Archive for the 'フリートーク' Category

「イタリアン」やきそば、なう

ちょいと急用で新潟の実家に戻る必要があったので、ついでに新潟市のご当地B級グルメである「イタリアン」焼きそばを食べてくる。
イタリアンについては過去の記事を参照のこと。
ma350006.JPG
これが「みかづき」の標準的なイタリアンセットである。
ma350007.JPG
イタリアンファン(?)のためのアップも一枚。

おまけ。
ma350008.JPG
ついでに、新潟市民のオタ消費を大きく支えるアニメイトビルの写真。(元、石丸電気新潟店、店舗)アニメイトとACOSとメロンブックスとらしんばんが入っている、なかなかに濃い空間。
そいえばまだ買ってなかったということで「東方星蓮船」を買ってきたり。



プロツールズとソフトウェア

私の実家のほうやら親戚やらが理容室や美容室をやっていたりするんだけれども、あの業界も日常的なサービス業であるわりには直球的な職人の世界なのだよな。
で、あの理美容室で使っているハサミというのは実は一丁で15万円とかしたりする。レディメードでそんな感じなんだけれども、職人の手に合わせて型を取ってオーダーメードで作ったりもするのでもっと高い時もある。なので研修生がうっかりハサミを床に落としたりするとそりゃもう怒られたりするわけですよ。
職人というかプロの世界。プロが使う道具はそんじょそこらのものと仕込みが違うし、それをまた培った技術で鮮やかに扱うことでお客様に最高の理髪を提供するといった世界。

そいった様にプロならではの道具の世界というものがどの業界にもあってしびれたりするものですよ。
ホームセンターで変えるような工具は所詮コモデティアイテムでしかないとか、そんな感じ。
そういったプロが使う道具に近いものを手にするとアマチュアでも一段上の作業ができたりするのも魅力なのだけれども、アマチュアはやっぱりアマチュアで今度は道具に振り回されて使いこなせなかったりしてみたり。使いこなせば確かに上質の作業ができるのだけれども、腕がついて行かなくてそこまで至れない。そしてその道具をちゃんと使いこなせる手腕を持つのがプロだったりして。

そういった視点でコンピューターソフトウェア業界を見てみるとちょいと興味深い。
職業プログラマの端くれとして会社でプログラムを組んでお給料をもらっている訳なんだけれども、会社で使っている開発機材(ひらたくいってPC)がプロという肩書きにふさわしい最上位のものかというと案外そうでもなかったりする。正直自宅で使っているPCの方が倍以上の性能を持っていたりする。
そいった光景は珍しくないどころか割と普通なんじゃないかなあ。個人持ちの方が早いマシンだとか、遅いマシンを3~5年使い続けているとか。減価償却とかクソ食らえでございますわ、とか思わなくも無い。
ソフトウェアの開発環境も安価になって、ぶっちゃけ VisualStudio とか Eclipce だったりするとアマチュアが手にしているものとまったく同じだったりする。となると、それは職業プログラマがプロとして誇りを持てる環境なのだろうか。

逆に言うとアマチュアにとっては良い話だったりする。
今や無料環境でそろえられる開発ソフトウェアで作れないものは無いといっても良い状況なんではないだろうか。プロが使う開発環境やライブラリを高いお金出して買えばより簡便に高品質なものが!ということもことソフトウェア業界においてはほとんど無かったりするし。
なんつーか、機密保持契約(NDA)の関係で開発に携われるか携われないか程度しかアマとプロの違いは無いのだろうか。

じゃあソフトウェアのプロってのは名前ばかりのいらない子なのかというとそれはそれで本質を見失っているかもしれない。そういった開発機材を手にしても、それを使いこなせるのが一握りの人間でしかないという実情があるからだ。
道具は手に入れやすいし、アマチュアにもチャンスはあるけれども、本当にその道具を使いこなして製品に足るプロダクツを生み出すことができるのがプロフェッショナルと呼ばれている人たちなのかもしれない。
ソフトウェア業界が抱えている過ちと苦悩はプログラムを工業製品として扱おうとしている歪みなんではないかと考えることがある。月日と人をかければいずれはできあがるといったそんな風に見ているのはまちがいで、本当は個人の優れた才能と職人技で作られているというのが実情なんではないだろうか。
でもそれだと企業としては回らないので、個人差をできるだけ無くしチームプレイで能力を平均化し行程と時間を見積もりやすくする必要がある。プロセス管理とチームマネジメントがソフトウェア業界でもてはやされる所以である。

開発機材や環境は入手しやすいし、誰でもプログラムを作成することはできる。でも、そのプログラミングを職にしようとするともう一段階上の技量が必要になってくる。なんとなくこれってミュージシャンや小説家、漫画家に近いところがあるんじゃないかなあ。
企業都合で定期的に作品を作っている(週間連載とか)というプロフェッショナル意識の高い作家もいるし、そういうのを回していけるアシスタント等のシステムもそろっている。でも、数年に一度のスパンで作品を作る芸術家肌の作家もいてみたり。
業界的に高い道具を高い技術で使いこなすことにより差別化ができないのならば、個人の才で差別化していくしかないのではないだろうか。



なんだか気になる小袋調味料の世界

dsc00905.JPG
「醤油鯛は絶滅危惧種なのではないか」という記事を以前に読んで気になっていた。
分類する熱心なコレクターもいるほどの定番品なれど、確かにここ最近はめっきりと見なくなった。スーパーで売っているところも見かけなくなり、上のタレビンはこれしか手に入らなかった的敗北の結果である。
dsc00902.JPG
原因はあまり考えるほどのものではなく、お弁当についてくる醤油が軒並みパック品に取って代わられたからでしょうな。確かに便利だもんね、小袋調味料。使わなかったら取っておいて後日のごはんに使えるし。
でも、お弁当を電子レンジで温めたときに腹が破けてあらぬおかずを醤油まみれにしてしまう、あの醤油鯛も味わいがあって良かったような気もする。

dsc00903.JPG
最近は勤務地の都合で「オフィス弁当」がお昼ご飯となっている。オフィス弁当といっても、容器回収型の仕出し弁当屋なわけだけれども。
そういったお弁当には小袋調味料が強い味方となってくる。醤油やソースにドレッシング、割り箸と一緒に取り放題な生タイプのお味噌汁。もはや脇役と言うよりも、小袋調味料大活躍の主戦場といっても良いくらい。
私はなんでかこういった小袋調味料を手に取ると製造会社をチェックしてしまうクセがある。頻繁にチェックしていると、小袋調味料の世界で活躍するメジャー会社というのが見えてくる。例えば、七味唐辛子ならテーオースパイスだとか、マヨネーズはケンコーだとか。
そのような小袋調味料の世界は、スーパーの店先で見かける会社とはまったく異なる世界にあるところがますます興味深い。

dsc00901.JPG
そういった小袋調味料の世界に興味を持ったきっかけはコンビニの小分けそばだったと思う。
いまでこそコンビニ弁当の定番商品だけれども、なんにでも始まりはあるもので20年ほど昔には存在していなかった。それ以前にも「ざるそば弁当」といったものはあったものの、のびきったそばがもちゃっと盛ってあるだけの代物で、箸を入れると塊になって持ち上げられたとかそんな感じ。当然おいしくなかったのだけれども、当時のコンビニ弁当では冷やし麺全体がおいしくない駄メニューだったような覚えがある。
そんななか、セブンイレブンが「小分けそば」を発売したのだが、これがセンセーショナルでヒット商品となった。そこには2つの工夫が込められている。
ひとつは、麺を9つの小玉にわけたこと。まあ、のびてくっつくのはしょうがないとして、それを箸で分けやすく小分けにしたのだ。これで実に食べやすくなった。玉がひとかたまりなのはしょうがないけれども、つゆにつけてしまえばほぐれるわけで。そのつゆまで持って行ける適度なサイズというのがよかったわけだ。
もうひとつは、つゆにこだわったこと。それまでの麺弁当ではつゆは適当なもので、どちらかというとあまりおいしくないものであった。コンビニ弁当自体が安かろうまずかろうで停滞していた時代。そんなとき、セブンイレブンの小分けそばは「だし」と「かえし」の2袋に分けたこだわりつゆを提供してきた。そばがのびておいしくないのはしょうがないのでつゆでカバーしようという作戦である。このつゆが当時の他のメニューを引き離すくらいいけていた。
で、そのつゆを製造しているのは誰だ?と注目したわけですな。このつゆを企画製造していたのは「味の素」だった。さすがは味の素である、大会社ならではの企画力と戦略だといたく感心した次第。
小分けそばはこのあと「麺ほぐしだし」がついたりとどんどん進化するのだけれども、最近は微妙にパワーダウン気味ですな。

その後、コンビニの麺弁当で注目したのは正田醤油
確か2000年前後だったと思うけれども、そのころセブンイレブンの麺弁当のつゆを一気に引き受けていたのが正田醤油だった。小分けそばから始まってありとあらゆるうどんそばのつゆが正田醤油だった時期がある。担々麺のスープとか、小瓶のボトル醤油までセブンイレブンが正田醤油一色で、正田醤油は化け物かと恐れおののいていた。調べてみると確かに老舗の大手なんだけれども、食卓用の醤油はあまり手がけておらず業務用とか小袋調味料に力を入れている様な雰囲気。
dsc00904.JPG
スーパーでタレビン入りお弁当醤油を見つけたけれども、これがまさに正田醤油の製品であった。
そんな正田醤油の活躍も長くは続かず、セブンイレブンのつゆは別の業者が入り込み徐々に数が減り世代が交代していった。といっても、一社制覇というのはその後達せられていないみたいだけれども。

今、小袋調味料で注目しているのは「東洋スープ株式会社」だったりする。
先のオフィス弁当でしょちゅう登場するので注目株といったところ。会社名から生タイプ味噌汁中心かと思ったら醤油やソースのパックまで手がけている。
最も、オフィス弁当界隈での小袋調味料では「アミュード株式会社」の方が大手らしいんだけれども、なんとなく東洋スープの方が好みなのである。

そんなふうに日本のお弁当をこっそり支えている小袋調味料。そこにはスーパーの店頭とはまた違った世界で活躍するメーカーたちの世界なのである。
がんばれ小袋調味料。



PayPal への不正利用申告その後

前回の報告で、その後の経過を書かないのもすっきりしないので追加報告。
あんた(PayPal)の指摘通り不正利用されまったよ、と連絡してだいたい1週間くらい過ぎた頃。「オッケー、貴殿の申請を受理した」とかメールがようやっと到着。
その翌日には「相手(支払い先)との交渉が完了した、被害分はリターンするので待たれよ」という処理完了メールが届いていた。
これをもって一連の騒動は完結をみる。

不正利用された分の払い込みは、ペイバックされるそうな。
PayPalストックであればそこに帰ってくるし、クレジットカード支払いであったらクレジットカード会社経由で返すとかいう話になっている。まあ、今回はPayPalストックだったので面倒が無くて良い。



スポーツカーとプログラミング

ニュース記事をぼんよりと眺めていたら「スポーツカー」という単語が目に入ってきた。スポーティーな車という意味を考えて思考をふいに巡らせてしまう。
ここでいうスポーツとは必ずしも体を動かして技能を発揮する体操じみたものではない。モータースポーツと呼ばれるものになると、モーターサイクルを乗りこなすために機器と技能と体力を限界まで使いこなすという世界になっていくけれども、アマチュアがスポーツカーを手にする理由はちょいと違う。そこにあるのは、道具としての車や二輪との対極となる目的そのものの車や二輪なのではないだろうか。
運輸という目的のための道具ではなく、その車を操ること自体を目的として楽しむためのスポーツカー。それはプロが運輸のために使う車という道具とは別の切り口で語られることになる。
本来ならば手段である道具に惚れ込み、それそのものを目的として楽しむということをスポーティーと称しているのはなんとなく面白いと思った。

それそのものが目的、で次に連想したのがコンピュータープログラミングについてであった。
コンピューターソフトウェアは芸術品か工業品かといった問答がたまに起きたりする。まあ、そういったことについて考えるのは必要なんじゃないかとも思うのだけれども。
そういった場面において、コンピューターやプログラミングが大好きなハッカー気質な人というのはエンジニアリングそのものを目的として大好きなんだよね。一般的にいうところのオープンソースプログラマの大半はこのエリア。スポーツカーをチューンして乗ることそのものを楽しむ様に、プログラミングに没頭し楽しむことができる。
じゃあその反対にいるであろうプロ気質の人はどうかというと、たぶん違う。
路線バスの運転手さんなどは、自分が運転するバスを夜なべして徹底的にチューンしたりとかはそうそうしないんじゃないだろうか。運転することが嫌いだとやっていけないだろうけれども、バスという自動車そのものに対する要求がスポーツカーを乗り回す人とは異なるはずだ。ピーク性能より安定性を重視するだろうし、運転技術そのものよりも路線運行ダイアをきっちり守りつつ安全第一に回していくことが大事だと思う。一人ずば抜けたドラテクを持った運転手さんがいても路線全体が円滑になるわけではない、いかにみんなでスムーズに回していくかといったことがプロとしての腕のふるい方になっていく。
これって、企業システム系のプログラミング業務に近かったりはしないかな。

だから、企業がIT業界の未来を語るとかいう席にオープンソースプログラマを呼んで若者に激励を送るとかいう企画をみるとなにか歯に挟まっているような違和感を感じてしまう次第。
業務プログラマは業務プログラマとして、必要な手腕というがあってそれは仕事として誇りにしてよいものだし。ハッカーはハッカーでコンピューターにおぼれながらどこまでも技能と才能を突き詰めていけばよい。でもその違いを理解せずにひとくくりに扱うのは愚かしい事なんではないだろうか。

スポーツコンピューティングとか、スポーツエンジニアリングとか「それそのものが目的」であるデベロップメントがもうちょっとすんなり理解されても良いんじゃないかね。
休日になると愛車を飛ばしまくるバスの運転手さんとかも、それはそれで素敵だ。



食品放置系動画の種明かし


昨年は「Wiiでかがみん」の種明かしをしたので、今年は放置系動画の種明かしでもしようか。

放置系動画は特に流行とは関係がなくいつでもみれる内容なため、未だに再生数が伸びているありがたいジャンルである。
一見思いつきで、ネタ次第的に見えるかもしれないけれどもほんのちょびっとだけエンジニアとしてのプライドが混ざっていたりする。何かというと、この手のインターバル撮影はそんなに簡単に行えるものではないため、ソフトを自作してそれで撮影しているのだ。
interval_capture.jpg
こちらがそのアプリの画面。[ダウンロードはこちら: interval_capture.zip]
自分で使う用だから、説明もなにもありませんがね。
WEBカメラ等の標準キャプチャーデバイスから一定間隔で静止画を取り出し、指定フォルダに連番で保存するアプリ。コメを噛めの方で、回転台を制御しながら自動撮影するシステムを作ったのだけれどもそのときのソースを改変したもの。min から max まで連番で撮影して終了する。撮影間隔はstepにミリ秒単位で入力するといった案配。私はDVカムをIEEE1397でつないでキャプチャーカムとして使っていたけれども、昨今のUSB接続なWEBカメラでも十分でしょ。

普通のカメラとアプリで撮影できる絵はそんなに目新しいものが含まれるわけでもない。そこで自作ソフトならではといった画作りをちょこっと加えることで面白い動画に仕立て上げるのです。
インターバル撮影ができても、何を撮ると面白いかはまた難しい問題でして。例えば、カップ焼きそばの前にはカップヌードルを撮影していたりする。けれども、カップヌードルは麺が浮いていて下方向に伸びていく仕組みなため見た目が全く変わらないという面白くも何ともない画になってしまった。その失敗を生かして見た目変化が出るカップ焼きそばに再チャレンジしたというわけ。
他にも水酸化ナトリウム系の排水管クリーナーにスライスハムを漬けてぼろぼろにしたり、塩素系漂白剤で色々ぼろぼろにするとかやったけれども画的にはほとんど変化しないのでこれらも失敗。
そんな感じで意外とボツになったものも多かったりするのですよ。



なぜスカウターに憧れるのか

漫画ドラゴンボールに出てきた「スカウター」。21世紀になった今も、あの機械に憧れを持っている人は多いのではないだろうか。
なぜスカウターに憧れるのかというと、あのヘッドマウントディスプレイとしての格好良さもさることながら「相手の攻撃力を数値化する」機械であるからだと考えている。

当然のことだが、人間には優劣のパラメータが数値でついているわけではない。
だが、人は認知欲、出世欲といった欲求を持っており、他よりも認められたいとか優れた存在でありたいといった事を大なり小なり欲している。そういった欲求を満たすために、他との優劣を付けたがる。
最もわかりやすいのは対一で対峙したときの勝負の結果だろうけれども、直接的な勝負では多人数になってくると処理しきれないため多くはなんらかの数値化をして比較をし、優劣を決めることとなる。
身体技能の優劣はわかりやすく比較もしやすいため、スポーツなどといった形で昔から優劣の判断がなされてきた。学問をおさめる分野では、試験等のツールを用いた数値化で優劣を決めたりしている。貨幣経済は文化的生活のために必要なものだが、資産の所有と貯蓄といったことを人となりのステータスとしてみるとこれも数値化による優劣判断となる。
かくして人は何でもかんでも数値化し、他と比較し優位に立とうと奔走するのである。

ネットワークが普及し個人レベルでの情報も多く飛び交う様になり、そのなんらかの強さの数値化も色々な手法で行える様になってきた。ブログランキングであったり、はてブ数であったり、マイミク数であったり、フォロワー数であったり、マイリスランキングであったり。
数値化された己を見て他より優位に立ちたいというのは欲求であるので、その欲を満たすことのできるような数値化を含んだサービスは成功の条件となるだろう。もっとも「成功」と言う言葉も何らかの条件に基づく優劣判断だが。

数値化する事で比較や競争をさせると盛り上がると思われがちだが、案外そうでもない。当然のことだが、下位にいる人間にとってはちっとも面白くない。ゲームのオンラインランキングで「あなたは183,839位です」とか言われても面白くはないし、じゃあがんばって1位を目指そうとも思わない。上位で盛り上がっている奴らには到底かなわないことがわかっているので、どうかしようもないのである。スポーツに照らし合わせて、ずぶの素人がプロスポーツ選手と本気で戦うとかに置き換えるとイメージできるだろうか。
また、優劣ゲームがエキサイトして数値化されたその数値を上げることだけに腐心しはじめるとまた色々と間違ったことになり始める。スターくれたら~しますだとか、ランキング工作とか。
数値化することで優劣が見えるのはよいのだが、ではどうしても上位に張り付いていないといけないものなのだろうか。自分に合った範囲での浮き沈みで欲求は満たせないものだろうか。
良い数値化サービスは、利用者各人の周辺にあった形でも楽しめる様な優劣化なのではないだろうか。

ネットサービスだけのお話だとは思っていない。文化活動の多くが数値化と優劣化に溢れている。
規模も小さくサイクルも早いネットサービス上での活動を眺める事で、もっと大きなものの歪みが見えてきたりはしないのだろうか。



アルカナハート2に見る家庭用ゲーム機の世代交代時期

2D対戦格闘「すっごい!アルカナハート2」の PlayStation2 移植版が結構な劣化移植で話題らしい。
「ジャギがひどい」とか言われても、ゲーオタのいう「ジャギ」とCG用語のそれとは微妙に違うので今ひとつピンと来ないので見てみるしか。
実はアマゾンさんから届いていたのだけれども、後回しになっていたで段ボールからサルベージ。実際にプレイしてみると「あー、なるほどねー」といった感じ。
VRAMのテクスチャ領域に全キャラパターンが入らないので、あふれた分を「半分のピクセルサイズに縮小」して納めて、それを倍に拡大して見せているのね。横幅があるキャラはおしなべて入りきらないのでこの手法が使われている。倍なんでピクセルエッジが見えまくりなわけだ。せめてバイリニアがかかっていればまだ気にならない場面も多いだろうに、後述の描画フィルレート問題からフィルタがかかっていないのねん。
まず背景は完全に入らないので、標準で倍表示。静止時モーションだけは開始時に見えているものだから現物表示しているものの、他のモーションに入ったら半解像度になってしまう。なずなとか美鳳は歩くだけで半解像度なんだが、いちばんきついと言われるペトラはモーション(アニメ)の一部分だけ半解像度になるので気になりまくるわけですな。エフェクト群は真っ先に縮小されて「これはモザイクですか?」というくらい解像度が低くなっているし。
私は残念ながらアーケードでやったことないので、処理落ちで重いとかいうのはよくわからなかった。それ以前にへたれなんでコンボとかつなげられんし。まあ、実際プレイしていて重たくなるんだけれども、演出過多になるとスローになるゲームは過去に多くあったのでこんなもんだろうとか思ってしまった。アーケード版を知らないと、そんなものだよねで済ませて遊んでしまう感じかも。
重たくなる理由は主に 加算合成のエフェクトがたくさん出る場面で、もともと加算合成の速度が遅めのPS2では荷が重い演出だということですな。ピクセルフィルレートがあまりとれないので、かなりぎりぎりの描画になっている模様。
それよりもアーケード版にこだわるのであったら、24khz モニタ専用だったアーケード版アルカナハートを、インタレース表示の家庭用ゲーム機とテレビ受像器にもってきた時点でどっか納得のいかない表示になっているはず。
まあ、何かというと PS2 はもはやアクションゲームを作るには非力なマシンですなあということ。そして興味深いのが「XBox360かPS3で出しやがれ」という声が割と普通になっていること。XBox360やPS3が「そんな新しくて高いハード持ってねーよ」という時代ではなくアクションを遊ぶプラットフォームとして地に足がつきつつある時代になってきているということである。逆にPS2でこれほどのプレイアビリティを維持するためによくやった(ぎりぎりまで削って遊べる状態まで持っていった)、と言えなくもない。削りすぎではあるけど。
PS2はもはやギャルゲーや乙女ゲーといったマシンパワーを要しないジャンルでしか使われなくなりつつあるのだろう。SRPGとかでも複雑になってきていい加減メモリが足りなくきついはず。
マスを狙って無理に移植しても「劣化移植」と称されてたたかれるのでは、わざわざPS2をターゲットとする意味が薄くなる一方なんではないか。

しかしまあ、家庭用ゲーム機がアーケードゲーム機よりも遙かに性能が劣っていた時代。ゲームタイトルの移植なんてのは、必ず劣化移植で無理があるものであった。それでも、移植のニュースに沸き、ソフトを買っていたものだった。それはアーケードゲームが最先端であり、あの憧れが(劣化しても)家庭で楽しめるという事にわくわくしていたから。
その状況が変わるのは、PlayStationが発売され、アーケードゲーム基板よりもコンシューマの方がハード性能が良くなって以降である。具体的には以降のアーケード基板がコンシューマゲームと同じチップを使ったものになる。アーケードとコンシューマに技術的差異がなくなって、移植についての価値が大分変わってしまった。
今、アーケードゲーム機はPCと同じハードとOSになってしまい、またコンシューマ機とは微妙な違いを持ちつつある。じゃあPCならアーケードゲームが完璧移植かというと、汎用性の高いPC用OSと用途特化のゲーム機OSではタスク管理に差があって難しい様な気がする。
なかなかうまくいかないものだが、だからこそアーケードゲームは存在意義を持てているのかもしれない。

しかし、こういう場面での「総統MAD」(ニコニコ動画)ははまりまくるなあw



おでんとゲームセンター

なんか不意に昔のエピソードを思い出してしまい、頭から離れないので書き留めておく。

大学卒業後、新卒でゲーム会社に就職した私はゲームセンターに置く様ないわゆるアーケードゲームの開発に従事していた。
その会社の社長が割と有名な暴れん坊で様々な逸話が残ってはいるのだけれども、開発の末席にまで怒鳴り散らすことはなく現場にはそれなりに接してくれていたと思う。無茶な要求とかはしょっちゅうなのだけれども、意図があっての指示なのでそれに沿う様工面することもできていた。
そんなこんなでさほど社長と衝突することもなく働いていたのだけれども、一度だけ徹底的に怒られたことがある。
開発の序盤、まだ商品としての体もできていないような頃。実際の絵が描き上がってくるのはまだまだ先の話だったので、適当な素材集から写真を持ってきて背景に表示したりしていた。それら写真に特に意味はない。
そんなときふらふらと見に来た社長が、その仮背景の一つを見て突然怒り始めたのである。
そのとき画面に表示されていたのは『おでん』の写真だった。

「ゲームセンターに遊びに来ているお客様は既に衣食足りた状態でいる。その次の娯楽を求めているのに、食欲に訴えかけて引きつけようというのは間違った考えだ。ゲームの中に食品の絵を出してはならん」

正確な言葉はもう覚えていないけれども、おおよそこんな感じの内容だったはず。
この言が正しいかどうか、本当に食べ物の絵は良くないのかとかいった是非については未だに私の中で決着せず、今日のようにたまに思い出してはぐるぐると考えてしまう。
しかし、この社長の言葉に含まれているポリシー「どのような人にお金を落として貰うのか」「俺たちは何を提供しているのか」についてはすとんと腑に落ちた。ああ、こういう視点を持っている人なんだ、と。
そういった見方をしたことがなかったので当時は偉く感心した次第。
それが正しいかとか、同調できるかとかはまた別のお話なのだけれども、個人的にこのエピソードはかなり気に入っており忘れることができない。



VOCALOID CV03 は「巡」、名前の由来は?

皆が首をキリンさんにして待っていたCV03の情報がちょろちょろっと出てきた。
声の提供は浅川悠で「巡」ということだそうで。
この文字をみて「地獄巡り」という言葉が頭に浮かんだ私は三途の川で頭を冷やした方が良さそうだ。いっぺん歌ってみる?

名前についてはひとつ気になっている事が。
リンレンの時に語られていた事だけれども、「初音ミク」は “MIC” でマイク端子、「鏡音リン・レン」は “LINE”(とL/R)でライン端子といった風に音声系の名前が付いているのではないかといったお話。
とゆことは「巡」もオーディオ系なんでしょうなあ。まわるということで、レコードのターンテーブル、つまりは “PHONO” に違いないとは考えずに、ここは素直にサラウンドか。
サラウンドということは「今あなたの後ろにいるの……」というボーカロイド初の怪談系か!?いやそっちはイタコ系の灰汁江が居るのでもう要りません。

「サラ」なのかねえ。

[ 追記 ]
そうこう言っているうちに「巡音ルカ」が発表になった。
早いよ。しかも1月末発売か、どこで予約しようか(おちつけ)。

んー、ルカ、るか、luka…… ああ、「RCA端子」のことか




You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.