Archive for the 'コミュニケーション' Category

それはとってもゲームだなって

昨年末に「『魔法少女まどか☆マギカ』は10年代の魔法少女を見せてくれるのだろうか」なんて事を書いていたのだけれども、その『まどか☆マギカ』が異色作として話題になっている。
これを書いている時点では第6話で、この後どうなるかはわからない。けれどもネット上で現時点でほとんどお祭り状態な感じであり、このアニメについての歓談は花開きまくっている。
それというのも、予感的中というか、なんというか『そ れ 魔 法 少 女 じゃ ね え よ』というハードな内容だったり、ふわふわきゃきゃっを期待させておいてたたき落としたりといったすごい展開を見せているから。
といってもアニメそのものが面白いというよりもそれを肴に皆で語り合ったり、契約ネタで盛り上がったりといった行為が楽しい感じ。
なので「そんなに流行っているならBDを買ってみてみるか」といったアプローチはオススメできない。できるだけ毎週リアルタイムで追いかけて、そのときそのときの盛り上がりについていった方が良い感じ。

傑作というのとは微妙に違うんだけれども、話題になっているので見ておきたいアニメというのが数年に1本のスパンくらいで存在しているように思われる。
そういった話題になっているアニメってのはレコーダーに録っておいて後で一気見とかじゃ駄目で、ましてタイムラグがある BD/DVD のリリース待ちでは味わえない何かを持っている。それは「この先どうなるのだろう」というわくわく感であり、それを皆と共有してこれまでの解析とこれからの予想を語り合うという、そういう体験が重要だからである。
なので、ときたま現れる話題のタイトルについては毎週リアルタイムで視聴し翌週までの間は皆と語り合ったりブログに書いたり、それを読んだりしたくなるものなのである。
そういう過程が楽しいアニメのうち何本かは終わってしまうと結末にがっかりするなどして綺麗に忘れ去られる事もあるけれども、その場合でも放映期間中のわくわくは本物なのだ。
今だとインターネット経由でほぼリアルタイムに情報や意見を交わせるので、そういう「語りたくてしょうが無い」アニメに出会ったときずいぶんと幸せな思いをできるようになった。ブログやTwitter、実況掲示板などで emotional を余すところなく共有できるのだから。
昔だと、「新世紀エヴァンゲリヲン」のTV版を放送リアルタイムで見ていたときなどがそうだったのだが、この頃はインターネット(所詮ダイアルアップ)の普及率も低く、まだパソコン通信が残っていた時代。なので、毎週の展開とこれからの予想を熱く語れるのはせいぜいで会社の同僚とか友人とかそういった近隣の数名程度であった。
そう考えると、ネットワークが発展したここ15年でコンテンツの消費の仕方がかわったもんだなあと思う。

そういう、皆と語り合いたいアニメ、コミュニケーションの中心にあるアニメというものを考えているとどこかでみた構造だなということに気がついた。
かつてゲームはコミュニケーションのハブであり、ゲームそのものを楽しむよりゲームを楽しむことで他者とコミュニケートが取れるようになることの方が重要であるという見解をしていた事がある。
ゲームというコンテンツそのものよりも、ゲームを取り巻く外側にある世界で楽しむ事も含めてゲームなのだというお話なのだけれども、「ゲームがオープンであること」というタイトルの記事の下の方にそのあたりが書いてある。11年も前に書いたものだけれどもね。
その後、ゲームの外側で語り合う事を前提として世に放たれ大成功を収めたのが「ひぐらしの鳴く頃に」だったと思う。これは作者自身も、ネット上で語り合うこと自体がゲームだと公言していた。
東方Projectもゲーム外のコミュニケーションが成功している例だが、これは狙ってやったというよりもゲームをハブとしたコミュニケーションから、キャラをハブとしたコミュニケーションへずるりとシフトした結果ゲームから離れて単独で大きくなっている感じがする。狙ってやっているかというと、ひぐらしほど意図的なものではないだろう。

ゲームはアニメと違うよ、インタラクティブコンテンツだよ!という声もあるかと予想されるが「ひぐらしの鳴く頃に」はほとんど選択肢も分岐もない読むだけのデジタルノベルであった。しかし、コレがゲームとして認知されているのは、先に挙げた『プレイヤーのゲーム外での行動』そのものがゲーム的だったからである。
「ひぐらしの鳴く頃に」というノベルを読んで、その感想を語り、その先の展開を予測し、それを皆と語り合って楽しむ。そういった行為そのものが推理ゲームであったのだ。
少しずつ展開していく話に一喜一憂し、話が進むたびに皆と語り合う。その、みんなの意見を読む、感想を書く、意見を述べる、そして自分の意見への感想を得る。そのコミュニケーションは十分にインタラクティブと呼べるだろう。
ならばアニメを見てその都度感想やネタで盛り上がるのも同じコミュニケーション体系であると言えるのではないだろうか。

楽しいゲームを創るというのはそういう事なのだと思う。
「魔法少女まどか☆マギカ」を観て感想を述べ、ネタを飛ばし、展開予想で熱く語り合うというのはマクロな視点では立派な推理ゲームである。下手をすればムービーが綺麗で映画のようなゲームよりも面白いかもしれない。
それがとても面白いのは語り合うというインタラクティブ性の向こうに人間がいるからである。同じコンテンツを観て語り合うことのできる同士が。
そういった同士とインターネット上で出会えるようになり、ブログ等のインフォメーションツールで容易に意見を交換できるようになっている。これは真の意味でのソーシャルゲームとなっているのではないだろか。
コアがアニメだろうがゲームだろうがこの構造は、あまり変わらない。
むしろ重要なのは、そのように周辺にコミュニティを構成したくなるようなタイトルであること。つまり、観た後プレイした後「誰かと語り合いたくてしょうがなくなる」アニメ/ゲームであることなのだ。
成功しているタイトルというのはそういった場作りが非常にうまい。
だが、クリエイター側がそれらを準備してやっても即座にコミュニティが形成されるわけでもない。ただ、そうしたくなるような物を提供するだけである。

そう考えると「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメにネタを仕込んでくるスタッフ陣はやっぱり巧いなー、とうならざるを得ないところなのだ。



電子書籍端末は双方向化を目指せないのか

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いつものように通勤電車の中でラノベを読んでいた時に、ふと文庫に挟まっている「愛読者カード」に目がとまる。いわゆるアンケートはがきという奴だ。
書籍が紙の本という形態をとり続けることについては、実は読み手にとってもメリットが多いのでこのままでもある程度はかまわないのだけれども、この愛読者カードが読者の郵送によるものという形態をとり続けるのは果たして良いことなのだろうか。

作家さんにとって「ファンレター」なるものはうれしい存在であると聞く。そういった作品に対する反応というのはどんなジャンルの作者であっても気になるものだろう。
まあ、今ではWEB上にあるレビューサイトやBlogでの読後レビュー記事などを作家本人が読んで回るといったことも可能ではあろう。しかし、そういった記事はどこにあるかわからないし偶発的な存在でしかないことが多い。
そうではなくて、アンケートや感想といった読者側にある情報を出版社はもっと低コストで数多く集める努力をしてみても良いのではないだろうかということを考えたのである。
ラノベ界隈でざっくりと見たところでは、WEBやメールでファンレターを集めている出版社はなかった。かろうじて全部ひっくるめてのご意見フォームを設置しているのがファミ通文庫のFBオンラインのみであるという状況。電撃はBBSを設置しているけれどもあんまり稼働していないなあ、publicに見える場というのも使いにくいのかもしれない。

そこで考えた。KindleでもiPadでもSONY Readerでもなんでも良いから、本を読み終えたときに端末以上で読後アンケートをとってその場で出版社にネット経由送信してしまえば良いのではないかと。これなら、読者アンケートの敷居はグンと低くなるし、出版社も数多くの反響を手にすることができる。
そして、それが行えるというのがデジタル端末ならではな付加価値なんじゃないかと。
その後、アンケートを集計して再配信したり、作家からのコメントが寄せられたりといった風に展開すれば低価格なファンサービスにもなるのではないか。

この提供者と受容者の相互関連性というのが今後ことさらにクローズアップされていくのだと思う。
そんな中にあって、旧来然としたメディア提供者は一方通行であり続けようとしている。メディアによっては確かに一方通行になりがちなのはしょうがないのだけれども、デジタル化オンライン化によって相互通信が可能になってきている。そして、人々はその相互作用性に価値を見いだし、依存し始めている。
そのような流れを生かしてこそのデジタル化なんじゃないだろうか。

プロのメディアクリエイターであっても「視聴者の生の声が聞けるから」といってニコニコ動画に投稿している例は少なくない。それと同じで、読者の声を拾う手段がいつまでたっても現れないのであれば novelist.jp の様なネット上の作品発表空間が力をつけていくのかもしれない。

[追記 Apr.04.2010]
「ラノベ界隈でざっくりと見たところでは、WEBやメールでファンレターを集めている出版社はなかった。」と書いちゃいましたが、MF文庫Jが既にアンケートはがきを廃止してWEBでのアンケートフォームへと移行していました。おそらくは2009年10月以降の刊行本からだと思うのですが、奥付にQRコードがつくようになりました。それを経由してアンケートフォームへ飛べます。
アンケートに答えると、携帯電話用待ち受け画像がもらえるということでご褒美としても手頃で良いサービスだと思います。
ただし、このアンケートフォーム、携帯電話からのアクセスしか受け付けません。DoCoMo経由のAndroidでははじかれました。読者層を若いあたりに想定していると推測するに携帯電話(除くスマートフォン)のみというのでも良いのかもしれませんが、もうちょっと幅があった方がうれしい気がします。



無友力の高いWEBサービス

『「無友力(むゆうりょく)」という言葉を流行らせようと思います』

ライトノベル作家の森田季節氏が無友力なる言葉を提唱しているtweetを見かけた。
いかに友人が少ないか。通常は多ければ多いほど良いとされる友人数の逆をして、友人の少なさとそれに伴う「何か」の強さ(自立性とかそんなの)を肯定的にとらえ評価するための指針なんだそうな。なんというか、この、実にそそられるものがある単語ではないだろうか。
ぶっちゃけ「非コミュニケーション」の事であり、コミュニケーション力の低い事を自虐的かつ憂い顔もなく語っているだけなのだけれども、恋愛至上主義と同じくコミュニティー至上主義になりがちな風潮においてちょっと一石を投じる可能性はないだろうか。なんて言ってみる。
この「友達が居ない」とか「非コミュニティー体質」の事を最近のコメディ界隈では「残念」と称して、ラノベや漫画での1ジャンル(属性か?)として定着しつつある。平坂読氏の『僕は友達が少ない』なんてのはタイトルまんまだし、瀬那和章氏の『レンタル・フルムーン』も帯に「残念なキャラたち」とこき下ろしていた。『レンタル~』の方は人付き合いが下手と同時に、恋愛に対して鈍感な主人公とヒロイン(両方)というダブルミーニングではあったのだけれども。
そんな感じでコメディ方面ではすっかり「変態系」から「残念系」へシフトしたのではないかと見ている今日この頃。
こういった「つきあい下手」が「残念」と称してステートにして笑えるネタに転じているのを見て、ああこれがまた新しいlifestyleとして定着したのだなと見る。その昔、侮蔑用語だった「オタク」が自虐ネタへ転じてその後ひとつのスタイルになったのと同じである。最近だと恋愛至上主義との決別を「非モテ」と自虐しステート化していたのが記憶に新しい。
そこにはもう非難的な意味は含まれていないのだ。
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ARANCIA PROJECT

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pixivをほろほろと眺めてみるとたまに “ARANCIA” というオレンジ娘が居て目に付く。
なんだか妙に気になって「なんじゃこの娘は」と調べてみるとどうやら “ARANCIA PROJECT” というコラボレーション企画らしいということがわかった。
発端は VL というポルトガルの青年。日本のアニメが大好きな芸術大学生で、日本のキャラクターアートを研究するために「私の作ったオリジナルキャラクター『アランシア』をどうか日本の画描きの方々の手で描いてもらえませんか」とお願いをしてみたらしい。
インパクトのあるオレンジ色となんとなくあずにゃんそっくり割とツボを押さえたキャラクターが受け入れられて色々な人によるアランシアちゃんが誕生している最中というのが現状。

ほんわかとした国際交流っぽくて良いね~。



最近のニコニコ動画論にぼんよりと思うこと

正直に白状すると、最近は以前ほど没頭してニコニコ動画を見てはいない。いや、比較的に言うと結構見ているんだろうけれども、ランキングや掲示板をチェックして今の流行をばっちりキャッチというウォッチの仕方はしなくなってきた。体力的について行けないとか、マイリスト数ランキングのあの独特な空気にもういいや感を見てしまったとかそんなところで。
個人的お気に入りタグの巡回を基本として、はてなブックマークで注目の動画をのぞいたり、たまにランキングを眺めて全体の傾向をつかんだり。
それはそれで十分に満喫している気はするな。

何かというと、ニコニコ動画にあがっている動画をほぼオールレンジで閲覧するのは無理になったということ。去年の今頃はまだなんとなく全体像が把握できていたような気がする。

2007年秋のあたりはいろんな人の「ニコニコ動画論」を読んで回るのが楽しかったのだが、最近はなんか違ってきているような感覚がある。大上段でばっさり系の記事ほど気持ち悪いズレを感じていたのだけれども、なんとなくわかってきた。
自分が見ている(知っている)動画のジャンルのみで「ニコニコ動画」という全体を語ろうとしているからじゃないだろうか。
「ニコニコ動画=権利動画の無断転載」とか「ニコニコ動画=アニメネタMAD」とか「ニコニコ動画=素人のつまらない動画でくねくねするコミュニティ」とか。なんか、特定のジャンルだけを取り上げてそれで概論を語ろうとしてはいまいか。その手法は褒めるならともかくけなすには向かないと思う。

なんつーか、ニコニコ動画も人が増えました。増えすぎました。
あまりにも人が増えて、2ちゃんねると同じ状態になっていると思う。つまり、ありとあらゆるタイプの人間が自分の興味があるところに通っている状態。プロもいれば、専門家もいる、アーチストもいればクリエイターもいる。映画やアニメだけじゃない、「料理」タグにもその道のプロが潜んでいるかもしれない。だからこそ面白い。
それを、ステロタイプで決めつけてざっくり批判すると、こっそり楽しんでいるどっかのだれかを攻撃することになるかもしれない。芋洗いに石をなげるようなもので。

2ちゃんねるの場合は「板」というセグメントがあって、それぞれにまったりとやっている。どっかで集団ヒステリーを起こして問題視されたとしても「板違い」ということで関係ないねと気にせずにいる。この構造が多種多様な人たちを許容するうまい仕組みになっていると思う。
では、ニコニコ動画はどうかというとこのへんがちょいと危うい。「板」に相当するのが「タグ」によるクラスタ(コミュニティといっても良いかもしれない)何だけれども、基本フリーダムでシームレスなので完全に分離してはいない。また、ランキングの存在が他クラスタからの視聴者流入の可能性を生み、セグメントとして機能はしていない。
カテゴリータグは1つしかつけられない特性上セグメンテーションの機能を強めに持っているけれども、壁ではないよな。

そういったタグによるなんとなく存在するクラスタと、でもやっぱりシームレスな見通し感がニコニコ動画の良いところである。でも、より一層の大衆化と人員の増加を目指すのならばなんらかの分割を考慮した方が良いのかもしれない。
ユーザーの方でタグによるコミュニティ分類化をちょいと意識するだけでもだいぶん違うとは思う。だから「ほにゃららタグオフ会」なんてのがもそもそと出てくるかもしれない。

または、カテゴリタグの定期的見直しや2階層化なんかもあっても良いのかも。
結局「作ってみた」系はカテゴリタグ化されなかったので、「ニコニコ技術部」はどこに入るのか中途半端に不明なままなのよね。「科学」か「ニコニコ動画講座」を想定されているのかもしれないけれども、単に工作の成果物提示だとどちらでもなかったり。初音ミクでBGM歌わせると「音楽」にカテゴライズされたりして、それもまた違わないかとか。
わたあめの人ことAYUMU氏は黙々と「その他」タグをつけていたりするし。
まあ、「作ってみた」も「ニコニコ技術部」も1000〜2000個程度の弱小クラスタなんでその他扱いでもしょうがないところですけれどもね。
ちなみに「作ってみた」はフィギュア作成やクラフトといった工芸系が多くて、ニコニコ技術部は工作やソフトウェア作成といった工業系が多いタグなり。



初音ミクとドーナツ

ここ数日話題となり、激しい議論が応酬されている初音ミク周辺の問題である「デッドボールPの『ちょっとHな』楽曲削除問題」について。
この件については静観をするスタンスであったけれども、あまりにもおかしな方向に転がっているみたいなのでちょっとだけコメントしておきたくなった次第。駄文におつきあいくださいませ。

削除行動についてはクリプトン・フューチャー・メディアから一応の声明が出されているため、これ自体は疑問の余地は無いと思う。もっとも、どの動画の事かははぐらかして書かれているためすっきりしない部分もあるのだけれども。
私が問題視しているのは削除決定そのものではなく、それが一般視聴者による通報によって起こされたという事にある。ピアプロブログでの報告においては以下のように書かれている。

今回、公序良俗に反する歌詞を伴う作品がニコニコ動画に連続的に投稿されているとの通告を一般視聴者の方より受け取りました。

この文を読む前に状況としての背景を理解しておく必要がある。
デッドボールPは「ちょっとHな」シリーズで人気を博した。「中だし」だの「妊娠しないから」といった刺激的な歌詞をミクに歌わせたというのももちろん話題の理由なのだけれども、それ以上に楽曲としての出来の良さとエッチだけでないドラマを含めた詩の物語性も高い評価を受けている。
「既成事実」のラストで泣きながらお別れを言うミクには胸を締め付けられる思いをしたものだ。
でまあ、作者への評判が上がると共に強烈なファン層を形成していくことになるわけだ。その上級のファンをさして「信者」と呼ばれる。そして光が強いほど影が濃くなるがごとくに、セクシャルなネタが受け入れられず信者を目の敵にする反対勢力が目立ってくるのです。こちらは「アンチ」と呼ばれてますな。
何が言いたいかというと、今回の問題は「信者」VS「アンチ」の諍いの結果であるということですよ。ここ最近のデッドボールP周辺においてはその信者とアンチのコントラストが強すぎると思っていた。
そうしたアンチの行きすぎた行動の結果、クリプトン・フューチャー・メディアへの通告という形になったのだと考えている。(おそらくは執拗な)通告をうけた以上、クリプトンもニコニコ動画もついには動かざるを得なくなったのではないかと。

だから「使用許諾」や「公序良俗」といったワードを議論しても空転するだけで、前向きな物は生まれてこないのです。
これまで初音ミクという現象に対しては「旧来然としたメディア」が仮想敵として据えられており、ユーザーとファンがその外部の敵に向かって主張することで団結とモチベーションを得るという構図があった。今回は本来味方であるはずのファンが暴走・分裂する形で、内部そのものが敵となってしまったのです。
これは典型的なコミュニティー崩壊の兆しであり、コミュニティの大きさが限界に達して自重崩壊を始めているものと捕らえている。

それじゃ削除処置が適当だったかというと、やはりちょっと失敗していると思う。作者不明なわけでもないし、本人も指摘されれば自主的に削除する様な人物であったはずなのに勧告で済まさず権利者削除としてしまった。
これをちゃんとメールで指摘して自発的に削除してもらう形にしていれば「デPついに名誉の削除勧告w」と笑い話で済んでいたと思っている。そうではなく、権利を振りかざしての強制削除という恐怖政治的な処置をしてしまったことはこの後じわじわと影響が出てくるのではないだろうか。(この前から起きてはいるけれども)
まあ、ニコニコ動画もクリプトン・フューチャー・メディアも人手が足りずきゅうきゅうしている様に見えるから、一般視聴者からのメールにいちいち丁寧な対応をしてはいられないのだろうなあ。

そんな状況を上手いこと表現しているなあとおもったのが、斑石うにもさんのBlogタイトルである「初音ミクブームのドーナツ化現象」
なにやら周辺だけが盛り上がっていて、本来ニコニコとクリプトンにとって最大の財産であるはずのクリエーターが恵まれていないといった指摘。(指摘自体はazuki-glgさんの「ヒット曲の栄光に立ちはだかる初音ミクという名のサイレン」が元記事)
上記記事は初音ミクブームを作り出したクリエーター達に金銭収入が為されないといったお話なのでコミュニティ騒動とは違うのだけれども根底に流れている問題は同じものであると見ている。
真ん中不在でドーナツだけがぐるぐる回っている様ではそのうち溶けてバターになってしまいますよ、っと。

といっても悲観しているわけでもなく、みんなもうちょっと上手いこと対応するだけでまだまだ楽しくやっていけると信じている。



『ピアプロ』とガイドライン

『鏡音リン・レン』もサプライズだったけれども、仕込み規模を考えればこっちも相当なサプライズだと思われるクリプトン・フューチャー・メディアの投稿サイト『PIAPRO(ピアプロ)』
今のところはボーカロイドに限られるけれども、絵と音楽の投稿サイトとなっている。
ニコニコとかぶっている様に見えるけれども、どっちかと言えばPIXIVの方とかぶっているんじゃないかなあ。
面白いなあと思うのは、これまで接点が薄かった音屋と絵描きがあのCVシリーズのパッケージ一つで同じ場所に集いお互いの作品を評価しているところ。確かに何かが生まれそうな予感(だけ)はするわな。
ニコニコは作品展示場(同人誌即売会場)で、ピアプロはその準備会場(制作の裏方)、といった風に使われていくと幸せなんじゃないだろうか。大量の視聴者がピアプロに来るというのはちょっとイメージできない。

『ピアプロ』が開設されて真っ先に見たもの、というか気になったものは利用規約であった。「聞いて!見て!使って!認めて!を実現するCGMエンジン」というお題目がちゃんと利用規約に描かれているのかなといったところ。
ちと読みにくいので最初誤認したところもあったのだけれども、まあ良くできているんじゃないかなあ。あまりにも「当社が権利を有する」という言が強くて面食らうのだけれども、よくよく読むと基本となるコンテンツは制作者が定義した利用範囲に則していて、それ以外の(つっこまれそうな)穴をできるだけ全部塞ぎたいからああいった規約になっているのだと理解した次第。

さて、もう一つというか今回最大の目玉。以前から用意しますと公約されていたクリプトンが有する版権キャラクターの二次利用に関するガイドラインが提示されたこと。ちとわかりにくいけれども、ピアプロの「ヘルプ」→「コンテンツに関するガイドライン」に在るよ。
ま、よーするに非営利であればキャラクターを絵画的二次創作利用しても良いというクリプトンのお墨付きが出たわけですよ。羽目を外しすぎなければ、じゃんじゃんやっても構わないとゆことですな。ロゴについては範囲かどうか今回わからない状態ですが。「初音ミク」という単語自体は登録商標だから、下手な使い方はできませんけどね。

で、個人的に最も大きかったのがそのガイドラインにおいて
「但しゲーム作品を含むプログラム、立体物、衣装を除く」
という但し書きが付いていたこと。ソフトウェアとフィギュアは駄目だそうです。しょんぼり。
とりあえず早急に、私が公開していた「初音ミク」関連のソフトウェアは全て
頒布停止しました。よろしくお願いします。
まあ、制限がかかるよということであり問答無用でやっちゃ駄目という事じゃないので、これらガイドラインに含まれなかった作品制作については権利者にお伺いを立てていきましょ。

ソフト屋とモデラーは各自で色々と考えてくれたまへ。
『ピアプロ』楽しそうだなーと弱音ハク。



不在通知Pの目からみたあれこれ

すっかり一大ムーブメントと化した「初音ミク」。MEIKOのユーザーとして優待販売に申し込んだものの、ちと住所の記載を間違った関係で発売日当日に入手できないというアクシデントが起きる。「しまった祭りに乗り損ねた」と思ったのだけれども結局そのあとの広がりが大きくてファーストユーザー組に入ってしまっているのでした。
なんとか祭りに参加しようあせった所で「初音ミクが来ない?来た?」騒動(の萌芽)に飛び込んで楽しんでいる内に「不在通知P」とかいうプロデューサー名で認識されてしまった次第。
ちなみにプロデューサーというのは、ゲーム「アイドルマスター」由来ね。

普段あまりニコニコ動画に投稿した動画の事については語っていなかったりする。これは、ネタの解説をしても冷めるだけだろうから。
けれども、今回はちょっとだけ「不在通知Pとしての視点」から、周辺について書いて見たいと思う。

■初音ミク以前
初音ミクの前はMEIKO(とKAITO)という日本語Vocaloidがあって、一部がそれで楽しんでいた。それがニコニコ動画における人気の下地を作っていたし、MEIKO使いがその技を用いて高度な演奏を初音ミクに歌わせた事が初期の勢いを作っている。
それ以外ではアイマスの存在があったことについては、以前私も語っているし他でも同じ評を見かけるくらい当たり前の論である。
だがここで、もう1つヴァーチャルアイドルを語る上で重要なワードを書き残しておきたい。「僧侶」である。
「僧侶」というのはVSTiフォルマントシンセサイザーの「ディレイ・ラマ」のことである。ディレイラマは一種のボイスシンセサイザーだが「い〜あ〜お」の3種類の母音しか発声できない。その限定された母音で「お〜あ〜お〜あ〜い〜」とかお経みたく歌わせるのだが、個性的な絵面と中途半端な発声で笑いをさそいニコニコ動画でも定番となっていた。
問題は歌自体ではなく、キャラクターが創られていたことにある。
最も古くて最初に人気が出た動画「僧侶のアクエリオン」において、ディレイラマを3つ起動してそれぞれにボイスパートを割り当てていた。この3パートそれぞれ役割が違うことから、コメント達が「ヒ・ダリ」「メ・イン」「ハモ・リー」という名前を付けて親しまれることになる。
中でも「ヒ・ダリ」の活躍が少なく、おいしいところで仕事をすることから「これで給料同じなんだぜ」とか言って大人気に。そもそもで、便宜上付けた名前がだんだんとキャラクターとしての性格をも含むようになっていた。
バーチャルアイドル誕生である。
その後の動画も僧侶3人がニコニコにおける基本フォーマットとなり、「ヒ・ダリ」に笑いの要素を持たせるのがお約束であった。
楽器であっても絵と個性があればキャラクターとして存在できるといったオタク文化とニコニコ動画の空気は、この後初音ミクをヴァーチャルアイドルとして育てるのに重要な要素であったのではないだろうか。

■初音ミクが来ない?来た?騒動
初音ミクが来ない?来た?騒動は立役者であるワンカップP氏の一連の動画の事であるが、彼1人ではあそこまで引っ張れなかったのではないかと思っている。
一番最初の「初音ミクが届かないのでスネています」は確かに私も見て笑っていたけれども、それだけであった。それに応答する形で投稿された前日予約Pの「初音ミクが届いたのでスネていません」、これが凄かった。相手の動画に返信する形での連作という形にびっくりした。そして、視聴者が付けた「交換日記」というタグに激しく嫉妬した。動画間のリレーションをこんな形で実現したのだから。
そして「初音ミクが明日届くのでワクワクしています」という動画を作成して、このリレーションの中に飛び込んでいったのだ。まあ、もうちょっと多くの人が参加するだろうという思惑は外れてしまったけれども。
まとめ動画の最初の方で確実にワンカップPであろうと思われるコメントがあったのだが、ワンカップPもスペランカーのBGMを使う予定であったらしい。それを私に取られて非常に悔しい思いをしたのが、F1レースの時の「やりたかったネタも〜」のくだりとなる。ここで、始めてやりとりが双方向になりコミュニケーションがスタートすることになる。
ワンカップPがあそこで悔しさから歌を作らなかったら、以降は存在しなかったのではないかなあと考える次第。まあ、前日予約Pの火付けが見事だったからなんらかの反応はあったのかもしれないけれども。
ところで、前日予約Pと呼ばれている最初に返歌を作った奇才は、「ねぎミク」こと Ievan Polkka のはちゅねミクを描いたたまご氏と同一人物だと思うんだけれどもあまり話題になってないね。
[後日追記]前日予約Pは確かにたまごさんのアカウントでしたが、作者はOtomaniaさんだったそうです

ワンカップP氏はあれだけの人気を集めてしまったので、以降の作品作りが大変じゃないかなあと思っていたが順当に新作をリリースしており驚く限りである。やっぱり凄い人なり。
最近は歌そのものより、背景の写真の方でボケネタを仕込むというスタイルで確立しつつあるようだ。

■音声合成界隈
やっぱり語るに外せないのは「くまうた」の白熊カオスとそのプロデューサーであるサブ北島であろうか。
白熊カオスがちびちびと歌を作り投稿していたことは寡聞にも知らなかったので、出会ったのは「初音ミク」タグが付いてからである。他にも投稿者は居るのだけれども、その中で一番の人気者が白熊カオスというわけである。他の投稿者の作品もなかなか面白いので探してみると良いかと。
特に、初音ミク以降は新しいくまも参戦してきてちょっとした盛況となっている。特に、組曲『ニコニコ動画』をくまうたに歌わせているのなんかは、かなり無理があってつっこみを入れつつ最後まで見てしまう。もちろん歌詞だけで、曲は演歌なわけだよこれが。
他の音声合成だと、おしゃべりノートに無茶振りの人とか、テキスト読み上げ系の人達もいる。
ただ、こういったテキスト読み上げ系はイントネーションがおかしかったり機械音声だったりすることで笑わせてくれているので、初音ミクと比べるとネタの範囲が狭いのが難しいところ。なにか、あっと驚くネタで笑わせてくれることを期待している。

■その他
時計を改造してねぎミクを表現しようとしていた「初音ミク(はちゅねミク)のねぎ回しを実際に作ってみた」という動画があった。初音ミク祭りの中で1人PCから離れて工作という形で初音ミクを楽しもうとする姿にピコーンと来るものがあって、反応動画を作成した。「歌ってみた」「描いてみた」「3Dで作ってみた」といったそれまでとは違う流れだったのだよ。
まあ、それはともかく、「初音ミク(はちゅねミク)のねぎ回しを実際に作ってみた」の方で「メトロノームで作れば良いんじゃね?」というコメントが投稿されており、メトロノームが市場に貼られているのだが、そのメトロノームが 1つ売れていることには気がついているだろうか。
おそらくこの購入者が「初音ミクのメトロノーム」「初音ミクのメトロノーム その2」の作者じゃないかと見ているんだけれども、だとしたらネタとしてもうちょっと評価されても良いと思う。



つぶやき 08/26/2000

あちらこちらで現在のゲーム業界の行き詰まり感と今後新しい方針について
といった感じの文章を目にします。
まあ、どんな世界においても「不変」ってことはないわけでして。Microsoft
が他のOSに揺さぶられる時代が来ようなんて5年前は考えつかなかったと思い
ますし。(揺さぶられるだけで変化が無いのはまあともかくとして)

で、ゲーム業界は今後どうあれば良いのか。流石に私もそんなビジョンは持っ
てはいません。(いたら大金持ちになれたでしょうなあ)
世間では「ネットワークゲーム」とか言われていますな。スクウェアやコーエー
が本腰を入れて先陣を切ろうと躍起になっています。

「ネットワークゲーム」いかがなものでしょう?
それ自体の評価はしていますが、ちょいと離れてみると「どうよ?」と思わ
ざるを得ません。
時は10年前、モデムの速度が 1200bps から 2400bps に移ろうとしていたころ。
私は 300bps のモデムを手にいれてパソコン通信の世界を知りました。
そのときの興奮といったら無かったですね、これからはコレでしょうみたいに
情報処理技術者試験でもオンライン情報処理技術者試験(今のネットワークスペ
シャリスト試験にあたる)を受けてみたりして。
んが、パソコン通信の普及は頭打ちに終わりました。それが本格的に普及した
のはインターネットが個人で安価に利用できるようになった頃、つまりホンの
最近です。それも、末端で爆発的に受け入れられたのはパソコンを用いる形式
より携帯電話でした。よするにコンピューターネットワークを使ったコミュニ
ケーション形態というのは多くに望まれているモノの、パソコンを使うという
のはまだまだ敷居が高いのですな。それを買っただけではだめでモデムを電話
線につないで設置して、利用すると電話代がかかって…、これだけ煩雑だと
一般の受け入れはきつくなります。考えてみれば、お茶の間でテレビを購入し
たとして、アンテナの設置とチャンネルの設定をすべて電気屋さんに任せると
いうのが通常な気がします。チャンネルの設定ができなくてそのために電気屋
さんを呼ぶのもご苦労なことですが。

ゲーム機を買ってきてテレビに繋げる。ここまでは問題なし。
ゲーム機にモデムを繋いで、そこに電話線(もしくはなんらかのネットワーク
ケーブル)を繋げる。これは辛いんじゃない?テレビの近くに電話がある家庭
ってのもどれくらいなものやら。
結局そこまでやるのは「マニア」ってこと。確かにマニアは面白そうに物事を
楽しんでいるけど、それがみんなに当てはまるかというと疑問視。
このパソコン通信が成し得た範囲ってのはネットワークゲームにまま当てはま
りそうな予感がするんですけどね。

あと、普段コンピューターをバリバリ使っている人でも「文字だけの会話」に
疑問を持つ人がまだまだ多いと思います。確かにそれに慣れていると慣れてい
ないとでは理解力にかなりの開きがありますし、それを強要は出来ないもので
す。そのあたりからも「ネットワークゲームが今後の主流」という辺りに疑問
視してしまいます。
いや、ネットワークゲームがダメだとか将来性がないとか言うんじゃないです
よ。むしろ増えていくと思います。ただしもうちょっとスマートな別の形で…。



つぶやき 05/12/2000

現在の移動電話の加入者人口は携帯・PHS 合わせて 5764万人だそうである。
固定電話網の加入者数を抜いてしまった移動電話の行く先はどこか?
ま、取り合えず一人一台な国民IDというのは極端なので置いておくとして、
移動電話機の情報端末化というところに注目。
なにかと話題の i-mode の加入者数が 600万、 jSky だったかの周りが
100万、DDI-P の PMailDX 利用者がこれまた 100万ちょい。(ezWeb は勉強
不足のためちと不明)
とか考えると、情報端末としての移動電話機ってのは音声通話者の
1/5 未満の絶対小数派でしかなかったりするのでどこまで夢を見れるか
というのは見えて来ませんな。
でも、その流れは絶対のもので、JPhone の新端末は全てカラー液晶だそう
だし、DoCoMo の携帯も全てが i-mode になるとかいう話があったりする。
そうなると「携帯(PHS)を持っている=情報端末を所有している」事になり
積極的に使わないにしろ、そういったものを既に持っているという状況に
なるわけですな。

そういった情報戦争のなか、個人はいったいなにを皆に提供するのか?
とかいった固い話はちょっと脇に置いておいて、個人的に気になったサイト
の紹介など。
私は DDI-Pocket の PHS である -H” を愛用し、事ある毎に普及せんと
していたりするのですが、やっぱりそれがらみで(笑)。
-H” だけでなく DDI-P で PMailDX が扱える端末では「情報サービス」や
「オープンネットコンテンツ」といった WEB ライクなサイトの閲覧が可能
ですがが、それ用のサービスの一つとして「MOっPARA」がスタートしま
した。(今までは「もっぱら準備中」だった)
これ何かというと DDI-P 端末で WEB ページが作れるというもの。で、
そのページをジャンル毎にまとめて一つのコミュニティを作ろうという
のが狙いだと思われる。そうして作ったページはパソコンから WEB ブラ
ウザで見ることも出来るし、DDI-P 端末からアクセスすることも出来る。
ま、正直な話 PHS のキーと画面で WEB を作るのはあまり実用的では
ないかな。テキストオンリーという制限がつくし。
それでも面白いなと思う理由は、掲示版サービスもあるところである。
もちろんこの掲示版は WEB からも PHS からも利用できるハイブリッドな
ものであるところが大きなポイント。
聞くに i-mode でも人気があるのは(個人運営の)掲示版を中心とした
出会い系サイトであるとか。よするにこの手のおしゃべりはみんな欲して
いる所なのねん。(敢えてコミュニケーションとは言わないでおく)
で、この「MOっPARA」月額利用量として 200円がかかるのだけれども
サーバーエリアの提供とハイブリッド掲示版、そして将来的にはメーリ
ングリストが提供されるのだから実は結構良いサービスではないかと
思うわけだ。WEB の方は少々きついけれども、通常のページと比べずに
「名刺がわり」と考えればまずまず。
普通の人に取っては割と強力ではないかと。
取り合えず、ビバえっぢ☆

もっとも、自分のサイトを既に持っている私にとっては必要の無いもの
なわけだけど…




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