ウェブログの先に見据えなければならないもの
「できる!ウェブログ」というページを読んだ。
『ま た ブ ロ グ か よ』
とか思って流していたのだけれども、実際に読んでみるとそれなりに良い資料であった。日本の WEB日記について「津田日記リンクス」や「日記猿人」に触れる文章はあっても、朝比奈アンテナや hauN が作ったものに対して語られている文章はそうそうないと思う。で、日記側とブログ側の両方に中立たらんとし、機構比較についてなどではなく「blog騒動」が誰の手によって起こされどう推移していったかという視点で記述されているあたりが好感触であった。
ブログも日記もニュースサイトもリンク集も「機構」や「形態」でしかない。
そういった「仕組み」自体を楽しがるのは一部マニアだけであろう。それ以外の大多数は「仕組み」なんかどうでも良く、そのコンテンツが楽しいかどうかだけを求めている。
「できる!ウェブログ」の最後でも「面白いサイト」の登場を望んでいる。
「侍魂」にしろ「ちゆ12歳」にしろたまたま日記サイト(かのコミュニティではテキストサイトと呼ばれていますが)という形態をとっていたのでそっち方面の文化が確立た様なものだと思う。
それに匹敵するだけの面白い「コミュニティ」が登場し、そのサイト間がブログで連結されていたとき、ブログは日本でブレイクするに違いない。
たしか「はてな」の人の言葉だったと思うのだけれども、日本人がサイトを作る際に「自分の家」と作るような感覚があるのだそうで。「ホームページ」なんて言葉が定着したのは案外そんなところがあるのかもしれない。
日本人にとって「家」制度が大きなものであるように、自分の所有物とその領域は自分の周囲で閉じていることを好むのであろう。他人のサイトへ訪れることは「ゲスト」としてその「家」におじゃまするのと同じような感覚があるのではないか。それゆえに「サイト運営者=家人」「訪れる自分=客人」という構図が強く、他人のサイトで自己主張するのは好まれないし、自分の家のしきたりを外に強要することも望まない。
だからサイト毎に掲示板があり、その掲示板でも家長とゲストの会話といった関係がなりたている事が多い。2ちゃんねるにしても「ひろゆきの掲示板」であって、我々は公開されたその軒先に集まって雑談をしているという立場にある。
そういった「家」という閉じた世界が心地好いという感情と、他と繋がりたいというネットワーク的楽しみの微妙な境にあるのが日本的コミュニケーションなんだろうか。
なんにせよ「面白いコンテンツ」話はそれからだ。
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