Archive for 10月, 2002

MEGAMI と G’s

MEGAMIマガジンとG’sマガジンの発売日である。
さすがにこれらをもって出社するほどの度胸はないので出社時には買わずに、帰宅時にこっそりと買って帰る。
今日のMEGAMIマガジンはお楽しみだったのですよ。なぜなら「天使のしっぽ」の続編である「天使のしっぽChu!」の放映日が載っているのだから!!ってだいたいはネット上のリーク情報でつかんでいたんだけどね。一応オフィシャルな発表がこの紙上ということになっていたので。
それにしても「2(two)」のもじりとは言え「Chu!」ってのはどうよ。『まったくもってー』とか「厨」とかいろいろよその事が頭に浮かんでしまうではないか。(「渋谷で〜」は範疇外なので浮かばず) あまり好印象ではないかな。

ちとびっくりしたのがMEGAMIマガジンの表紙が「シスタープリンセス・リピュア」だったこと。なんでかというと、MEGAMIマガジンの一押しコンテンツが「天使のしっぽ」であり、これが「シスタープリンセス」の対抗コンテンツであったがためにMEGAMIマガジン上では不自然なくらい取り上げられる事がなかったのである。その逆でG’sマガジンのほうでも「天使のしっぽ」が取り上げられることはなかったんだけど、G’sは原則ゲームコンテンツ中心なので範囲外とも言え別に不自然ではなかった。
だけどプリピュアが始まるにあたってその戒厳令を解いたらしくMEGAMIマガジン上にシスプリの情報が踊るようになったというわけ。
今月のG’sマガジンの方を見るとゲーム版「天使のしっぽ」が掲載されていてそれはそれで感慨深いものがあってみたり。間にゲーム版「陸まお」が挟まっているものの、エンジェリックコンサートが続けて掲載されているあたりに苦笑してみたり。

で、G’sマガジン。
各所で「冥土服キター」と話題になっているプリピュアオリジナル下敷きだけど、私は何度みても「ミュウミュウ」に見えてしかたがないんですがどうにかしてください。ってことは黄色い服を着ている咲耶が猿担当ですか?
G’sマガジンといえば期待の新コンテンツ「双恋(ふたこい)」、残り 2組の双子ちゃんの発表きたる、どきどき。って、ツインテールロリと内気眼鏡ですかッ!!!そ、そうきましたかッ!!!あまりにも狙いすぎではないのですか!? だからオタクコンテンツの記号化とその浪費が行き着くところの危惧として、ってとりあえず落ち着け俺。すいませんちょっとつぼ入ってしまいました。(でも一番気になっているのは白銀姉妹だったり)
双恋のキャラデザはささきむつみ氏だけど、ゲーム部分カットは金閣寺ぷるる氏が行うらしい(シスプリにおける霧賀ユキさんみたいな感じ)。あ、ちょっといいかも、この人の絵結構気になっていたんだ。
やはりこのへんの取り回しはさすがとしかいいようがないな>G’sマガジン



PC上でモゲりたい

なんか NEC の HDDレコーダが ether 接続で録画したデータをPCに転送できるのに対して東芝の RD-XS40 ではできないことを受けていろいろ不満の声があがっているもよう。
とはいってもあれだ NEC のやつは SmartVision + 制御部で家電の様相になっているだけで PC みたいなものだろう。だから MPEG2 録画ができてそういうことができるんだと思うんだが。
RD-XS40 だと DVD-RAM との連携命なわけで、内部では MPEG2-VR になっているのではないかと思う。
おそらく録楽以外その他の HDDレコーダは MPEG2-TS であろうし。

よするにMPEGシステムが違うのだから仕方がないのでは、とゆことで。
まあ、システム変換しながら ether に転送しる!とかいう話もあるのですが。

個人的には DVD-RAM 経由で PC に取り込めるので全然気にしていなかったり。かえってこっちの方がよいのではないかと思えるし。
DVD-RAM 経由でビデオを取り込めるようになってからキャプチャカードは使わなくなったので外しちゃったし。



了承(1秒)

東芝の RD-XS40 をネット通販で予約しますた (;´д`)
Ether 接続で PC から TV 録画予約、は長年の夢だったので。
どのみち冬は RD-X2 あたりを買う予定でいたし。

今は DVDレコーダと HDDレコーダをそれぞれ単体で所有しているんだけどどっちも便利で、でもやっぱりくっついているともっと便利だろうなということで。

関連リンク
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20021022/toshiba.htm



日記システムの不具合

ここしばらくひょろひょろとこのシステムで日記を付けているのですが、いくつか不具合もあるんですよね。バグの場合は修正しているのですが。

日記の更新日時は記述者でのビューを表示するとヘッダーに last update が META タグで埋め込んであります。それかもしくは下記リストを利用するか。
http://www.limo.fumi2kick.com/fbbs/diary_lirs.cgi

だけれども通常のアンテナって URL の末尾に更新時刻 (〜?10221313 みたいな)を付ける風習があって、URL 引数で author 指定している当システムだと二重引数になって後ろの方だけ認識されてしまいうまくないんですよね。
Ruby の CGI ジュールでうまいことやる方法はないものでしょうか?
自力でパースするしかないんかな。



CDを探して

そいや先週末にアニメ「ギャラクシー☆エンジェルえーーーす」のオープンニングテーマ「ギャラクシーばばんが☆BANG!!」の CD が出たんじゃなかったっけなと思って CD 屋をいくつか回ってみるが発見できず。
「むきー、モンスターズが買い占めして日本は大混乱に陥っているですか!?助けてコンドールマン!!」とか思いつつやけくそでラジオ「でじこさん」のオープニングテーマCDを購入(いや、EDの曲なんか好きなんで)。

ふと思い出して携帯を取り出し「メモぷり」で確認。
あ、ばばんが☆BANG の発売って明後日じゃん……

自分の勘違いということでオチ



ネットがもたらす物

インターネットやコンピュータが私たちにもたらした最大の影響は「文章を書くようになった」事だと思っているのだけれども、どうよ。

# 例えそれが友人間の他愛のないメールであったとしても



メディアの遍歴

ちょっと前に先日帰宅途中の電車内で前に立っていたオヤジが読んでいた新聞が不意に目にとまった。端っこにあるコラムの一片なのだが、その論題が「若者の活字離れと携帯電話」ということであった。
最近の若者は携帯ばっかで活字を読みやがらねえ、というのが前半部で後半は自分が戦時中苦労してまで活字が読みたかったという体験談が書いてある。
ようするに「俺を見習えさもなくば馬鹿になる」と若者を戒めているわけだ。
少なくとも私はそう理解したし、そのような解釈が出来る文であった。そして毎度毎度こういう論調を見るたびに気分を害すること甚だしい。

このコラムの場合「活字」ってなによ?というところからツッコミが始まる。
もちろんそれが「書籍」「文献」の類であることは想像に難くはないのだが、著者が指しているであろう対象物に比べ実際に「活字」が定義されている範囲は広い。
例えば漫画の吹き出しないにあるネームも十分に「活字」ではないか。だからといって漫画を沢山読めばそれなりな量の活字を読んだとその著者が見なしてくれるかというとそういうわけでもあるまい。
それに携帯をやり玉に挙げているということは媒体が「紙」であり「本」もしくは「新聞」という形態になっていなけらばならないのだと思う。私たちの様なインターネットジャンキーは PC や携帯 PDA といったデジタル装置のディスプレイに画かれる文章をいったいどれくらいの量読んでいるのだろうか。毎日ニュースサイトや日記をぐるぐると閲覧して回っているし、コラムを読んだり掲示板を見たりメールを読んだり、はてはオンラインマニュアルを読みふけったりする。
そういったネットワーク経由で読む文章というのは一体どれくらいのものになるであろうか。ひょっとしたらネットワークを利用していない人に比べると物凄い差があるのではないか。そういった大量の文章や情報を取り入れる事を否定するつもりなのだろうか。

要するにどういった書籍を読めと言っているのかだと思うし、そこには個人的な価値観がからんでいると思う。
例えば、私は月当たり20冊以上の本を買っているんじゃないかと思うけれどもその大半が漫画だ、あとはゲームやアニメの情報誌とコンピュータ系の雑誌と専門書籍。最近はコンピュータ系の本も購読料が減った。書籍では情報が古すぎるので、ネットワーク上にある情報を優先して読むからだ。書籍は通り一遍のナビゲータとして目を通し、細部や最新の情報はネットワークから得ることが多くなった。
この中に「もっと本を読め」と声にしている様な人達が読んで欲しいと思っているんじゃないかなぁと推測できる「小説」「随筆」の類はほとんど含まれない。
せいぜいで年に数冊ライトノベルを買う程度だ。
しかし、これら情報誌、雑誌、専門書籍といった物を読むだけで大量の活字を目にしている、ネットワークを含めたらもっとだ。それにも関わらず「活字を読め」と主張する人の合格圏内には入っていないに違いない。

先日、俺ニュース経由で読売新聞の「『本離れ』の実情を探る」という調査報告を知る。
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200210/10data.html
調査項目も細かく、報告内容も納得が行く。
少なくとも「本が売れていない→携帯のせいだ」という短絡思考に対しては確実なカウンターとなる資料であろう。

こんな事を書くと怒られるかもしれないが。
私は文学とも言われるいわゆる小説の類は「娯楽」だと思っている。知識欲を満たす行為ではなく「娯楽」なのだ。だったら「娯楽」は他のメディアでも得られるわけだし、今ではそのメディアが無数に存在している。
昔は書籍と舞台くらいしかなかったのかもしれないが、映画、ラジオ、テレビ、レコード(CD)、ビデオ、ゲーム、WEB 等、様々なものが発生し発展している。それら存在する全てのメディアに対し庶民がどれだけお金を払い続けられるであろうか。分散したらしただけ個々の配分は少なくなって当然なのである。
メディアは常に生まれ変化している、しかしお客様がお金を払ってくれるのは面白いコンテンツが存在する場所であり、一つのメディアに固執しているわけではない。メディア単位で見た場合、固定メディアの売り上げが落ちていくのは当然の事なのだ、それだけ世の中は動いているのだから。
それだけ散ってしまった多種多様なメディアと庶民の財布の行方を呼び戻す方法は簡単である。面白いコンテンツを作成すればよい。
売れなくなったと嘆く事は意味がない、どうやったら売れるものになるのかを論じるべきだ。

そして、それはあらゆるメディアに対して言える事でもある。



頭痛発生メガネ

インターネット通販で買った FMD-20P が届く。
EYE-TREK の愛称で有名なオリンパスのヘッドマウントディスプレイだ。
もっともオリンパスはフェイスマウントディスプレイと呼んでいるが。

ヘッドマウントディスプレイはタカラのダイノバイザーが 1万円未満でたたき売られていたときに買ったのがあるんだけど、流石にこれはひどかった。
重いわ焦点は合わないはぼけてるわ端は見えないわで実用にはほど遠い代物だった。テレビアニメを 30分観ているだけで目が疲労して意識が飛びそうになる(苦笑)。
んまあ、これのおかげであっても使わないであろうことはわかっているんだけど、今度ソニーが出すヘッドトラッカー付きヘッドマウントディスプレイの記事を読んでみたり、PC につなげられるグラストロンを使わせて貰ったりしたら無性に欲しくなる病にかかってしまった次第。
だったらソニーのヘッドトラッカー付きを買えばよいのにとも思うわけだが。
ヘッドトラッキング対応ソフト(グローバルエアフォース)も持っているのだし。
ってそのへんは予算の都合ですな。
今回 FMD-20P を 23000円ほどで購入した。
実は EYE-Trek もグラストロンも既に生産終了している。今度出るソニーの奴が唯一市場に出ているヘッドマウントディスプレイということになるのだ。
で、この FMD-20P は「PlayStation2 にしか繋がらない」という用途限定な代物なのでいっそう人気がない。よって安かったのだと思う。そういった状態からなんとなく今買わないとダメじゃないかという気分高まって注文ボタンをクリックしていた次第。
まあ PlayStation2 に繋がるなら DVD を観ることはできるわけだし悪くはないかな。

液晶は18万画素(480x320pixel くらい)なのでちょっときついけどゲームの文字は問題なく読める。TV でも小さい上ににじんで読みにくかった「パイロットになろう2」の計器類もかろうじて読めなくはない。ダイノバイザーに比べれば快適すぎるくらい綺麗だ。
しかし、液晶のドット欠けがひどい。ハズレか?
左に 5つ、右に 2つの欠けがある。数自体はまあいいんだが、目の片方にしかそれぞれの欠けがないものだから、ドット欠けの部分は左右で同一性を保たない。平たく言うとドット欠けで光っている部分がぼやっと手前に浮かんで見えてしまう。両眼別液晶だからこその悩みか。

まあ、これをかけて寝っ転がった状態で Ever17 や AIR を読むのもおつなものであろう。って両方ともせっかく発売に買ったソフトだというに、積んでおかないでさっさとやれよ>俺



ゲーム版はスルー

録画しておいた先週の「ミルモでポン」を観てその間の CM にてゲーム版の制作会社を知る。うわ、絶対買わない。家訓でそう決められているので。

これは私の決定です!!
お兄様、涙が止まりません。



過ぎ去りし美しき日々

成田の所で手伝いをしている間、アニメ版あずまんが大王の大体 2クール目の部分をだらだらと流していた。エアチェックしたものだが、ところどころ撮りわすれがあって話が飛んでいるのが悲しい。

まーそれを流しながら適当に話しをするわけだが、話が「女性があずまんがを読んで楽しいものなのか」という方面へと流れる。
なんでかというと、あずまんが大王は「萌え系」ではないが、「女子高生がこんな風に楽しく学園生活をしていると良いなあ」という男の視点から見たドリームがたぶんに含まれていると思っているからだ。そこまで極端ではなくても男性視点で描かれているには違いない。
そんな内容であっても、良くある萌え系の様な匂いが鼻についたりはしないのでまあ受け入れられているんだろうなあと憶測する。実際にどういう母集団に訪ねるかによって色々と返答も変わりそうだが。
んじゃなんで萌え系ほどきつく感じないのかというとキャラが生き生きと動いているからなんだよな。もちろん、各キャラの個性は無茶苦茶強くて非現実的ですらあるが、不快な誇張でないあたりなんだと思う。実際にこういう奴いるよな、いたらいいなという所を伸ばしている。
一言で言うと「媚びていない」というあたりになるのか。

また面白さを増長する要因の一つが「学校生活」を描いているところだと思う。
日本国民のほとんどが高校に通った経験があるし、そうでなくても中学校までは経験があるはずだ。そういった唯一の「共通の体験」が学校生活である。
それゆえにどういった行事があって、どういった内装で、どういった生活が行われているかという経験則がほとんどの日本人の間で知識として共有されている状態にあるからだ。
だから学校という中で突飛な事件が起きたり、奇行を行う人物がいたりすると自分の経験則と照らし合わせてそれが相対的にどれくらい面白い事象なのかが見当がつくのだ。

エヴァンゲリオンというアニメの設定では、到底通常とは言えないような環境に日本は陥っていた。だが主人公達は学校へと通う。冷静に考えると奇妙な気もするのだが、この学校生活を描写することにより学校という尺を用いて視聴者の中に個々人として相対的なキャラクターを作り出す。つまりはキャラクターを身近に感じて親近感や思い入れが強くなるのである。
また、学校という単語をハブに大きな説明無く登場人物の枠を広げる事ができる。

そう考えると「マリア様がみてる」も「あずまんが大王」と同じような文脈ではないかと思う。「マリア様がみてる」の場合は女性が夢見る「女子高生がこんな風に楽しく学園生活をしていると良いなあ」という物語だと思われるからだ。
どっちにしろ「楽しい学園生活」という物語はぞくぞくする。
そういう文脈でいうと男性でも読めるというのはなんとなく納得がいくのだ。
# もっとも私はまだ「マリア様がみてる」の頭の方しか読んでいないので
# 言及できる立場に(まだ)いないのだが

つまり何かというと「学園物は偉大かつ不変なものであることよ」という事だ。
学園王道物というのはほとんど無くなったが、なんらかの形でこれからも学校という舞台が物語に織り込まれる事であろう。
そこには受け手が持っている眩いほどの思い出がスパイスとして隠れている。




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