Archive for the '不定期ふにゃふにゃ記' Category

CDを探して

そいや先週末にアニメ「ギャラクシー☆エンジェルえーーーす」のオープンニングテーマ「ギャラクシーばばんが☆BANG!!」の CD が出たんじゃなかったっけなと思って CD 屋をいくつか回ってみるが発見できず。
「むきー、モンスターズが買い占めして日本は大混乱に陥っているですか!?助けてコンドールマン!!」とか思いつつやけくそでラジオ「でじこさん」のオープニングテーマCDを購入(いや、EDの曲なんか好きなんで)。

ふと思い出して携帯を取り出し「メモぷり」で確認。
あ、ばばんが☆BANG の発売って明後日じゃん……

自分の勘違いということでオチ



ネットがもたらす物

インターネットやコンピュータが私たちにもたらした最大の影響は「文章を書くようになった」事だと思っているのだけれども、どうよ。

# 例えそれが友人間の他愛のないメールであったとしても



メディアの遍歴

ちょっと前に先日帰宅途中の電車内で前に立っていたオヤジが読んでいた新聞が不意に目にとまった。端っこにあるコラムの一片なのだが、その論題が「若者の活字離れと携帯電話」ということであった。
最近の若者は携帯ばっかで活字を読みやがらねえ、というのが前半部で後半は自分が戦時中苦労してまで活字が読みたかったという体験談が書いてある。
ようするに「俺を見習えさもなくば馬鹿になる」と若者を戒めているわけだ。
少なくとも私はそう理解したし、そのような解釈が出来る文であった。そして毎度毎度こういう論調を見るたびに気分を害すること甚だしい。

このコラムの場合「活字」ってなによ?というところからツッコミが始まる。
もちろんそれが「書籍」「文献」の類であることは想像に難くはないのだが、著者が指しているであろう対象物に比べ実際に「活字」が定義されている範囲は広い。
例えば漫画の吹き出しないにあるネームも十分に「活字」ではないか。だからといって漫画を沢山読めばそれなりな量の活字を読んだとその著者が見なしてくれるかというとそういうわけでもあるまい。
それに携帯をやり玉に挙げているということは媒体が「紙」であり「本」もしくは「新聞」という形態になっていなけらばならないのだと思う。私たちの様なインターネットジャンキーは PC や携帯 PDA といったデジタル装置のディスプレイに画かれる文章をいったいどれくらいの量読んでいるのだろうか。毎日ニュースサイトや日記をぐるぐると閲覧して回っているし、コラムを読んだり掲示板を見たりメールを読んだり、はてはオンラインマニュアルを読みふけったりする。
そういったネットワーク経由で読む文章というのは一体どれくらいのものになるであろうか。ひょっとしたらネットワークを利用していない人に比べると物凄い差があるのではないか。そういった大量の文章や情報を取り入れる事を否定するつもりなのだろうか。

要するにどういった書籍を読めと言っているのかだと思うし、そこには個人的な価値観がからんでいると思う。
例えば、私は月当たり20冊以上の本を買っているんじゃないかと思うけれどもその大半が漫画だ、あとはゲームやアニメの情報誌とコンピュータ系の雑誌と専門書籍。最近はコンピュータ系の本も購読料が減った。書籍では情報が古すぎるので、ネットワーク上にある情報を優先して読むからだ。書籍は通り一遍のナビゲータとして目を通し、細部や最新の情報はネットワークから得ることが多くなった。
この中に「もっと本を読め」と声にしている様な人達が読んで欲しいと思っているんじゃないかなぁと推測できる「小説」「随筆」の類はほとんど含まれない。
せいぜいで年に数冊ライトノベルを買う程度だ。
しかし、これら情報誌、雑誌、専門書籍といった物を読むだけで大量の活字を目にしている、ネットワークを含めたらもっとだ。それにも関わらず「活字を読め」と主張する人の合格圏内には入っていないに違いない。

先日、俺ニュース経由で読売新聞の「『本離れ』の実情を探る」という調査報告を知る。
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200210/10data.html
調査項目も細かく、報告内容も納得が行く。
少なくとも「本が売れていない→携帯のせいだ」という短絡思考に対しては確実なカウンターとなる資料であろう。

こんな事を書くと怒られるかもしれないが。
私は文学とも言われるいわゆる小説の類は「娯楽」だと思っている。知識欲を満たす行為ではなく「娯楽」なのだ。だったら「娯楽」は他のメディアでも得られるわけだし、今ではそのメディアが無数に存在している。
昔は書籍と舞台くらいしかなかったのかもしれないが、映画、ラジオ、テレビ、レコード(CD)、ビデオ、ゲーム、WEB 等、様々なものが発生し発展している。それら存在する全てのメディアに対し庶民がどれだけお金を払い続けられるであろうか。分散したらしただけ個々の配分は少なくなって当然なのである。
メディアは常に生まれ変化している、しかしお客様がお金を払ってくれるのは面白いコンテンツが存在する場所であり、一つのメディアに固執しているわけではない。メディア単位で見た場合、固定メディアの売り上げが落ちていくのは当然の事なのだ、それだけ世の中は動いているのだから。
それだけ散ってしまった多種多様なメディアと庶民の財布の行方を呼び戻す方法は簡単である。面白いコンテンツを作成すればよい。
売れなくなったと嘆く事は意味がない、どうやったら売れるものになるのかを論じるべきだ。

そして、それはあらゆるメディアに対して言える事でもある。



頭痛発生メガネ

インターネット通販で買った FMD-20P が届く。
EYE-TREK の愛称で有名なオリンパスのヘッドマウントディスプレイだ。
もっともオリンパスはフェイスマウントディスプレイと呼んでいるが。

ヘッドマウントディスプレイはタカラのダイノバイザーが 1万円未満でたたき売られていたときに買ったのがあるんだけど、流石にこれはひどかった。
重いわ焦点は合わないはぼけてるわ端は見えないわで実用にはほど遠い代物だった。テレビアニメを 30分観ているだけで目が疲労して意識が飛びそうになる(苦笑)。
んまあ、これのおかげであっても使わないであろうことはわかっているんだけど、今度ソニーが出すヘッドトラッカー付きヘッドマウントディスプレイの記事を読んでみたり、PC につなげられるグラストロンを使わせて貰ったりしたら無性に欲しくなる病にかかってしまった次第。
だったらソニーのヘッドトラッカー付きを買えばよいのにとも思うわけだが。
ヘッドトラッキング対応ソフト(グローバルエアフォース)も持っているのだし。
ってそのへんは予算の都合ですな。
今回 FMD-20P を 23000円ほどで購入した。
実は EYE-Trek もグラストロンも既に生産終了している。今度出るソニーの奴が唯一市場に出ているヘッドマウントディスプレイということになるのだ。
で、この FMD-20P は「PlayStation2 にしか繋がらない」という用途限定な代物なのでいっそう人気がない。よって安かったのだと思う。そういった状態からなんとなく今買わないとダメじゃないかという気分高まって注文ボタンをクリックしていた次第。
まあ PlayStation2 に繋がるなら DVD を観ることはできるわけだし悪くはないかな。

液晶は18万画素(480x320pixel くらい)なのでちょっときついけどゲームの文字は問題なく読める。TV でも小さい上ににじんで読みにくかった「パイロットになろう2」の計器類もかろうじて読めなくはない。ダイノバイザーに比べれば快適すぎるくらい綺麗だ。
しかし、液晶のドット欠けがひどい。ハズレか?
左に 5つ、右に 2つの欠けがある。数自体はまあいいんだが、目の片方にしかそれぞれの欠けがないものだから、ドット欠けの部分は左右で同一性を保たない。平たく言うとドット欠けで光っている部分がぼやっと手前に浮かんで見えてしまう。両眼別液晶だからこその悩みか。

まあ、これをかけて寝っ転がった状態で Ever17 や AIR を読むのもおつなものであろう。って両方ともせっかく発売に買ったソフトだというに、積んでおかないでさっさとやれよ>俺



ゲーム版はスルー

録画しておいた先週の「ミルモでポン」を観てその間の CM にてゲーム版の制作会社を知る。うわ、絶対買わない。家訓でそう決められているので。

これは私の決定です!!
お兄様、涙が止まりません。



過ぎ去りし美しき日々

成田の所で手伝いをしている間、アニメ版あずまんが大王の大体 2クール目の部分をだらだらと流していた。エアチェックしたものだが、ところどころ撮りわすれがあって話が飛んでいるのが悲しい。

まーそれを流しながら適当に話しをするわけだが、話が「女性があずまんがを読んで楽しいものなのか」という方面へと流れる。
なんでかというと、あずまんが大王は「萌え系」ではないが、「女子高生がこんな風に楽しく学園生活をしていると良いなあ」という男の視点から見たドリームがたぶんに含まれていると思っているからだ。そこまで極端ではなくても男性視点で描かれているには違いない。
そんな内容であっても、良くある萌え系の様な匂いが鼻についたりはしないのでまあ受け入れられているんだろうなあと憶測する。実際にどういう母集団に訪ねるかによって色々と返答も変わりそうだが。
んじゃなんで萌え系ほどきつく感じないのかというとキャラが生き生きと動いているからなんだよな。もちろん、各キャラの個性は無茶苦茶強くて非現実的ですらあるが、不快な誇張でないあたりなんだと思う。実際にこういう奴いるよな、いたらいいなという所を伸ばしている。
一言で言うと「媚びていない」というあたりになるのか。

また面白さを増長する要因の一つが「学校生活」を描いているところだと思う。
日本国民のほとんどが高校に通った経験があるし、そうでなくても中学校までは経験があるはずだ。そういった唯一の「共通の体験」が学校生活である。
それゆえにどういった行事があって、どういった内装で、どういった生活が行われているかという経験則がほとんどの日本人の間で知識として共有されている状態にあるからだ。
だから学校という中で突飛な事件が起きたり、奇行を行う人物がいたりすると自分の経験則と照らし合わせてそれが相対的にどれくらい面白い事象なのかが見当がつくのだ。

エヴァンゲリオンというアニメの設定では、到底通常とは言えないような環境に日本は陥っていた。だが主人公達は学校へと通う。冷静に考えると奇妙な気もするのだが、この学校生活を描写することにより学校という尺を用いて視聴者の中に個々人として相対的なキャラクターを作り出す。つまりはキャラクターを身近に感じて親近感や思い入れが強くなるのである。
また、学校という単語をハブに大きな説明無く登場人物の枠を広げる事ができる。

そう考えると「マリア様がみてる」も「あずまんが大王」と同じような文脈ではないかと思う。「マリア様がみてる」の場合は女性が夢見る「女子高生がこんな風に楽しく学園生活をしていると良いなあ」という物語だと思われるからだ。
どっちにしろ「楽しい学園生活」という物語はぞくぞくする。
そういう文脈でいうと男性でも読めるというのはなんとなく納得がいくのだ。
# もっとも私はまだ「マリア様がみてる」の頭の方しか読んでいないので
# 言及できる立場に(まだ)いないのだが

つまり何かというと「学園物は偉大かつ不変なものであることよ」という事だ。
学園王道物というのはほとんど無くなったが、なんらかの形でこれからも学校という舞台が物語に織り込まれる事であろう。
そこには受け手が持っている眩いほどの思い出がスパイスとして隠れている。



膨らみすぎた風船は割れる

私個人としては既に恒例になっている感はあるが、また成田香車の所へ行って奴のエロ漫画にベタを塗ってきた。つまりアシスタントモドキだ。
実際に行ったのは先日 14日の夜から翌朝にかけてなんだけど。
どーせ 1日程度だから大した作業ではないんだけど、流石に普段ペンを持つことがないから指が痛くなる。トーンカッターの時はそんなでもないんだけどなー。

ま、そんなのはともかく、奴の所にいったついでにこないだの逮捕騒動となった松文館のビューティヘア先生の漫画を見せて貰う。(騒動の直後に買っておいたらしい)
あー、確かにこの甘消し(網点トーンですけすけの消し)はナニやのう。
ここしばらくのエロ漫画業界の消しは薄く狭くなる一方で物によっては無修正というのも数多くある。流石にここ 2年ぐらいは目に余るものがあったので、そのうちなんらかの手入れがあって厳しくなるんじゃないかなーとは思っていた。そして一時的に規制が厳しくなるのだが、またほとぼりが冷めた頃に甘くなっていくのだ。だいたいそんなことを5〜6年周期ぐらいで繰り返しているものである。
ちなみに漫画自体は劇画系でむっちり汁々な感じで興味の対象外だった。成田的にもお気に召さなかったようだ。

今回の逮捕騒動は漫画というメディアに「猥褻物陳列罪」が適用されたというところが焦点で、考えようによっては恐ろしい発展をしかねないところにある。でもまあ業界的には仰天動地というわけでもなく。
それなりに理由があるかららしいけど。
でも消しはちょっと強化されているよ。というか普通に戻っただけか。

どっちかというと「今のうちにやっとけー」的な幼物の乱作の方が目に余ってしょうがない。あれはやめとけって、やるなとは言わないしむしろ受け入れる側だったりするけど、行き過ぎは良くない。最終的に自分の首を絞めるだけだから自主的にブレーキかけて徐行運転しておけって。



ネットとコンテンツと暴発力

ぴょんきー松尾が「任意読本〜任意ラヂヲ完全解説集」を持ってくる。
再販されたときに買っておいて〜、とたのんで査収しておいて貰ったものだ。それが今頃届いた次第。(あ、本代渡すの忘れてた>ぴょんきー)

あー、なんか改めてみるとなんか懐かしい感じやね。2002年のインターネット(の片隅)で話題だったコンテンツの一つであると断言できるし。
任意ラジオの歴史として書いてある第1回の公開後 2日目に YU-SHOW Bomb(ビュー数が多い人気サイトにリンクを張られてとてつもないアクセスがある様)を食らってサーバーが落ちるってのが懐かしいやね。あれで一気に元ネタの個人ニュースサイトに広まって、後は見てのとおり。実は YU-SHOW さんにタレこんだのは私だったりするので懐かしいエピソードになっているわけだが。
まあ、ネタとして使われているので遅かれ早かれ伝わっていたであろうし、ふぁん氏もそれを狙っての事だったと思われるが。
でも当初はアンテナ系日記サイトを中心として話題になっていただけだったので、それがオタク系個人ニュースサイト(もしくはそのコミュニティにいる日記)まで伝播するかどうかが成否の要であったと思っている。

ここ最近のネットコンテンツを見ていると、それがヒットするかどうかのカギは個人の日記および個人ニュースサイトにかかっていると言っても良い。
日記もしくはニュースリンク(便宜のため以下まとめてウェブログとする)に取り上げられるということはその記述者にとって興味深い内容であるということで、ここで小さく視聴者を掴んでいる。コンテンツを見つけてそれを気に入るか入らないかというのは個人的嗜好にかかってくるので全員がそれを記すことは無いと思われる。だけれども、ウェブログに置いてはその書かれた物を読む人はおおよそ同じ嗜好を持つもの同士である事が多い。同じ趣味を持つ物のウェブログは自分にとっても面白いのでそれを読みに行く、そして自分にとって興味深いトピックを見つけたのでそれを自分のウェブログに記す、それをまた誰かが見るといったフローで情報がバケツリレーで伝わっていく。P2P 型の情報伝播トポロジーである。
ここで流れていくのは情報であるところが Napster 等のファイル共有システムとは違うし、特定のアプリケーションもサーバーも必要としない。
ポイントとなるのが、各ロガー(記述人)の趣味嗜好でそれら情報がフィルタリングされるところである。コンテンツ自体がさして面白くも無い場合、それを紹介しようという人があまりおらず伝達はされずにノードは切断される。逆に誰が見ても面白い物であった場合はまんべんなく情報が行き渡る。
自分の所のページが個人ニュースサイトに掲載された場合が最もわかりやすいのだが、その情報が伝わるノードを追っかけていくとかなり面白い。本当に 1点の紹介から始まってそれが網の目状に広がっていくのである。まあ、そんな人気ページを作れたことはほとんど無いので滅多にお目にかかれないのだが。

そういった様にウェブログで取り上げられてソレが伝播するといった流れに乗ることさえできれば認知度が爆発的に上がるし、認知度が好意的に上がればそれは人気があるということになる。あとは話題が話題を呼びそれなりに話が膨らんでいく。
だが、逆に自分からウェブログに飛び込み利用することで爆発的な波及力を持つという作戦に出る者が現れた。それが偽春菜(後の任意、何か、伺か)であり、任意ラジオであった。
偽春菜(以後「何か」)がウェブログの更新ヘッドライン機能を持ったのは突然のことであり、ヘッドラインを取られる各サイトには何も連絡はなかったという。各サイトは自分の所へのアクセスログで突然の来訪者を知り、その正体が「何か」であることをログを辿ることで知ったと聞く。そしてその正体がデスクトップアプリケーションである事に興味を示し自サイトで紹介し、それが広まっていった。任意ラジオの場合はコンテンツ内で各ウェブログや管理者の名前を出し劇中のネタとしている。
どちらも突然のことであり、相手先のサイトにきつく怒られても当然ではないかとも思われる様な行為だ。しかし、コンテンツ自体の楽しさの方が勝ることにより各ウェブログ管理者はそれを容認してしまった。(ひょっとしたら一部は怒ったのかもしれないが)そのとまどいと受け入れの微妙なバランスを成し得た理由がオタクとしての共感と理解性だったのだろう。
おそらく、この一連の流れが無かった場合どちらも現在ほどの広まりと支持を受けることはなかったであろうと思われる。
まあ、任意ラジオは「何か」が行ってきたことを意図して再現しようとしていたのだが。

それでは今後もこのように各ウェブログを巻き込む形で宣伝流布を行っていけば人気コンテンツがガンガン作れるのだろうか。ある意味では正しく、ある意味では間違いだろう。
ちゆ12歳が本を出したり、侍魂の健さんが鉄拳4のCMをやったり、健さんとひろゆき氏がアプリケーションソフトのパッケージに載ったりとかいうのも発展形
ではある。ゲームのレビューを人気サイトの管理人にやって貰うという試みも実際になされている。
しかし、基本的にはウェブログを書いている一人一人がコンシューマである事を忘れてはいけない。そしてそれらの人に受け入れられるか蹴られるかは各人の趣向に因るのである。

任意ラジオのスタッフ陣から出ている各種コメントを読むにプロデュースの成功とそれに対する大きな自信を持っている様に見受けられる。まあ、意図してやったことが思った通りになっているので悪くはない。
しかしなんというかやっぱりまったくのオリジナルコンテンツでなくて、既存のコンテンツを元にした 2次創作物であったからの結果じゃないかという疑念もある。まあ、これは単なる私のやっかみでしかないんだが。
全くの無名がゼロから新しいコンテンツを作成したとして、それを波に乗せるのは洒落にならないくらい大変なことである。最近だと「月姫」がそれを成し得た成功者であろうか。
そうでない場合、2次創作物的な物のほうがオタク的に受け入れの閾値はぐーんと低くなる傾向にある。だからこそ受け入れやすいし広まりやすい。
つまり、ウェブログコミュニティに対する暴力的とも言える介入も「さくら」というキャラクターが既に存在し人気もあったから受け入れられていたのだという事を付加しておきたいのである。
もちろんそれは悪いことではない。むしろそれだからこそ皆に受け入れられる、という部分を大切に確実に伸ばしたところは賛辞すべき事象である。オリジナルでも同じ事ができたかという疑念もあるが、良くそれを為し遂げたという尊念の方が幾分大きいので。

世の中良い物がうけるかといったらそうではない、よりよくプロモードできる力の方が重要である。良い物新しい物という要素はそのプロモートの手段となるだけである。
売り込み、営業、皆が望む物を適時提供、そういった能力が自分には物凄く欠如しているため、うまいことやっている人がうらやましく思える。ようするにそれだけ。



It is wrong. (ちゃうねん)

個人ニュースサイト経由で「あずまんが大王の海外反響」というコラムにたどり着く。
ここはいつも海外のアニメオタク事情をサイトの翻訳で語っておられて、読んでいてかなり楽しい。今回は「日本人以外があずまんが大王(アニメ)を観て面白いもんなのか?」といったお題。確かに疑問ではある。

結果としては面白さはバッチリ伝わっているらしい。
大阪の天然は抱腹絶倒だし、ちよすけは可愛いらしい。
一番の疑念として「日本の学生生活とそこに漂う些末な感情(受験に対する不安とか)」が伝わるのかとか、それがわからないと面白くないんじゃないかとかいうのがあるわけだが、完全には伝わらなくてもキャラクターは生きているらしいし大体理解はできるようだ。
なるほど興味深い。

他のコメディ(シンプソンズとか)に比べ、殺伐とした空気が一切感じられないし登場人物はみな温かくそれでいて微笑ましい、とかいう評を聞くと「あーそうかもな」と思ってしまう。アメリカあたりのコメディ路線とはラインが違うからなあ。
(どっちが優れているとは言えないと思います)

まあ、コラムにもコメントされている様にこれらの反応を示している人達はジャパニメーションが大好きで、日本語版をそのまま観ているような筋金入りだから一般論ではないのだけれども。でも、あずまんが大王の面白さをわかってくれる人が海外の人にも多いんだという事を知ってなんだかうれしく思う。

関連リンク
http://www.tekipaki.jp/~moonlight/misc/azumanga.html



俺スラド

雑誌にて XOOPS というコミュニケーションサイト構築アプリの存在を知る。
ま、よするに掲示板が発展したスラッシュドットの様なサイトのプログラムで PHP-Nuke から派生したものらしい。
そういった意味ではそのものズバリ slashcode が存在していたし、別段目新しいものではないんだけど、なんかインストールが簡単そうだったので目をひいた次第。

こういったシステムを content management system (CMS) と呼ぶらしい。なるほど。
OPENCMS なんてプロジェクトもあるなあ。
http://www.opencms.org/opencms/opencms/index.html

実際使っているところをみると、個人的 Weblogger としているところもあるし、プロジェクトのサイト&コミュニティ構築に使っているところもある。なるほど。

こういった一極集中型 BBS システムはあんま興味は無くなってはいたんだけど、
手軽に構築できるというのはなんかいいなあ。試してみたいような気もする。
Zope とか WebSphere とかはサイト開発アプリケーションだから、より柔軟であるけれども手間はかかるし。
しかし、CMS を設置したところで皆様に書き込んで貰えなければまったくの意味がないわけで。そういった意味では私がなんか作っても「在るだけ」状態になるんでないかなあ。

それはさておき、もし作るとしたらどんなコミュニティサイトにすると色が出るのかなあと夢想してみる。
やっぱりアニメやゲームの話をしても迫害されないのがいいなあ。「お前ら今週のシスプリ見ましたか?」とかいう話が流れているのが自然だったり。「キディグレードではエクレールとリュミエールどっち派ですか」とか語れたり。それでいて、技術話も出来たり。どっかでゲーム作りたいんですけどスレッドが立ち上がっていたり。
うーん、技術屋やクリエイターがアニメ漫画ゲーム系でなんか作りたいんだけどという指標を持ちながら、そういった目でコンテンツを語り合うコミュニティといったところか。ただファンなだけでもなく、ただ技術論でもなく、何かを創るという目的があってそのために観ていると大分視野角や切り口が違ってくるもので。
そういう場はないものだろうか。

実際作ったところで人が集まるとも思えないのであくまで夢想。

関連リンク
http://www.xoops.org/modules/news/
http://jp.xoops.org/modules/news/
http://slashcode.com/




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