2 の入力が出来なくなったのである。
まあ、大抵のゲームの場合滅多に L2, R2 を使わないし、使うゲームであっても無いと不便かな程度であってゲームに差し支えないのが多い。
だけれど私の場合、この 2つのボタンが使えないと徹底的に困るのであった。
その困るソフトの名前は「パイロットになろう2」。いわゆるフライトシムでL2, R2 にはラダーが割り当てられている。まあ、エルロンとエレベータだけでも飛行や着陸ができなくはないのだが、タキシング時の方向転換がラダーに割り当てられているので着陸後エプロン(滑走路脇の待機場所)までいけなくてどうにもならないでおしまいとなってしまうのだ。
つーわけで、新しいパッドを買ってきた。

この「パイロットになろう2」は発売後すぐに買ったのだがそのあと 2年近くもずーっと遊び続けているくらいのお気に入りである。なんでかというと、PS2で民間機を操縦できるのはこれと「JETでGO!2」だけなのだな。
私の場合戦闘機でカッコヨク敵機を撃墜する系は苦手である、ジャンボジェット機を美しく着陸させる事の方が楽しい。
ちなみに「JETでGO!2」はちょっとプレイして即日パッドを叩きつけた。以後起動はしていない。ビジュアルとサウンドは卓越なんだがのう。

そんな感じで「パイロットになろう2」と「グランツーリスモ3」があれば1年以上遊んでいられるよなあと思うわけだ。

ばりばりにゲームを遊んでいるのかというとそうでもない。
特に 3D ゲームは実はそんなに所有していなかったりする。
たまには PS2 らしいばりばりの 3Dポリゴンゲーでもやってみるかと「真三國無双2 猛将伝」を買ってやってみる。やべえ、面白い。
やめられなくてしばらく遊んでいたがそのうちダウン。
3D 酔いだ、それで頭がガンガンする。
そう、あまり 3D 物をやらないのはこの 3D 酔いがひどいからでもあるのだ。
特に一人称視点で歩き回る奴はやばい。カーレースとかは移動方向がおおよそわかっているのでそっちに視線を送っているので大丈夫なんだけど、歩き回ったりする奴は常に背景がぐりぐりと不定に回り続けるので酔ってしまう様だ。
「真三國無双」や「3Dマリオ」とかはキャラが動き回っても背景が回転するのはだいぶ遅れてからのことなので大分平気なんだけど、それでもやっぱり3D 酔いをしたというのは残念な事である。

つまりだ、3Dポリゴンぐりぐりのゲームは全ての人に(体質的に)フィットするゲームではないんじゃないかと思う。なのに世の中 3D グラフィックで充ち満ちている。
私はスプライトゲーが好きなんだ、アニメゲーが好きなんだ。それは好きだという理由の他に 3D の一部タイトルを受け入れられない体質だからというのもある。いいじゃん、2Dゲー、アニメゲー。
でも残念ながら 2D ゲーはギャルゲー以外は数が激減している。

時代はポリゴンゲーになってからこっち開発費とかかる人手が急増し制作サイドはそれに悩まされ続けているという。まあ、想像に難くはない。
それは 3D ゲームを映画的手法で作っているからではないか。絵やお金が多く使えなくても表現できることがあるのではないかと考える。
なんかどっかで聞いた話だなあと思ったらアニメ業界の話か。
ジャパニメーションといわれている日本のアニメ手法はセルアニメ、リミテッドアニメと言われ要するにできるだけ手間と時間をかけずに作成する手法なわけだ。そしてそれをとことん叩き上げたのがジャパニメーションである。
そう考えると 3D ゲームはハリウッド映画的志向で、2D スプライトゲームはジャパニメーション的と言い換えられないだろうか。
ハリウッド映画が最高峰でみなそれを目指すべきだとは思わない。手に汗握るアクション映画も良いけれども、それと同じくらい、いや個人的にはそれ以上にマンガとアニメが好きであるしそういった嗜好の人は少なくない。

だからギャルゲー万歳と正当化してしまっても良いのだがまあそれは置いておいて。
いいじゃないですか、アニメゲー、マンガゲー。そういった 2D ゲームは無くならないだろうし、無くなってはいけないと思う。そして、最も日本的なコンテンツ形態であるとも思うわけだ。



つぶやき 05/26/2002

OVA版「ONE 〜輝く季節へ〜 桜の章」購入。最終巻である。
あああ、結局 4巻全部買ってるよ>俺
実はかなりお気に入りだったり。
アニメ版 KANON の様にゲームシナリオを撫で直しただけでなく、ちゃんと
オリジナルストーリーっぽくなっているあたりに好印象。正直アニメ版の
KANON よりこっちが好き。
でも人に見せるとおそらく10人に 8人は眉をしかめて「何コレ?」と
言うこと請け合い。一言で言うと「怪作」もしくは「迷作」。

惜しむらくはキャラがみんな立ちんぼでボソボソしゃべっているだけ
なので萌えもなんも無いこと。逆に KANON はキャラ萌えが全てであった。

まー無事最後まで出て良かった良かった。
(妖精姫レーンの事を根に持っているらしい)



つぶやき 07/14/2001

各所で話題になっているアージュの18禁ゲーム「君が望む永遠」体験版。
それが添付している雑誌を所有していたので、興味がてらプレイしてみる。
む〜、ふむ〜、ぐはぁ!!!
これ、体験版といいつつ第一章丸々遊べるのですが「体験版としては」
大成功ではないだろうか。おそらく大多数の人にとって製品版がひっじょーに
気になる存在となってしまうであろう。
もちろん、肌に合わない人もいるはずだがそれはそういうものだということで
切り落としても可かと。もともと、出会うことすらなかったであろうタイトル
に出会う機会が増えて本来よりも多く sale できれば良いわけだし。

内容に触れてしまうのであまり色々とは書けないので難しい…。
ん〜と、私個人としてはこの体験版をやった限りではあまり良いゲームでは
なかったなという感想を抱いた次第。ざっくりまとめてしまうと、この第一章
は第二章に突入するまでのお膳立てでしかないあたりが問題。
例えばだ「ONE 〜輝く季節へ〜」の前半部分。明るく楽しい日常生活が延々と
繰り返されるだけの部分(個人的に「漫才パート」と呼んでいる)。あれは、
ただ淡々と同じような生活の描写が繰り返されているだけで、特にストーリー
が進行するわけではない。
この漫才パートは、主にキャラクター達を彫り込みキャラクターを形成し、
読み手の中に世界を作る役を担っている。「瑞佳は幼なじみだ」と説明くさい
文章で書かれるより、毎朝しつこくも主人公を起こしに来る(そしてからかい
あう)という描写の方がよりいっそう瑞佳というキャラクターが細かく設定
される。そして、読み手はそのキャラクターを理解し思い入れを始めることが
できるわけである。
また、漫才パートにより延々と繰り返される平穏な日々の積み重ねが、物語の
世界に「平和」と「日常」を構築し、その後に起こる事件の非常度を鋭角に
研ぎ澄ます。相対的な落差が激しいほど読み手に動揺を与えるはずだ。
「ONE 〜輝く季節へ〜」以降、前半の漫才パート+後半の急転直下パートと
いう構成が多用され、標準フォーマットと言えるぐらいに全てが習って
しまったが、その日常の積み重ねを意図して正しく行なえているタイトルは
数少ないと思う。「SenseOff」なんかはくどいほどの同手法で非日常の中に
無理やり日常を構築していた。これはこれで面白い。
ちょっと話がそれてしまったが、要するに「君が望む永遠」体験版は、その
漫才パートだけを見せられたに等しい。「ONE 〜輝く季節へ〜」で漫才パート
だけ見せられて「どう?感動したでしょ?」と聞かれてもちょっとキツイ。
それに崩すために積み重ねるのだから、ここまでの部分が気に入っても
この後どうなるかはわからない。ひょっとしたら後半は自分にとって肌に
あわなくツマラナイかもしれない可能性だってあるのだから。

ではなぜこの体験版はこのようになっているかというと、おそらくはキャラ
クターを先行で定着させておきたいのだと思う。どんなに話が良くても、
文章が卓越していても、それは販売時の売りにはならない。お客様は
十中八九キャラクター絵とブランド名だけで買ってしまうものである。
要となるキャラクター絵も最近はどこも綺麗で可愛いので、その中から
一つ抜きん出る(店頭で目に止まる絵柄)のは難しいはずだ。
せめて、このキャラのこういう面をみてくれれば。せめてちょっとでも
文章を読んでくれればこのキャラの良さがわかるのに。
そういった部分を伝えるためのものであろう。
そして登場キャラクターの内どれかにヒットし思い入れることができれば
購買者数は増加する。
もしぎりぎりのところで思い入れできるキャラに出会えなかった場合の
テコ入れもあるところが素晴らしい。ほとんどの人はそれで一気に
購買意欲の閾値を越えてしまっているはずだ。

日常の積み重ねでキャラクターを描き、思い入れをさせたところで一気に
くつがえす。「加奈〜いもうと〜」が実にみごとにとった手法である。
物語の都合が良いように読み手の感情をコントロールするとでも言おうか。
「加奈」の場合、幼少期、中等期によって加奈という妹のキャラクターを
描写するとともに、加奈を「大切な守るべき妹」としてプレイヤーの心理に
徹底的に刷り込んでしまう。この刷り込まれが深ければ深いほど輝いた
物語になる。逆に思い入れできなければ「ツマラナイ」で終わってしまう。

「君が望む永遠」体験版で言えば
・ストーリー展開を求めてしまった場合
・気に入ったキャラクターを見つけられなかった場合
・文体、言い回し、ゲームシステム等不満点が購買意欲より大きかった場合
これらの場合に評価は低くなるのではないかと推測する。

個人的に良いなと思ったのは細かい感情の移り変わりが文章から読み取れた
こと。その分くどくて長いのはあれだが。
あと声優さんの演技もかなり良い。キャラクターの思い入れに大きく荷担
しているのではなかろうか。
それとオープニングムービーの入り方がカッコ良くてゾクゾクした。

でもこの第一章、第二章で特定のキャラクターに思い入れさせるためダケに
存在しているんじゃないかと思う。極端な話、登場人物全員がその一人を
引き立てさせるための捨てゴマなんじゃないかと思うほどだ。
ま、そのへんの邪推は本編を買って確認するとしましょうかね。



つぶやき 04/10/2001

シスタープリンセスドラママキシシングルとかいう物を買ってみる。
マキシとかいうわりには52分も入っていたりするのはいかがか。
うわ、しまった、これって「アニメ版」のプロローグだったのか。
しょぼん。
新歌も「可憐」と「花穂」という取り合わせ。いや、確かにシスプリ
を代表する妹であるけれども 12angels (イメージソング集)の中から
「これはやばいだろう」という上位 2人を抜粋したような選択にしか
思えない。聞いて、まあ、予想通り。

さて、最近の私にとってそんな事は些細なものでしかなく。

なにがあれって TLS3 (TrueLoveStory3) ですよ。ダンナ。
現時点ではまだ私の中で落ち着いていないのでレビューは避けておく。
取り合えず 2周とちょいは終えていて、大体 TLS3 について見えて
きたところなのだけれどもまだまだ言及できるレベルではないなと。

TLS1 の頃から思っていたことなのだけれども、このシリーズって
若い人(20歳未満)がプレイして面白いのだろうか?
もし面白かったとしても私ら(30歳前後)が感じる面白さとはまったく
違うのではないかと思うのである。
シリーズ全体を通してどことなくノスタルジックな世界観を持ち、
「学園生活」を過ごしている気分にさせてくれるこのタイトル。
3 となった今回はその制作側の意図がストレートに表現されている。
ある意味、露骨に表に出てきたので「むー」と思わなくもないのだが
個人的には心地好かった。
(オーラスのアレとかのことですよん)

そういった意味でこのタイトルの推奨年齢は 30歳前後であり、25歳
未満はお断り的な部分があるんではないかと思ってみたりみなかったり。
18歳未満は完全禁止で、それより学生生活を謳歌しなさいとかいう
のもあながち冗談ではなかったりしてみたり。
反ゲーム派の言葉と似たような事を書いている気がするが、まったく
正反対の立場から書いている事をご注意ください。(それ以前に冗談
まじりであるけれども)

小さい頃楽しんで見ていたアニメを、大人になった今見てみたらその
内容の重さにびっくりしてみたりとか。物語というのは受け手の立場に
よって如何様にもその姿を変えるものである。
今TLSを楽しんでいる 20歳前後の方がいたならば、是非とも 5年後
10年後にもう一度プレイをしてみて貰いたい。

そのとき見えてくる何かがあるだろうか。



つぶやき 03/25/2001

普段シスプリシスプリと騒いでいる私だが、実はゲーム版には全然興味が
なかったりしてみる。
原因は声優だ。
ラジオの 3分スポットでやっていた「妹からの手紙」(イメージソングCD
“my sweet twelve angels” にBONUS収録)をわくわくして聞いたもののそれ
に愕然としたからだ。いや、声優陣が駄目とかそういうことではない。
イメージと合わないというのも個人的勝手な思い込みに因るものだから
問題は無い。ではなにかというと、声と演技が付いたことによって妙に
「具現化」してしまった事にある。なんというか、わかりやすく言うと
シスタープリンセスというものが「ただのギャルゲーと化してしまった」
というか。それだけこのコンテンツには強烈かつ強い個性を感じていたと
いうことなんだけど。

でまあ、ゲームが発売されてもそれを買わずにいたわけで。
同じ日に発売されたPS2の「パイロットになろう2」を買ってセスナ機で
大空を飛び回っていた次第。
しかし、WEBを徘徊して各所で撃沈されている戦友達の姿を見ていると
やはり気になってくるもので。う〜ん、これはやはりネタとしてもやって
おかねばならないか?とか思うと共に周囲からの期待の声などに後押しされ
結局購入…。
イメージアルバムCDをリピートで聞きまくっていたからボイスにも慣れたと
いうのも理由だったり。

「飛行機で大空を飛び回るのは男の子の夢だけど、12人の妹に慕われるのも
男の子の夢だよね!!」

はいは〜い、あなたのにいさまはここですよ〜☆(←ノリノリやん)

で、ちょっとだけプレイ。
ぐわははは、可憐が花穂が衛が咲耶が雛子が鞠絵が白雪が鈴凛が千影が
春歌が四葉が亞里亞が〜〜〜!!!
んが、なんか奥歯にもやしが挟まったような感覚を受ける。

……
………
ああ、そうか。問題は二点。
一点は「妹達の横の繋がり」。今まで霧賀ユキさんの差し込み漫画以外に
妹達同士が会話をしている姿を見たことが無かったんだ。こいつら互いの
ことをちゃんと知っていたんだなあって感じ。
(私がなんか雑誌企画であったことを見落としているだけかもしれないが)
読者投稿企画の段階では好きな妹との対一に近かったから別段必要なくて
描かれないだけなんだけど。なんとなく横の繋がりがあると世界観が違って
みえる。初期ギャルゲーのほとんどは主人公をハブとしたスター型トポロジー
で世界が構成されていたが、歴史を重ねるにつれ人間関係を複雑にした
バス型トポロジーを多用していくようになっていった。まあ、そういった
ことだ。だから、今まで気にしていなかった他の妹との衝突というのが
(裏的に)生じていくことになる。そこがなんか違う。
そしてもう一点は「主人公の声」。
今までほとんどのコンテンツでは「妹から兄への言葉」であり、兄は読者
だから明確に声を発することはなかった。(投稿はまあ別とする)
キャラクターコレクションにおいても兄への語りで書かれているが全てが
妹の一人称だ。
で、ゲームでもって初めて読者(プレイヤー)以外の形の「兄」という存在
を持つことになる。今までは自分自身が兄だったのに、ゲームではゲームの
中の兄を自分の分身とする。よするに、ゲームの中で「わあうれしいなあ」
とかかかれていてもそれはゲーム内兄が勝手に喋っている言葉で、プレイ
ヤーの心情と必ずしも合致するもので無いのである。たぶんこのゲームに
おいてゲーム内兄の心情を理解できなければ世界を受け入れることは不可能
であると思われる。
そんな全お兄ちゃんを代表するゲーム内兄であるが、かなりふにゃふにゃな
存在ではないか?個人的にはこの主人公の独り言が面白くてしょうがないぞ。
「妹と登下校するのは大変だけど嬉しいからいいか」(うろおぼえ)
その『うれしいからいいか』というのはどこから沸いてきた感情だ?
でも大多数のプレイヤー(含む私)にとってもやっぱり嬉しかったりするので
まあ良いのである。

時間が取れていないのでまださわりしかプレイ出来ていないので以下は
ファーストインプレッション。
コンテンツとしては「シスプリらしい」内容で問題無し。
というか、これはころがりまわるでしょう :-)
それ以外の部分はかなり気になったので一応指摘。

・プレイヤーフィードバックが無い
メニューを選択決定したときなどに、そこが点滅したりSEが鳴ったりといっ
たユーザーアクションのフィードバックが一切ないのでびっくり。
選択したりしたら「ぴろん♪」とか音がするのが当然でしょ〜。
・画面エフェクトが簡素だ
PSにしてはってことなんですが、画面効果的演出がえらいシンプルだと
思う。逆を返すと余計なことをしていないので軽快な進行に繋がっているの
だが。
・BGMが貧相だ
SPUのRAM領域がほとんどボイスに食われるとはいってもこれはあんまりで
はないかという気が。
ボイスはスゴイ量をもっているけど、シーン毎に音量のばらつきがあるのは
大きく減点。音量差を聞き取れないくらいに押さえて欲しかった。

プログラム的に見ると全体的に貧弱なんですが、文書の表示とスキップが
軽快でプレイに支障をきたすことはない。このことがこのゲーム最大の
長所ではないかと。また、その長所のためにその他欠点が全て許せてしま
えているのではないかと。
まあ、最もの長所はコンテンツ自体の「すごさ」であって、システムは
全てその文章とキャラとボイスで掻き消されてしまうんですが。

あとなにげに全てのシーンに口パクが付いているあたり、このへんもすごい
と思うよ。(たぶん)

製作担当会社の「スタックソフト」ってなんか聞いたことあるんだよなあ
と思って調べたら「ら〜じPONPON」「Pure MAIL」の「オーバーフロー」で
あることを思い出し膝を打つ。(オーバーフローはブランド名)
( http://www.stacksoft.co.jp/ )
会社概要を見たら過去製作作品(PC->カンシューマ移植)も結構なものじゃ
ないですか。色々な意味でなるほどと思う。
悪い意味でPCソフト的だったり、それでいてツボは押さえていてサクサク
遊べたりというあたりにつながるのかな。



つぶやき 01/18/2001

会社の同僚にコロコロコミックを見せてもらった。今年の劇場版ドラえもんで短編のほうは
ジャイアンとジャイ子(クリスチーネ剛田)の話なのか。兄として妹の為に奔走するジャイアン
の妹想いな姿が描かれるのだそうだ。
「き、兄妹物の奔流がこんなところにまで!!」と一瞬驚愕。
そいやジャイ子は漫画家目指して一筋だったなあ、同人世界というトレンドをも巻き込むのか!?おまけに性格は兄ほど酷くはないし、見目を除けば実は大変
キャッチーになれるキャラクターなのか!?でも娘は歳を重ねると化けるからなあ、ヒロインは
静ちゃん一人という寡占状態にあって頭数を増やすことは重要なのではないか!?
しかし、友人の妹か…うおーっうおーっ、はっ今何か聞こえたか!?

といった世迷い言は置いておいて。

先日不本意ながら(?)「シスタープリンセスのどこが面白いのか説明せよ」という苦行にも似た
状況に萌まれ(めぐまれ)。この際ついでだから俺的論理をまとめておこうかというくだり。

シスタープリンセスというコンテンツを他の萌え系コンテンツと比べ観察した際、特徴的だと
思われる事象が二つある。それは「恋愛対象でない」ことと、「同人誌は女性作家が多い」
ことである。まあ、後者については最近はメジャーになったので男性同人作家も入ってきて
いるだろうがそれでもというところで。
この恋愛対象でないというのは意外に大きいはずである。女の娘が存在するという他に何も
ないコンテンツであるわけだから、その娘にどのような形で入れ込むかというのは重要な
はずである。通常のギャルゲーと呼ばれるコンテンツにおいては大体が恋仲もしくはそれに
準ずる間柄になる事が目標である場合が多い。
しかし、シスタープリンセスでは妹であることからそういった恋仲になるという要素は一切
提示されておらず、ただ純粋にキャラクターを可愛がるという要素のみが存在し、いっそう
の輪郭をもって強調されている。
そう考えると、他の男性側カタルシスがステロタイプで存在する他ゲームに比べ、女性受けも
しているというのはなんとなくわかるような気がしてくる。
つまり、可愛い物を純粋に可愛いと愛でる感覚であり、人形をいとおしむ感覚に近い。
もちろん、単に存在しているわけでなくキャラクターを持っているわけで、それがさらに
「可愛さ」を増長している要素となる。その要素が「妹」という存在であるわけだ。

ここで妹キャラと言われるものについて振りかえってみる。
「妹」という設定が暗黙の内に持っているものは意外と多い。年下、肉親、近い存在、
保護すべきもの、等々…。そのなかでもシスタープリンセスの中で最も効果的に使われている
ものは「もっと身近な存在」であるという部分と「(今現在)誰よりも自分を見つめてくれて
いる存在」という部分であろう。
特にこの「妹はおにいちゃんのことがちっちゃいときから大好きでした」という個所が、
その筋の殿方のみぞおちノックダウンタオル投げ入れドクターストップでおい担架だ担架早く
持ってこいってな感じかと。
つまり抽出すると「常にそばに居てくれて」「自分に好意を持っていて」「すりよって甘えて
くる存在で」「また甘えさせたい存在で」あるわけだ。
相思相愛になった恋人同士がこれを補完してくれる可能性もあるわけだが、そばに居るという
絶対の距離感、および打算の無さ(肉体関係とか)において妹の方が抜きん出ているわけである。
別段抜きん出ている必要もないのだが、妹キャラというのはそういった特色を色濃く抽出した
ような存在という事になる。

もちろんここでの「妹キャラ」というのはそういった理想形を濃縮したファンタジーな存在で
あり、実際の存在とは異なる可能性がある事は考慮しておいて欲しい>実在妹保有者

よーするにだ、現代人はさびしんぼさんなんだよ。
「そばにいて甘えて欲しい」とか書くと「なにそれ気持悪い」とか思うかもしれないけど、
平たい目で見るとそれは誰でも持っている欲求でありその結果そばにいるのが兄弟であり
家族であり友人であり恋人であるわけだ。
ペットを飼うのも同じようなものであろう。
で、その欲求を満たしてくれる理想系の一つとして煮詰めて結晶化したものがシスタープリ
ンセスの12人の妹達なのである。
確かに労せずしてやすらぎを得たいという姿勢は安直かもしれないけれども、その存在は
井上トロ(どこでもいっしょ)と大してかわんないのである。
後は個人的嗜好の問題であって、趣味の領域ではないかと。

そういえばドラえもんにも妹がいたなあ…。
しかもドラミは「もうお兄ちゃんたらしょうがないんだから」といった(TLSの)みさき系妹だぞ!!
おお、そんなすばらしいコンテンツが30年前から存在していたとは!!
流石は藤子不二雄F 大先生!! ビバ!!

# あまし真に受けないでください




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