Archive for 1月, 2007

[PS3 Linux] クローバーの種

PS3 Linux も Debian/GNU Linux に入れ替え完全にそっちで作業中。
それに伴い、CD boot system も Debian ベースで作り直ししたのです。

このへんに置いてある。
clover-seed-ps3_070106.zip (50MB)

cdebootstrap で Debian base を minimal 構成したものに、PS3 Linux kernel を追加し、CD boot のための修正を施した物。vim ぐらいしかパッケージを追加していない pure system。
CD に詰め込むために squashfs を使用しているので、そのために kernel をビルドしなおしたりしている。まあ、Gentoo Live CD も squashfs なんで、そっからカーネルもらってこようかとも考えたのだけれども、リビルドした方が早かった。
Fedora Core の initrd は cpio “-H oldc”(+gzip) で debian は cpio “-H newc” という違いにひっそりとはまって苦労したのは秘密だ。

これ自体、シングルモードでシェルが立ち上がるだけなので、大多数の人にとっては意味がない代物。これをベースに CD boot Linux を作っていくという seed なのです。
一連の作業に “Clover Project” の名前を冠しているのは、意図してのこと。

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80年の遺物

ここのところ妙にレトロづいているので、帰省ついでに実家の物置をあさってくる。
今となってはおもしろいものも埋まっていたりするけれども、全部を引き上げてくるわけにもいかないので、いくつかセレクト。


ひとまずこいつをもって帰る。MZ-721。
まあ、普通に動いているのだけれども、さすがにデータレコーダのロードが不調っぽいなあ。セーブはできているみたいだけれども。


ほこりだらけなのでお掃除。


キーボードはばらしてちまちまと磨く。
今時のお掃除用品は強力なので汚れや手あかがぎゅるぎゅる落ちていくけれども、日焼けでプラスチックが黄色変色しているのはいかんともしがたく。


流石にテープ類はだめになっていてあきらめ。
ううう、ハードだけあって何もソフトがないよう。S-OS は WEB で手にはいるからその辺で楽しめたりはするけれども。
つか、所有していたのは確かなのでどなたか SP-5030 のバックアップを譲ってくれませんかねえ。とか。

以下は持って帰れなかったので写真だけ。


私にとっての原点(厳密には MZ-40K なんだけれども)の、MZ-80K2。
骨董品ではあるが、たぶんまだ動くよ。


通称ゼビウススティック。X1 ユーザーの心の友。


ベーマガの第一号。このころは「ラジオの制作」の付録だった。
一見 BASIC 中心の様でいて、ワンボードマイコン組たて記事とか、マシン語とかも混ざっていたり。


それもそのはず、そのころはまだワンボードマイコンの広告も多かったのです。


これは知っている人は少ないと思う、アーケードゲーム情報誌「アミューズメントライフ」。
ベーマガでゲームを取りあつかったり、ゲーメストが創刊される遙か以前に創刊されていたが、いかんせん時代が早すぎた。どちらかというとオペレーター(アミューズメント施設運営者)のための情報誌の色があったかも、そっちの路線は後日コインジャーナルになっていくけど。
ぱらぱら見てみたら「ぺったんぴゅー」とか「ガズラー」とかの広告が載っていた。そんな頃のアイテム。


サンソフトが発行していたファン向けの機関誌。表紙は「メタファイト」のヒロイン。つか、あのゲームにおけるヒロインの存在ってドルアーガのカイ未満な気がする。
これだけは他のアイテムに比べると新しい部類。

「初歩のラジオ」なんかも埋まっていたので久しぶりに眺めてみたが、あの誠文堂新光社独特の手書き回路図や組み版が妙に懐かしくてぐっと来るものがあったり。時代が時代なのでラグ板での工作が多かったな。
ただ、「初歩のラジオ」は幾分捨ててしまったらしく 1981〜1983年のあたりしか残っていなかった。このころはマイコンの BASIC プログラム記事なんかも混ざってくるんだよな。

温故知新といきたいね。

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2007年はどんな萌え?

なんというか、2006年は「ツンデレ」の年だったような気がする。
最も大きなムーブメントであった「涼宮ハルヒ」もその枠にはめてしまう事も可能であろう。いささか乱暴ではあるが。
「涼宮ハルヒ」ブームで意外だったのは、あれはラノベうんぬんよりも、80年代のジュブナイル小説(眉村卓とかそのへんの学園SF)の再来であり、それが今の世にも受け入れられるのだというあたり。まあ、キャラクター小説として現代ナイズされてはいるけれども。

まあ、そんなことはともかく、毎年恒例になっている(ような気がする)「今年来るのはこんな萌え」。実際来ることはなく、アフターフォローもなしの放談だけれどもお付き合いのほどを。

今年来ると考えているのはズバリ
「形のない萌え」

萌えというか、オタクコンテンツというのは今まで「ジャンル」とか「属性」とか、そういった型にはめることで定義されているものであった。そのテンプレートが一人歩きしすぎてしまい、徐々にゆがんでいくというのが昨今であったと思う。
テンプレートと化することで多くの人にとってわかりやすくなるのだけれども、本当の皆の心はそんなに簡単なものでもないと思う。
また、それを具体化するあまり物質的なアイテムが増えすぎ飽和しているのではないだろうか。初回限定版特典付録とか、積み重なる完成品フィギュアの箱とか。

そもそもで、オタクというのはコンテンツをネタに想像や妄想という領域で遊ぶことができた人種ではなかったのか。それが、テンプレートにこだわる余り、リアルでの物質的なアイテムに束縛されるというのはいかがなものであろう。
可愛ければそれで良いではないか的に、新しいジャンルやシチュエーションが開拓されていくけれども、それがだんだんリアルと剥離して無形化していくのではないだろうかと考えている。
今後は特典についても形が残らないもの、充足感のみを与えて終わるもの、そういった風に変化していくだろう。
萌え要素にしてもリアルでは実現できない様なものがさらに登場し続けるのだ。(女の子にしか見えない女装の男の子とか)

その結果、その世界にいない人からみたらまったく見当の付かない様な世界になっていくと思うが、逆にそうなってしまった方が安息の地たり得るのではないだろうか。

精神的充足のみのより高次な世界へ。
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