たまには振り返ってみようか

「ニコニコ技術部はこの人(不在通知P)が発祥か?」というコメントを貰うことがある。
これはその様でいて実はちょいと違う。
私の記憶している限りなので正確さは欠くのだが大体次のような流れだったと思う。(覚えている人がいたらフォローよろ)
9月の初音ミクブームまっただ中、突然独自路線で初音ミク(というかはちゅね)の動画を作成した人がいた。
初音ネギふり時計のひとである。

これを見て迅速に反応動画を作成したのが私とメトロノームの人。


この頃は「ニコニコ技術部」というタグはなく、これら工作系動画は「初音ミク実体化計画」とかいったタグがつけられたりしていた次第。
この工作系ムーブメントにいかにティンと来たかは2007年9月30日にも書いている。最初の動画から1週間もたっていない時に書いた記事だけれども、そのときの勢いがまさか今のニコニコ技術部にまで繋がって行くとはこのとき思っても居なかったですよ。
実のところ、これ以前にも「フィギュア作るよ系」は存在していたので、それとは違って工作といってもキャラクターグッズっぽくないなにかで萌えキャラ系アイテムを作るみたいなところが新しい流れの方ですな。
で、みんなで色々作って遊んでいたときにやはり実体化計画の一つである「初音ミク 実体化への道?」が投稿されたのだけれども、この動画に初めて「ニコニコ技術部」というタグがついたのだと記憶している。

なんでそんな事を覚えているのかというと「ニコニコ技術部」というタグがうらやましくて嫉妬していたから(笑)。まあ、そのうち自分の動画にもつけてもらえるようになってほくほくなわけですが。
一つタグが決まれば古い方の動画にも伝播していくので、今となってはどこが発祥かは実はわからないのです。
でもまあ、流れとしてはこのへんだよねというのは確かかと。そしてこの直後、青森の人が参戦してニコニコ技術部は独自の盛り上がりを見せていくわけです。
んや、それ以前は存在してなかったのかというとそんなこともなく。タグが固定化しないだけで、ぱらぱらと技術系動画のコロニーはありました。

さて、そんな頃の事を書いた記事を眺め返してみると意外に面白く。半年しか経ってないのに初音ミクブームは偉いことになったモノだなあと感慨深く。
例えば、初音ミク発売直後にあたる2007年9月3日の記事では「次に欲しくなるのは自由に踊るアイドルだろう」と書いていたが実現には半年かからなかった。
私が一番最初に初音ミクに言及したのが2007年8月16日で「ヴァーチャルアイドルというのは提供されて存在するのではなく、ユーザーの手によってなんとなく発生していく」と、ヴァーチャルアイドルと初音ミクをセットで扱っていたりする。
書いた本人でも読み返していて面白かったので、さらにさかのぼってMEIKOを買ったころの記事を掘り返してみる。これが2005年12月13日の記事と2005年12月15日の記事。「多少歌唱力に難があっても気にならない様なボイスを用意すれば良いんじゃないか?」とか「声には「デフォルメ」というものがほとんど存在しないんだよな。そこが確立していく必要はあるかも」とか書いてあって笑う。

未来は意外と遠くなかったんだね。




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2 Responses to “たまには振り返ってみようか”

  1. 尻P Says:

    「ニコニコ技術部」というタグがうらやましくて嫉妬していた――他ならぬ不在Pにそんな時代があったとは。それが先駆者というものなんですね。
     私など、自分の動画に自分で「ニコニコ技術部」タグつけて自分でロックしたもんです。あつかましいったらありゃしないw

  2. rerofumi Says:

    まあ私はあまり自分でタグ付けたりロックしたりしないで成り行きに任せる事が多いですからねえ。
    導線代わりに1〜2個付けて放っておく感じで。

    あとカテゴリタグの何処に入れたらいい物かと悩む様な内容の動画が多かったりしますし。

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