Archive for the 'フリートーク' Category

ニコニコ動画をプレゼンに使うという技

はてブ経由で「ユメのチカラ:技術は会社のものではない。みんなのものだ。社内セミナーをニコニコ動画(RC2)で公開するまで。」なる記事を読む。
ミラクル・リナックスのCTOである吉岡氏が野村総合研究所(NRI)でプレゼンを行った動画をシェアするためにニコニコ動画にうpしたというお話。
これをうけて「さすがオープンソースだ」的な声が上がっている様子。

そんな空気にライドするというか、ついでなので私の方の事例をネタばらし的にやっとこうかな、と。
プレゼンをニコニコ動画で公開ではなく、ニコニコ動画そのものをプレゼンに使うと言うことについて。

私はソフトウェア会社に勤めるエンジニア(プログラマ)なのだけれども、そういう技術系の会社だと社内で技術屋がお互いの技術や知識を共有して全体的なレベルを高めようよといった話しが良く出てくるものだったりする。今の会社でもそういうのがあって、有志がぱらぱらと集まって適当に勉強会なるものを開き最近勉強した事を皆に広めたり自分の得意分野を説明したりしている。
でまあ、そろそろ私の出番ですかねっ!ということで、そのころ個人的に没頭していた電子工作に付いてのプレゼンを行う事になったのです。電子工作といっても、マイコン電子工作は組み込み系開発のファウンデーションな部分であり、ソフト屋として是非とも押さえて貰いたいと思ってのこと。

プレゼンにおいて実際に作った成果物を動作させて見せる事が、なによりの説得力を持つのです。
とはいえ、割と適当な工作物なので本番で一発動作するかどうかよくわからないものです。というか、動作させて見せるための環境を整えるのが結構面倒だったりするのですな。
そこで考えた。予め動作している様子を動画に撮っておいてそれを見せれば良いんじゃね?と。
そこでさらに突き詰めて「どうせならその動画をニコニコ動画にうpしよう」と思い立った次第。
「こういうのを作りました」と動画を見せて、みんなの気を引いた後にその中身についてねっとりと解説するという作戦。そのときの動画がニコニコ動画にあるものであったら、どう面白いか。

で、そのときに投稿したのが「自作ハードでインベーダーゲームを作ってみた」という動画。

元々「コメを噛め」の方で細々と作成していたものだけれども、それが完成したところで動作している様子をニコニコ動画に投稿し、社内では勉強会にて制作に必要な技術の解説を行った。

プレゼン時にニコニコ動画上で再生して見せるわけなんだけれども、そうする理由はやっぱり視聴者のコメント。技術屋同士だと割と淡泊に見てしまうところなんだけれども、ニコニコのコメントは一般視聴者の客観的な視点が反映されるので「ここが面白いのか」「ここが凄いのか」といった気づきがそこに現れやすいのですよ。また、プレゼン前に行うことで場の空気を一気に高めることもできる。
場内で笑いが起こったタイミングで、画面の上を「wwwww」が横切った時には心の中でガッツポーズをとったものですよ。ニコニコ視聴者と、場内が場所と時間を超えてシンクロした瞬間だから。
このときはコメントが存在していて欲しかったので、プレゼンがある2週間くらい前にニコニコにうpしある程度のコメントが付くのを待っていた。確か、900視聴数の60コメントくらいはもらえた状態でプレゼンしたはず。(その後も再生数は伸びていきました、ありがたや)

ニコニコ動画をプレゼンに用いる利点は、コメントという客観的な感想とプレゼン内容が同時に見てもらえる所にある。あまりにも客観的すぎてネガティブコメントや荒らしが付くリスクも多いけれども、それもまた事実としてプレゼンできるだけの度量が必要かもしれない。
コメントは一般視聴者による素直な感情なので、マーケティング的要素も十分に含まれるだろう。
もっとも、プレゼン前提の動画だと「おもしろくもなんともない」ものになってしまう。ニコニコ動画に投稿するには、その動画自体が面白くないとならない。(まあ、そのへんのジャッジもコメントがしてくれるわけですが)
だから見て楽しい動画にする事にもいくらかは気を遣った、はず。

この事例では、電子工作成果物が個人で作成したものだったのでその技術的内容を会社内でプレゼンしたら、成果物をニコニコ動画で自慢したり、ブログでソースコードを配布したりと一粒で四度くらいおいしく利用できている。けれども、会社の技術を共有しようとか、お金が絡んだ物を応用しようなるとやっぱり色々な問題が発生するので難しいところかもね。

ニコニコ動画への投稿自体はお金にはならないのだけれども、私自身は視聴者のみなさんからお金では買えない物を沢山頂いている次第。感謝感謝。



Google画像検索と鏡音リン

「鏡音リン(レン)」で検索しても絶妙に外した絵しか出てこないと【またもや】話題のGoogle画像検索。
Yahoo!画像検索は数が異様に少ない物の外してはいませんな。
またも画像検索では Live!Search の一人勝ち状態。

ところで、”FL-Chan” も同じ状況になっているのはなぜ?
まあ、こちらは絶対数が少ないのだけれども。画像をクリックして該当ブログへ飛んでいくとちゃんとあるのに、絶妙に外したところのを拾っている。
パターンが読めない……。

「ふぉくす子」で調べると普通に検索できたりするので、擬人化が全般的に嫌われているわけではなさそう。(そりゃそうだ)



2008年はこんな萌え?

なんとなく2005年あたりから恒例として書きつづっている「今年はこんな萌えが来る!」。
当てる気もなく、予測でもなく、振り返ることもなくただの放談なのですが今年も行ってみましょー。

ちなみに、昨年はテンプレート化した属性から離れて、リアル化しにくい「形のない萌え」が来るよ!とか書いてあった。もちろん、このときには「初音ミク」なるヴァーチャルアイドルがブレイクするなんて思ってもいなかったのだが。

2008年に来るね!と観ているのは「萌えのポリモーフィズム」。
大昔、アニメのヒロインは一人しかいない物であった。ヒロインとそれを支持するユーザーが一対一であったのだ。これがゲーム(主にエロゲ)によって、ヒロインの複数化・パラレル化が始まり、「セーラームーン」によってマルチヒロインが定型化し現在に至る。その結果どうなったかというとオタク(ユーザー間)における好みの多様性肯定であった。
「おや、おたくは亜美ちゃんですか、私はレイちゃんなんですよ。はっはっは」と、それぞれの好みの違いやひいきなキャラの違いを認めつつ、「セーラームーン」いう大きな枠の中で楽しんでいる状態。派閥同士で争わず、もっと大きな共通項で結びついているというコミュニティ。
そういった他を認めつつ自分を主張するといったファン心理は現在まで続いていくのだが、そのなかでも「オレの嫁」合戦や信者拒否といった様に他の許容が徐々に細っているように思える。

そんな閉塞感を打破したのがこれまた「初音ミク」であった。
初音ミクはヴァーチャルな存在であり、色が付いていなかった。なおかつ商品である。このため初音ミクという存在は唯一のものではなかったのである。つまり、ユーザーである一人一人の手元にその人だけの初音ミクが存在している。
このことは、これまでの提供されていたコンテンツの様に絶対的存在を「オレの嫁」と奪い取る形ではなく、自分の手で自分が可愛いと思ったかたちでのキャラクターを作りだし、それを見せて語り合うといったコミュニケーション形態の変質をも意味する。
クラスとして継承可能なキャラクターが存在するだけで、ユーザーの形態に合わせてインスタンスが変わるポリモーフィズム。
最も極端な例で言うと「亞北ネル」や「弱音ハク」といった「初音ミク」をスーパークラスとして派生、継承し新たなクラスを作り上げたキャラクターが存在している。「弱音ハク」はさらにユーザー毎のインスタンスが存在しているため、従来の提供型キャラクターでは説明できないような世界を持っている。

ツンデレだのメイドだのテンプレートで作られたアルゴリズムだけの存在は唯一供給元としては都合が良いのだが、そういった固定されたメソッドにユーザーが合わせていく時代は終わりつつある。一人一人のユーザーに合わせたキャラクターが作り出せる様な、ポリモーフィズム・多様性が求められるのではないだろうか。
そしてそのようなポリモーフィズムをユーザー間で認め合いつつ、共有していくコミュニケーションが今年はさらに加速することであろう。



2007年もおしまいです

除夜の鐘を聞きつつ AT-XのARIA The animation 〜 The Natual の一気放送を鑑賞している、そんな大晦日。

2007年は私にとってどんな年?と振り返ると、もうまったくもって「ニコニコ動画の年」であった。
数えてみるとこれまでに47本の動画を投稿しているのであるが、おしなべてみると1週間に1本以上のペースだったりする。2〜3時間で作成したのもあれば撮影・作成にまる1週間以上かかっている動画もあった。
流石に会社勤めしながらそれらを作るのには結構な労力をつかうもので、ほとんどのパワーをニコニコ動画に費やしたと言っても過言じゃないかもしれない。ちょっぴり反省もしつつ。

なんでニコニコ動画なのかと言うとそれなりに理由もあったりする。
私は以前、時間差でチャットができるVirtual Synchro Chat なるものを作成して公開していたことがある。これは、アニメとかで実況チャットをやりたくても地方によって放送時間が異なっていたり、ビデオレコーダでタイムシフト視聴をすることが主流で通常の実況チャットがしにくい事に端を発する。
コンピュータとネットワークの発展で色々なものを超える事ができるようになったので、時間を超えて共有することができるであろうと考えての実験であった。
そんなことを考えていたほどなので、ニコニコ動画が発表されたときにそれを同じコンセプトのものだと感じた。自分のアイディアに自身もあったので、これ(ニコニコ)はいけている!と強い確信を得た次第。

んが、日本での Youtube 利用状況が抱えている問題をそのままニコニコ動画でも抱えることになる。権利コンテンツの無断掲載である。
Youtube での状況を踏まえ権利的に問題ないコンテンツだけを掲載しようという動画サイトがパラパラと出始めている頃であった。
そういった対違法コンテンツを扱うサイトを眺めて回ったが、どうにもつまらない。ニコニコ動画のあの面白さが存在していないのだ。
では、ニコニコ動画は違法コンテンツだから面白いのか?そんなことは絶対にないのである。あのシステムは秀逸だ。違法コンテンツじゃないと、あそこでは盛り上がることができないのだろうか?それもまた否定できそうな気がする。
そこで、自作の動画はニコニコで本当に受け入れられないものなのだろうかということを、実際に投稿することで実証・確認する事にした次第。
「ニコニコは自作コンテンツが楽しい場」となることをちょっと期待しつつ。

で、今日に至る。
初音ミクの発売以降はもう語る必要も無いほどで、ユーザー作成動画が楽しいニコニコ動画という空気はそれなりに存在しているのではないだろうか。
まだまだ解決すべき問題はあるだろうけれども、ご託よりもなによりも楽しいものなのだよということが感じて貰えることが重要かと。
同人誌即売会のオンライン版みたいな祭りを期待していたんだけれども、それとは異なるが負けてもいない独特なお祭り会場になっているんじゃないかなあ。

さて、次はどんなところを目指そうか。



初音ミクはユーザーのエイリアスとして歩き続ける

なんとなくつっこんでおきたかったので屑エントリー。

初音ミクが最初に引っかかった問題はTBSでなくてアマゾンですよ。
はっ、もしかしてあのC-D交換日記は「初音ミクが来ない?来た?」のオマージュだったのか!!??



管理主義は何も生み出さないという見方

日経のサイトをぶらぶら眺めていたら見つけた糸井重里氏のインタビュー記事。それを読んで思わず「むぅ」と唸ってしまう。

『「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/
『ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139184/
(記事自体はまだまだ続くらしい)

なにやら自分を管理者として置きたがりその正義を周囲に影響させる人達と、そういった管理は実は何も生み出していないんだよねというお話。
糸井氏のお話は個人的に賛否半々くらいなのだけれども、今回はたまたま私の中での認識と合致していた内容だったのでかぶりつきで読んでしまった。この記事の何が凄いかというと言っている内容そのものではなくて、それを適切な言葉を選択してわかりやすく伝えてくれるところにある。このあたりの「糸井マジック」には、いつも凄いなあと感心する次第。
作家の森博嗣氏が MORI LOG ACADEMY で良く「詩を紡ぐのだけは才能に因る」みたいな事を書いているけれども、そういった言葉を操る才能というものを最近やたら大きく感じる。

それはともかく内容の管理主義についてのお話。
管理する人ってのは必要だし、それがいないと不均等が生じるであろうといったあたりはその通りなので良いと思う。問題は、管理を代行された人の融通と、代行されてもいないのに代弁する人々の威力範囲なのだろう。

オープンソース主義者とその否定派の衝突っていう構造と、創造主義者と管理主義者の衝突ってのはなんとなく根っこが似ているよなあと前々から感じていた。なのでその原因を同一視することで何となく理解できるんじゃなかろうか。
『ご機嫌な人を見ると、不機嫌になる社会』では一節しか出てこないが「勝ち負け」という言葉がある。私としてはこの「勝った負けた」という定義の差と、競争社会に浸りすぎて「負けてはいけない」という強迫観念に囚われている結果なんじゃないかなあと思っている次第。
資本主義社会だと「勝った=儲かる事」なので、今すぐお金にならない様なクリエイティブワークはなんでもかんでも「負け」になってしまうのだろう。そして本当に負けることはいけないことなのだろうかというお話もある。



不在通知Pの目からみたあれこれ

すっかり一大ムーブメントと化した「初音ミク」。MEIKOのユーザーとして優待販売に申し込んだものの、ちと住所の記載を間違った関係で発売日当日に入手できないというアクシデントが起きる。「しまった祭りに乗り損ねた」と思ったのだけれども結局そのあとの広がりが大きくてファーストユーザー組に入ってしまっているのでした。
なんとか祭りに参加しようあせった所で「初音ミクが来ない?来た?」騒動(の萌芽)に飛び込んで楽しんでいる内に「不在通知P」とかいうプロデューサー名で認識されてしまった次第。
ちなみにプロデューサーというのは、ゲーム「アイドルマスター」由来ね。

普段あまりニコニコ動画に投稿した動画の事については語っていなかったりする。これは、ネタの解説をしても冷めるだけだろうから。
けれども、今回はちょっとだけ「不在通知Pとしての視点」から、周辺について書いて見たいと思う。

■初音ミク以前
初音ミクの前はMEIKO(とKAITO)という日本語Vocaloidがあって、一部がそれで楽しんでいた。それがニコニコ動画における人気の下地を作っていたし、MEIKO使いがその技を用いて高度な演奏を初音ミクに歌わせた事が初期の勢いを作っている。
それ以外ではアイマスの存在があったことについては、以前私も語っているし他でも同じ評を見かけるくらい当たり前の論である。
だがここで、もう1つヴァーチャルアイドルを語る上で重要なワードを書き残しておきたい。「僧侶」である。
「僧侶」というのはVSTiフォルマントシンセサイザーの「ディレイ・ラマ」のことである。ディレイラマは一種のボイスシンセサイザーだが「い〜あ〜お」の3種類の母音しか発声できない。その限定された母音で「お〜あ〜お〜あ〜い〜」とかお経みたく歌わせるのだが、個性的な絵面と中途半端な発声で笑いをさそいニコニコ動画でも定番となっていた。
問題は歌自体ではなく、キャラクターが創られていたことにある。
最も古くて最初に人気が出た動画「僧侶のアクエリオン」において、ディレイラマを3つ起動してそれぞれにボイスパートを割り当てていた。この3パートそれぞれ役割が違うことから、コメント達が「ヒ・ダリ」「メ・イン」「ハモ・リー」という名前を付けて親しまれることになる。
中でも「ヒ・ダリ」の活躍が少なく、おいしいところで仕事をすることから「これで給料同じなんだぜ」とか言って大人気に。そもそもで、便宜上付けた名前がだんだんとキャラクターとしての性格をも含むようになっていた。
バーチャルアイドル誕生である。
その後の動画も僧侶3人がニコニコにおける基本フォーマットとなり、「ヒ・ダリ」に笑いの要素を持たせるのがお約束であった。
楽器であっても絵と個性があればキャラクターとして存在できるといったオタク文化とニコニコ動画の空気は、この後初音ミクをヴァーチャルアイドルとして育てるのに重要な要素であったのではないだろうか。

■初音ミクが来ない?来た?騒動
初音ミクが来ない?来た?騒動は立役者であるワンカップP氏の一連の動画の事であるが、彼1人ではあそこまで引っ張れなかったのではないかと思っている。
一番最初の「初音ミクが届かないのでスネています」は確かに私も見て笑っていたけれども、それだけであった。それに応答する形で投稿された前日予約Pの「初音ミクが届いたのでスネていません」、これが凄かった。相手の動画に返信する形での連作という形にびっくりした。そして、視聴者が付けた「交換日記」というタグに激しく嫉妬した。動画間のリレーションをこんな形で実現したのだから。
そして「初音ミクが明日届くのでワクワクしています」という動画を作成して、このリレーションの中に飛び込んでいったのだ。まあ、もうちょっと多くの人が参加するだろうという思惑は外れてしまったけれども。
まとめ動画の最初の方で確実にワンカップPであろうと思われるコメントがあったのだが、ワンカップPもスペランカーのBGMを使う予定であったらしい。それを私に取られて非常に悔しい思いをしたのが、F1レースの時の「やりたかったネタも〜」のくだりとなる。ここで、始めてやりとりが双方向になりコミュニケーションがスタートすることになる。
ワンカップPがあそこで悔しさから歌を作らなかったら、以降は存在しなかったのではないかなあと考える次第。まあ、前日予約Pの火付けが見事だったからなんらかの反応はあったのかもしれないけれども。
ところで、前日予約Pと呼ばれている最初に返歌を作った奇才は、「ねぎミク」こと Ievan Polkka のはちゅねミクを描いたたまご氏と同一人物だと思うんだけれどもあまり話題になってないね。
[後日追記]前日予約Pは確かにたまごさんのアカウントでしたが、作者はOtomaniaさんだったそうです

ワンカップP氏はあれだけの人気を集めてしまったので、以降の作品作りが大変じゃないかなあと思っていたが順当に新作をリリースしており驚く限りである。やっぱり凄い人なり。
最近は歌そのものより、背景の写真の方でボケネタを仕込むというスタイルで確立しつつあるようだ。

■音声合成界隈
やっぱり語るに外せないのは「くまうた」の白熊カオスとそのプロデューサーであるサブ北島であろうか。
白熊カオスがちびちびと歌を作り投稿していたことは寡聞にも知らなかったので、出会ったのは「初音ミク」タグが付いてからである。他にも投稿者は居るのだけれども、その中で一番の人気者が白熊カオスというわけである。他の投稿者の作品もなかなか面白いので探してみると良いかと。
特に、初音ミク以降は新しいくまも参戦してきてちょっとした盛況となっている。特に、組曲『ニコニコ動画』をくまうたに歌わせているのなんかは、かなり無理があってつっこみを入れつつ最後まで見てしまう。もちろん歌詞だけで、曲は演歌なわけだよこれが。
他の音声合成だと、おしゃべりノートに無茶振りの人とか、テキスト読み上げ系の人達もいる。
ただ、こういったテキスト読み上げ系はイントネーションがおかしかったり機械音声だったりすることで笑わせてくれているので、初音ミクと比べるとネタの範囲が狭いのが難しいところ。なにか、あっと驚くネタで笑わせてくれることを期待している。

■その他
時計を改造してねぎミクを表現しようとしていた「初音ミク(はちゅねミク)のねぎ回しを実際に作ってみた」という動画があった。初音ミク祭りの中で1人PCから離れて工作という形で初音ミクを楽しもうとする姿にピコーンと来るものがあって、反応動画を作成した。「歌ってみた」「描いてみた」「3Dで作ってみた」といったそれまでとは違う流れだったのだよ。
まあ、それはともかく、「初音ミク(はちゅねミク)のねぎ回しを実際に作ってみた」の方で「メトロノームで作れば良いんじゃね?」というコメントが投稿されており、メトロノームが市場に貼られているのだが、そのメトロノームが 1つ売れていることには気がついているだろうか。
おそらくこの購入者が「初音ミクのメトロノーム」「初音ミクのメトロノーム その2」の作者じゃないかと見ているんだけれども、だとしたらネタとしてもうちょっと評価されても良いと思う。



オマケ?

コンビニに寄ったらブルボンの「懐メロクッキー」なる商品が目に入る。
8cm CD に懐メロが 1曲入っていて、それにクッキーが付いている。280円。
すげえな食玩戦争。

ブルボンなんでクッキーは文句なくおいしいです。



人生の目標というほどではないけれど

ここしばらくでめちゃくちゃ尊敬している研究者と飲み交わす機会に恵まれる。
(その人への尊敬なくして現状の lmbbs は存在しない)
私の様な学の無い末端のエンジニアでもそういった機会に恵まれるものなのだと涙を流さんがばかりに感謝する次第。

やっぱり私は底辺でうごめく存在で、常にあこがれている存在が居て欲しいものなのだと再認識する。
もっともっと凄い人に憧れて、そういった人々に会っていきたいものである。




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