萌えコンテンツは曲がり角?

各所で話題の「CEDEC 2004」でのカンファレンス、G’sマガジン編集長による「萌えとはなにか」
ふたを開けたら「双恋」の宣伝で、がかーり。
まあ、その話自体は適当に流しても良いのだけれども「ゲーム業界の“少子高齢化”」という単語にちょっとひっかかった。萌え業界は衰退していくのだろうか。
個人的には衰退すると思う。だが無くなるわけではなく形態を変えるものであるとも考えている。

かつてゲーム業界が歩んだ道がある。
ゲームといえばアクションとシューティングがメインであった時代があった。だが、それらジャンルは衰退し、そのジャンルとともに業界勢力は大きく変貌した。
しかし、ゲーム業界が無くなったわけではないしマイナーカルチャー化したわけでもない。若い世代の趣向が変化し、それにともない市場を形成するジャンルが変貌しただけである。
かつて繁栄を誇ったアクションやシューティングも絶滅したわけではないが、それを好むのはかつての栄光をしる高年齢層が中心となる。レトロゲームがそのままの形で提供されるリバイバルブームも同じ事象だ。
つまり、若い層には若い世代に受け入れられるような新しいジャンルというものが生まれ、そこにシフトした。それが従来のゲームという形を取っているかというと、微妙に形を変えている。
単にそういった時代の流れがそこにあるだけである。
そういった流れについていけるかどうか。

今、というか、ちょっと前まで「萌え」と呼ばれていた物は2000年前後に形成された文化である。それが「萌え」なのだとこだわり続ければ、古くさくなっていく行くだろうし、少子高齢化もするだろう。
そろっと「萌え」という次の世代を彩る言葉が現れるべきである。

アクションゲームしかなかった20年前。映画にあってゲームに無いジャンルとしてラブストーリーを挙げ、その去来を予見した。(そのウェーブはエロゲのほうからきたわけだが)
ラブストーリーを描いたドラマや映画は異質な物として扱われているわけではない。だから、ラブストーリーゲームの大衆化は大いにありうる。ゲーム界の「柴門ふみ」が登場すればよいだけの話である。

未だゲーム界に訪れていないジャンルとして「ヒューマニズムドラマ」とか「ドキュメンタリー」とかがあったりはしますな。もっとも、「泣きゲー」がヒューマニズムゲームに近くはありますが。
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