Archive for the 'fuwafuwaBlog' Category

ノートPCとソフトのライセンス

発売延期になっていた「JUST Suite 2007」が届いた。
ATOK はお気に入りで各マシンに入っているのでその最新版を買うつもりでいたのだけれども、以外と
一太郎2007が使える様になっているのに気がついたので、一太郎購入を計画。一太郎2003を持っている関係上、アップグレードパスを所有していて割と安めなのでどうせだからと JUST Suite にしてみた次第。まあ、購入を決めたのは延期が決定した後なので、その辺の影響は特にないのだけれども。

新しいソフトウェアを購入したと言うことで早速利用規約を確認する。
最近気になっているのは、購入したソフトウェアが複数台にインストールできるライセンスになっているかどうかということ。なんでかというと、デスクトップPCとノートPCの両方で使いたい場合が多いからですな。
このあたり明確に意識し始めたのは SONAR から。こいつはインストール時にシリアルコードと必要な物の、利用者が一人であることを厳守するのならば複数台にインストールしても良いという一文を利用規約内にあるのを確認したため。
それまで、アプリケーションというと、PC縛りで 1台に 1本というのが多くてそういうものだと思っていたあたり。
やっぱり、ノートでも同じアプリが使えないと不便でしょうがない。
ふと気がついてみると、契約が本体単位ではなく、利用者単位になっている物が主流となっているようだ。そういった声が多くなっているのだろう、もしくは購入した者の権利として認められてきているということだろうか。
一番厳格だと思っていた Microsoft も、Office のリテール版(バンドルではなくパッケージ版のこと)では、利用者が一人であればメインマシンで登録したのち「携帯PC」にもインストールしても良いことになっていた。
へえ、気がつかなかった。
どうでもいいが MS-Office のライセンスは読みにくいなあ。せめて表示ウィンドウが大きくできればよいのに。

そういった感じで、アプリ業界も「コピー駄目!」と取り締まるだけでなく、利用者の便を図っている部分もあるのだなあと感心した次第。
しかし、そのあたりはあの読みにくい約款をしっかり読まないとわからないので面倒ではある。
まあ、そんなの気にしないで使うのが普通なんだろうけれども、ここのところライセンス登録とか利用マシンチェックとかで不正利用が厳しくはじかれる様になってきたので気にしたいところなのです。

さて、JUST Suite だけれども、思ったよりしっかりしたパックで良いなあと感じた。
MS-Office への思い入れも、過去の資産も無いので、これから使っていくアプリとしては十分に良くできている様に思う。特に表計算は使う機会がほとんど無い人なので、三四郎で十分かのう。
一番興味深いのはやっぱりプレゼンテーションソフトの Agree だろう。韓国 Haansoft のローカライズ版なので、100%ジャストシステム製という訳ではないあたりから話題になっていた奴だ。触ってみると、細かい部分での出来不出来はあるものの、ほとんど PowerPoint と同じ操作性というパチモンソフトである。それ故に使えるレベルであると端的に感じる次第。
で、なにが興味深いかというと花子との棲み分けである。
花子も PowerPoint 形式のファイルを読み書きすることが可能で、ある意味プレゼンテーション作成ソフトになりきれなかった存在である。結局プレゼンモードを持たなかったので、プレゼンテーションソフトにはなっていないのだけれども。
そこで外から購入してでも Agree が必要になったという事なのであろう。
もちろん、ドローツールとしては花子の方が使えるので、アウトラインレベルでは Agree でざっくり作って細かい図版は花子で仕上げるとった使い方が本筋なのだろうなあ。

—–



文章と文字数

www.textfile.org でよく取り上げられている事から、ちょくちょく読み始めたのが MORI LOG ACADEMY。作家、森博嗣氏のBlogである。
割と突飛な事も書いてあったりして、氏の視点を感じる事ができるあたりが面白く、今では毎日読みに行っている次第。
すべての意見に賛同できるわけでもなく、なんだそりゃと思う記述もあったりするが、それは自分の意見に合わないだけであってなにが言いたいのかはすんなりと理解できるあたり。私にとっては馴染んで読める文章だ。
といっても誰にとってもそうかというと、そうではないだろうなあとも思っている。私は氏のことを作家というより学者として見ているからなのかもしれない。
そんな、MORI LOG ACADEMY、コンスタントに書き続けているのがすごいなあと思ったら、最初から書籍化を前提としているのね。お仕事として書いているから、と端的に捉えるのは下世話かしらん。
頭の方から読めるから書籍を買って読んだが、パスカル(わんこ)成長記録にもなっていて思わず和む。くっ、卑怯な。

MORI LOG ACADEMY を読んでいると、原稿料とか収入とかそんな仕事のお話もざっくばらんに書いてあって興味深い。そんな中小説の文字数についての話題があって、おやっと思った。
「原稿の分量を純粋に文字数で表したのは森博嗣」みたいな事が書いてあったので。
私も所縁あって時たま寄稿させてもらう事があるけれども、大抵は文字数換算で渡している。ひどいときはバイト数(!)を単位として文の量を語られるときもあったりするけど。
まあ、森先生の場合は文芸ジャンルの方から語っているだろうからそれはそういうものなのかもしれない。小説系の応募要項は今も「原稿用紙 n枚分で」となっているしね。
原稿用紙というと400字詰めであり、400文字で一枚かというとそうでもなく。改行があったり、空白があったりですべてが埋まっている事はない。そう考えると、何行あるのかに等しい単位とも言えるだろう。

先日書店の店先にて「原稿用紙10枚を書く力」というタイトルの本が目にとまった。
原稿用紙10枚というと4000文字、実質は多少減るから森先生換算で3000文字。
たかだか3000文字を書く事についてのスキル本なのである。
その程度が書けない物かねえと最初は思ったが、案外この3000〜4000文字というのは的を射た数字なのかもしれない。ちょっとした長文で筆が乗ったとして2000文字までは頻繁に書けるだろうけれども、大抵支離滅裂な物になってそのあたりで止まってしまう事が多い。
それ以上 3000〜4000文字を書こうとすると、予め構成を考えて着実に組み立てていく必要が出てくる。
なので件の本も、書く内容を考えて構成を組み立てる力についての解説とトレーニング指南といった内容になっていた。なるほど、と思ったけれども、幸いにして私自身は 4000文字以上を書く事ができているので、そのまま書棚に戻した次第。
文章を書くスキルというのは結構高度な専門技術なのだけれども、案外気づいていない人が多いのかもしらんなあ。
そういえば、1000文字のコラムを「書けますか?」と質問された事もあった。文章を書ける人ってのはそうそう居ないという前提で質問しているよね。そのときは一晩で書いて送りつけたけれども。

そういった様に文章を書くためには論理の組み立てが必要だということを、私が認識しているのはなんでかというと、なんてことはなくプログラマだからですな。
むしろプログラミングも同じ事。いきなりぶっつけでエディタに向かってプログラムを書き出すパターンでは、速効のコードは書けるがある程度の長さが限界となってくる。大規模なコードを書こうとしたり、最後までメンテナンス性の高いコードを書こうとすると、予めの設計と確実な見通しが必要となる。
完成後どれくらいの規模になるかの見通しだけれども、これは綿密な設計か、経験による勘のどちらかによって成り立つ。
逆に言うと、私はそういった設計によって文章を書く人なのでノリで長文を書けるタイプでないわけだ。

これまでに色々な縁があり、ぱらぱらと寄稿をさせてもらってきた。
そのおかげで、今ではそんなに文章を書くことに対しての抵抗も無くなり、それら経験のおかげでそれなりの長さの文章を書ける様になってきたと思う。
今でこそそういうことが言えるが、昔は本を書ける人ってすごいと思っていたし、本が書けるくらい大量の文章を書ける様になりたいとあこがれていた。自分が文章を書いても、書きたい要点だけになってえらく短くなってしまうので到底 1冊分にならないからである。
本 1冊にするには、1の事象をいろいろな表現を駆使して、おもしろおかしく読みやすく 10くらいの長さで書かないとならない。私にとっての執筆のイメージというのはそんなところだった。
だから、私にとっての文章力というのは、話題を如何に引き延ばして長く多く書くことができるかといった技法の事であり、それを身につけるにはどのようにしたら良いのだろうかと考えていたのである。
ライトノベルの新人賞応募要項などをみると、大抵「原稿用紙300枚〜500枚」とある。中間の 400枚くらいが必要として、森先生計算では約300文字×400枚で 12万文字。それくらい書かないとならないわけである。
普段日記で書くのが 1000文字程度というのはわかりやすいところだけれども、その 120倍の量となると膨大すぎてどう埋めていけばいいのか呆然とするばかりである。

とか言っているけれども、私も縁あって本を一冊出させてもらっているわけですよ。既に。なので、実はやればできそうなところまで来ているのではないかとも思わなくもない。
試しに「ぽえりな」の原稿をほじくり返してみたら、総文字数は 11万5千文字だった。ああ、やっぱり本一冊というのはこれくらいの文字数なのだなあ。
そんなところを再確認するとともに、あれくらいの工数と文字数なのかという感覚を得ることができなくもない。やっぱり経験は重要だね、ということで。

とまあ、そんなこんなで長ったらしく書いてきたこの記事自体が実は約 3000文字なのである。原稿用紙 10枚分。
流石にBlogとしては長すぎな感はあるけれども、文字数というものを実を伴って語りたかったので、一つの壁と言われるところを見えるようにしてみた次第。
この 3000文字というのは、私にとって平日に書けるおおよその文量とここしばらくの計測で明らかになっている数字でもある。
そして、文章を書く力を強化したいなあというのが、最近のトピックだったりする。

冒頭の MORI LOG ACADEMY では森博嗣先生の仕事ぶりも窺えて、毎日「今日は4000文字書いた」とか出てくるのだけれども、それが妙にカッコイイ。そして自分より遙かに早いその執筆のスピードに感心し、あこがれる次第。



ちょっとした休息と、Vista 雑感

ここしばらくは特にプロジェクトというか、個人制作は行っていなくてのんびりと過ごしている。
のんびりとといっても、PCのバックアップをとったり、PS3 の HDD を 20GB から 100GB に変更しつつ Linux を移し替えたりといった雑多な作業をしながらといったところだが。
次なにをしようかとのんびり考えるのも悪くはない。

Windows Vista マシンを用意した。 デベロッパ的には触っておかないとならないと思うし。
この一週間は Windows Vista と戯れていたといってもいいかもしれない。
もちろん、メインマシンというか制作作業をするマシンに入れるわけにはいかないのでサブマシンに入れているのだ。メインマシンはクリエイティブワークステーションなので様々なデバイスを接続する必要があり、それらのデバイスドライバを考えるととても Vista は入れられない次第。なんせ、ドライバモデルが大きく変わっちゃっているからね。
グラフィックデザインはともかく、端々の見た目が XP と大して変わらないのに、内部が大きく変わっているというあたり一般ユーザに伝え切れていないものがあるような気がする。MacOS9 から MacOSX くらいがらっと変わってしまうと、多少アプリが動かなくてもしょうがないねとか思うものだけれども。それ以前に Microsoft は「新しいOSですが互換性バッチリです」と吹聴しすぎた様な気もする。
さて、Vista を触っての雑感だけれども、とにかくやたら HDD アクセスが発生しているって感じ。何もしていないつもりでも常にかりかりとアクセスが発生していて、少々気が落ち着かない。そんなに頻繁にHDDアクセスがあるのならパフォーマンスが気になる、という向きもあるだろうけれども実際はその逆でパフォーマンスを向上させてストレス無いオペレートにするためかりかり言い続けているっぽい。
Home Premium なんだけれども、確かに起動するだけでメモりを 1GB 消費してしまうあたりに愕然とはする。んが、その後アプリをなに立ち上げてもそこからメモり消費量がほとんど増減しないのがそれ以前の OS と違うところ。よっぽどのアプリでないとメモリ消費量の変動を見ることができなんじゃないだろうか。そのへんが、HDDかりかりの原因といったところみたい。

いくつかアプリを入れてみたけれども、やっぱり DTM 系はつらいのう。
SONAR がオーディオデバイスにナーバスというのもあるけれども、レイテンシのためにカーネルストリームを利用しているアプリが多いのが理由。ASIO対応のUSBサウンドボックスをつけないとそれなりなことができない感じ。ってあたりまえか。カニチップは一般使用はともかくDTM がまともにできるものじゃないからな。
そのUSB接続のサウンドボックスも Vista 対応はまだ Roland くらいしか安定供給していないし。
当然 ASIO4ALL なんかは動かないので注意。FL studio の 7 がリリースされたので入れたら、ASIO4ALL を一緒にインストールしてきたのでちとびっくりした次第。

個人的には Xkeymacs が Vista で問題なく動いてくれているのがありがたい。
キーボード配列入れ替え系のツール(CapsLock を Ctrl にしている)を使うときは、UAEを無効にしておかないとレジストリ書き込みができなくて目的を達せないもより。

大きく困ったのはそれくらいかなあ。
結局のところ、個人レベルでの評価なんて使いたいアプリが動くかどうかで決まると思う。
PSoCマイコンの開発環境である、PSoC Designer がまだ Vista 対応していないあたりがちょいと残念だった。まあ、3月末には対応版を出すといっているし、今現在もベータ版が試せるけれどもね。
ああ、そうそう、DivX の Vista 対応がまだというのはちょっと大きめかもしんない。

—–



OUTRUNが、ちょおいっぱい


発売日に届いたので大分経っているが、PS2版 OUTRUN2SP と「OUTRUN 20TH Anniversary Box」のセット。
Anniversary Box というのはセガダイレクト(直販サイト)限定販売のサウンドトラック全集。セガダイレクトはたまにこういう限定商品を出してくるので侮れないのですよ。
ゲームの方も初回限定版なので、おまけのサウンドトラックだけでなく SSTバンドのDVDがくっついてきている。SSTバンドのアレンジ版はそっちにまかせるとして、Anniversary Box は OUTRUN、TURBO OUTRUN、 OUTRUNNERS、OUTRUN2 のオリジナルサウンドトラックと、その「コンシューマ移植版全部」の音源が収録されているという 11枚組のすげえやつ。というか、OUTRUN ばっかで気が狂う〜。いや、狂いませんが。

SEGA MarkIII 版 OUTRUN は PSG版と FM音源版の両方が収録というのはまあともかくとして、「FM-Towns版」TURBO OUTRUN 辺りからいささか雲行きが怪しくなってくる。果てにはシェンムー2内の OUTRUN とか、i-Mode版の OUTRUN とかになってくるし。
サターンとかドリキャス(シェンムー2)のとかはそのままなんじゃねえの?とか思ったけれども、サターン版はアレンジバージョンが収録されているのでそれと、ドリキャスはおまけなので容量使えなくて音声ストリームではなく内蔵音源で鳴らしていたとか。なるほど。
サターン版アレンジとか OUTRUN2 の曲よりアグレッシブなアレンジになっていておもろい。
興味深いのが海外発売のみのゲームボーイアドバンス版の OUTRUN。これがまたあの貧弱な音源でがんばっているのよ。Good Job!

これだけの広がりを持っているのも OUTRUN ならではといったところだねえ。

しかし、FM-Towns版を聞いていて思ったのだけれども、あの頃 CD-ROM が出たばっかで BGM が CD-DA になったのが嬉しすぎてなんでもかんでもアレンジだった時代、の楽曲って何とも言えない妙な味があるよな。Towns のアフターバーナーやギャラクシーフォースも例外ではなく。
PC-Engine の CD-ROM2 版ゲームも変なアレンジ曲ばっかだった。なんかあの安い仕事の数々は今では出せないテイストだと思うんだけれども。
そのへんまとめて聞く事はできないもんかね。手元にはあんまり残ってないや。
ある意味、黒歴史。

ああ、ゲームの方は順当に OUTRUN2006 の日本語ローカライズ版ですた。

—–



楽しいWEB通販はあなた方によって支えられているのです

どこの会社とは言わないが、ときたま宅配便のおっちゃんが 23時とか 24時とかいった時間に荷物を持ってくる事がある。
それは大丈夫なのか?色々と。

まあ、流石にその時間は在宅している事がおおいので不在通知扱いにならないのでこちらとしては助かるので「遅くなりやがって」という事ではなく、逆に感謝する事になるんだけれども。

ありがとうおっちゃん。
おっちゃんの健康を陰ながら祈っておくよ。
—–



アウトラインプロセッサについて再び

私がアウトラインプロセッサと出会ったのは、X68000の頃だ。
X68000向けのワープロソフト「hyperword」の機能の一つに「アイディアプロセッサ」というものがあった。アイディアを管理する手法などというものがあるのか!?とかなりワクワクした覚えがある。聞くところによるとアイディアプロセッサはアメリカの方じゃメジャーな機能だというじゃないか、いったいそれはどんなものなのだろう。
で、実際に hyperword を買いはしなかったけれども触れる機会はあったのでそのアイディアプロセッサというものを見ることができた。よするにここでいうアイディアプロセッサがアウトラインプロセッサのことだったのだよね。
セクション、サブセクション(章、節)を記述してそれを入れ替えて文章全体の構成を考えるといった機能の事で。当時はメモリが貧弱だったのでセクションの中に文章本体は持てなかったと思う。
それをみて「ああ、なるほど」と思った。当時ワープロブームではあったが、ワープロの主流は日本語を書いてそれを清書として出力すること、だからアイディアプロセッサは受け入れられずに消えていった。
私がすんなりと理解できたのは理系の学生だったからだと思う。当時大学のレポートは LaTeX で書いていたから、section, subsection といった見出し単位の文章作成に慣れていたし、理系の論文はそういったセクションが定型であることが多いのを知っていた。なので、セクションの構成から文章を作っていくという手順にまったく抵抗が無かったのである。
そんなこんなでアウトラインプロセッサは今ではご愛用のツールなのでした。

以前もアウトラインプロセッサの記事を書いた事があったが、結局未だに「Kacisノート」が俺的お気に入りとして君臨し続けている。開発元は無くなったがクロスランゲージという会社が販売権を取得したらしく、今も正規で売られている。ただし、バージョンは変更がないようで、Mac版にIntelバイナリがないあたりとか残念である。
「Kacisノート」にも欠点がいろいろあったりする。文章を書くのは得意だけれども、整形は不得意だというか効率的に行えないあたりが一番大きい。それとやっぱり今後のサポートか。
IntelMac には「OmniOutliner」というMac界ではメジャーなアウトラインプロセッサのバンドル版が付いてきていたりする。それ自体は結構すごくて良いことなのだけれども、どうも馴染めなかった。セクション管理はともかく、本文をばりばりと小気味よく書けないところにちょいと抵抗がある。

別なアウトラインプロセッサに乗り換えるとしたらどれがよいか、というのを最近考えている。
すると意外な事に MS-WORD が良くできている事に気がついてみたり。アウトラインプロセッサをメモ整理として使う向きには WORD は不向きだけれども、文章をもりもり書くのが目的とした場合のアウトラインプロセッサとしては悪くはない。
このあたり OpenOffice Write はできなくはないけどアウトラインプロセッサとは呼べないし、iWork pages などはふざけるな、といったくらいのおもちゃしか付いていない。

うーん、ワードかー、と悩んでいたら意外な伏兵が登場する。一太郎2007である。
一太郎には2004からアウトラインモードなるものが追加されたのだけれども、当時は使おうという気にならないものであった。2007になると幾分こなれて、文章書き前提としたアウトラインプロセッサとして使える様になっている。
また、一太郎2007における一番の新機能としてエディタモードが付いた事が挙げられる。これとアウトラインプロセッサを行き来するとかなり小気味よく文章を書きまくれるのだ。
基本的に印刷資料とか罫線による表組み資料などを作る場面がない人なので、文章整形としてのワープロには全く興味がなくこれまで使う場面がなかったのです。組み版とか凝ったレイアウトが必要なときはドローツールを使うので、ワープロは私にとっては出番なしだったのよね。
一太郎2007では考えるツール書くツールという部分を追求してきて、軽快に書く道具としていけてきてるんじゃないかなあと、使用対象として検討中。
まあ、エディタモードはまだ惜しい部分が散見されるけれども。

まあ、取りあえずアウトライン管理ができてばりばり文章が書けるとなると Emacs でいいんじゃね?という話もあったりするけれど。

アイディアプロセッサ的には、アウトラインプロセッサで考える事も多いけれども、直線的構成が階層化したアウトラインプロセッサではゼロからアイディアをひねり出すのにパワーを必要とする。ある程度構想が固まったものを整理するのには良いのだけれども、発想の道具としては使えないんだよね。
なので、そういった発想ひねりだしの際にはマインドマップを用いることにしている。
マインドマップはトニー・ブザンの本を読んだが、前半半分が「よりよいノートをとるにはどうすればよいか」という問題提起で、「それを解決するためにマインドマップを考案した」とちょろっと書いてあるだけで、あと後半は全部マインドマップの実例集だった。要するにトニー・ブザンはマインドマップの書き方を定義し強要することで発想のじゃまをしたくはないんだよね。だから、手法は重要ではない。
話がそれた。
マインドマップも階層構造を持っているのでアウトラインプロセッサ慣れしていると非常に入りやすい。それでいて、どんどん枝葉を追加するための書き方なので「項目洗い出し」には最適なのである。
マインドマップでこれでもか、これでもかと項目を洗い出し、そのあとアウトラインプロセッサで大筋を整理しながらシナリオを考えていくという連携はなかなかいけているのですよ。
ちなみにマインドマップで使っているアプリは FreeMind と JudeProfessional。JudeはUMLツールだけれどもね。どっちも使い勝手は良い。おまけに両方ともJAVAで作られているからWindowsとMacのどちらでも同じアプリが動作するあたりが良い。

ちなみにKJ法は苦手なんだよね。すべてのアイテムが同じ重みで存在しているあたりが馴染めない。
階層による管理と、派生項目による広がりが、私にとっての思考形態なようで。

—–



合い言葉はBee〜〜

先日のエントリーへのコメントで「パロディウス・ポータブル」の話題が出ていたけれども、実はパロディウス「以外は」買っていたりするのだ。
「わたしみずからがでゅ」のゼグゼグゼグはまあ置いておいて、やっぱツインビーシリーズのBGMは最高ですな。ミュージックモードだけでも十分に価値があるよ、これは。出たンビーはX68kのSC-55版音源も入っていて感激ひとしお。まあ、埋まっているだけで昔のCDのどっかにあるんだけれども。
ツインビーシリーズのBGMといえばツインビーヤッホー!の1面が一番好き。もうそれだけループで聞くくらいに。あと、ちゃんとしたサントラCDが出なかった(甲玉の歌がメインのマキシシングルだった)Popnツインビーも良い曲が多いので貴重なところ。
とか思っていたのだけれども、出たな!ツインビーを起動して1面のBGMが流れてきたとたん、心の琴線が7thコードをかき鳴らすがごとくに震える。ああ、やっぱりこいつに対する思い入れは尋常ではないのだな。おそらくプレイ時間が一番長いタイトルであるし、最もゲームに没頭していた時のものであるから。

ところで、10年以上昔のCDであっても、未だに聞いているお気に入りの一枚というのはあるものだよね。
コナミのゲームミュージックをイージーリスニングアレンジした「ウィンビーのネオ・シネマ倶楽部」というCDが私にとってそんな一枚だったりする。
「ウィンビーの…」という単語で当時を知り、感の良い人なら気が付くかもしれない。「ウィンビーアイドル化計画」の一端である。
当時を知るものは「ああ、あったね」と苦虫を噛みつぶしたような返事を返すあれだ。


帯にはしっかりと「ウィンビーアイドル化計画第一弾」とあるでしょ。そんな記念すべき(?)一枚がたまたま手元にあることに絶望した。
別段ウィンビーがどうこうじゃなくて、アレンジが聞きたくて買ったのだが。


すべてはここから始まったのか。
この頃は「ウィンビーちゃん」とかみんな呼んでいたけれども、パステルという名前になったのはこのアイドル化計画が発足してから半年経った後「ツインビーPARADISE」が放送スタートし、そのラジオ内ドラマでライトとパステルという名前がついてしまったからなのだよね。

ネオ・シネマクラブの 2枚目は 1年後に出るんだけれども、そのときはパステルという名前が定着しているので「ウィンビーとパステル、どっちでも良いんですよ〜」とか弁明されていた。
どんぶり島通信のマンガはケロロ以前の吉崎観音が描いていたんだけれども、それがオトメディウスに繋がっているとは。(いや、関係はないんだろうけど)

ちなみにネオ・シネマ倶楽部は大体1年ごとに計3枚が発売されたが、最後の1枚ではアイドル化計画どころかツインビー自体がなりを潜めてしまっているころ。(そのあと後続作品は出てこなかったしな)
おかげでライナーノーツはポートレートとポエムという妙な構成になってしまっていたが、逆に落ち着いていて良い。今、こういうのみると上海アリス幻樂団っぽいなあとか思ってしまうが。

—–



[業務連絡] 新サーバー稼働開始のおしらせ

サーバーマシンを盗まれてから、ここまで仮サーバーにて暫定運用していたわが家のWEBサーバーですが、専用の新マシンをあてがいそろりと運用を開始しました。
どうせなのでと Debian-ETCH にしたり、Apache2 にしたりと色々新しめなところにしたので少々手こずっていたあたり。無駄に AMD64 の 64bit Linux だったりするし。

現在は慣らし運転という感じですので、不具合を見つけたらご連絡いただけると幸いです。

一応わかっているところでは「落書き壁」が動いていないはず。
—–



[PS3Linux] ONScripter pack リリース

色々あって作業が滞ったので遅くなりましたが、PLAYSTATION3 用の CD boot 形式で ONScripter が起動するディスクを公開開始

ノベルゲームを自作している人が、この CD を利用して自身の作品を PS3 向けに公開、配布できるようにというのが狙い。
メモリーカード内のシナリオも起動できるから、単純に ONScripter 起動のために使っても良し。ということで。

当初やりたいところまでなんとかたどりつけた感じ。
ひとまずここまで。



[DTM] たまには Garageband など

ちと PS3 の ONScripter でサンプルスクリプトが必要なのでごそごそ作業中。絵と文だけというわけにもいかないので適当な BGM を用意する必要に迫られる。
まあ、クオリティとかは置いておくとして権利的に問題ない曲を用意せねば。

Windowsマシンを立ち上げるのも面倒だったので、目の前にあった Macintosh で Garageband3 を起動してふにふにいじりはじめる。
二時間ほどでできたお気楽データがこれ(mp3)
適当なわりにはそれっぽいので、今回はこれで良いか。
著作権フリー曲を探すより簡単かも、ある程度イメージに合わせて作れるし。

けど、JamPack1 をインストールするの忘れてた状態で作ったので、本当に基本的なループだけで構成されているんだよね。Garageband3 なんでコード進行とか(つけようとおもえばつけられるけれども)面倒なんで付けていないし。
だから、聞く人が聞いたら耳慣れたループばっかりで構成されているということで「ふふふ、あれを使ったな」とわかってしまうに違いない。まあ、そのへんは ACIDループでも同じ事が言えるんだけれども。

裏を返せば、最近の Macintosh を持っている人ならバンドルソフトなわけで誰でも作れる物ということであり、それはそれで愉快なことなのかもしれない。

—–




You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.