スローアーティクルの愉しみ
Blog の例を出すまでもなく、WEB ページでビューを稼ぐことができるのは更新頻度が適度に高い所であるという通例がある。
そういった頻繁に更新されるサイトの最新情報を効率よく収集して読むために私たちは RSS を利用したり、巡回ルートを設定したりしている。
そこには「情報=鮮度」という価値観が全てであり、期を逃した情報はほとんどビューを得ることができない。
blog や SNS といったコミュニケーション前提であるとまたちょっと違うのだが、コミュニケーションを取るための記事とコメントである場合、その情報鮮度はやっぱり短い。例えば「今日はラーメンを食いました」という記事とそこに対してのコメントなんて、情報lifetime としては半日も無いだろうて。
しかし、WEB という情報データベースにおいて最新情報だけが全てではない。
何かを調べたくて検索エンジンを使うのは常だが、そうしてたどり着いた情報は新鮮な物であるとは限らない。不意に調べる必要に迫られた情報なんてのは、検索する人の都合だから何時になるかなんてわからないものなのだ。
情報鮮度にばかりこだわるのではなく、そういったいつか必要とする誰かのために情報を置いておくというのもまた WEB の楽しみなのである。
特にページビューを稼ぐことはないけれども、そのうち誰かが見るだろう。その芽が出るのが数ヶ月後か数年後か。そんな、確実性のないことのために、こっそりと仕込んでおく。これこそ、しぶい大人の楽しみ方ではないだろうか。
それをもってスローアーティクルと呼んでみたい。
あくせくしない私のこだわり記事。
そういった未来の誰かに向けた記事はどうやったら書けるのだろうか。
もちろん確実な方法など存在はしないが、私が気をつけているのは 1年後もしくは 3年後に自分で読み返すことができる文にすること。
良い Blog を書くコツみたいなハウツーが最近流行っているけれども、多分それにも通用するのではないかと思う。
情報に囚われてばかりで、知識の共有をおざなりにしてはいませんか?
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