2009年はこんな萌え?

毎年根拠も無く、当てる気も無いままの放談「今年はきっとこんな萌えが来るね!」
ちなみに過去の書き散らかしインデックス。
2008年「継承によるキャラクタのカスタマイズ」
2007年「実体化不可能な要素」
2006年「ミステリー」「オリジナル」「オンライン」
2005年「本質的可愛さへの帰還」
2004年「2003年は萌え系コンテンツ成熟の年だったと思っている。ある意味今が頂点でバブル最盛期なのではないだろうか。」
今年も適当にいきましょ。

今年の流れはきっと「コミュニケーション構築に向けた、名刺としての萌え要素」かな、と。

大筋は昨年の記述と繋がっていたりするのだけれども、今回の着目点は「俺の嫁」という言葉が持つ意味がこの1年で変質してきたあたり。
自分のお気に入りのキャラクタに対し「俺の嫁」と宣言し、そのキャラクタへの思い入れや嗜好をアピールする姿はネット界隈で大分以前からあった風習だと記憶している。それが2007年に入ってニコニコ動画上で頻繁に見かけるようになって広く定着した。個人ブログ等の非匿名環境で嫁宣言を行うと「あなただけのものではありません」とか「その程度の思い入れで嫁呼ばわりはできん」とかつっこみをもらうものなのだけれども、匿名性の高いコメントにおいてはそういったトゲが和らぎ「馬鹿なことやっているなあ」という笑いの要素へと転じる雰囲気となっていた。
そんなニコニコ動画のコメント上であっても2007年においての「俺の嫁」宣言は、特定キャラクタを独占したい、それくらい俺は好きなんだといった攻撃的な要素を含んでおり「俺の嫁」の奪い合い合戦が度々生じてしまっていた。
ところがこの言葉が定着してしまうと幾分まろやかな表現となっていき、2008年においては「自分の属性を皆にアピール」する意味での嫁宣言となっていく。もしくは「このキャラクタ可愛いよな」と同程度の意味合い。
そうなってくると「俺の嫁」という発言の目的も変わっていく。
これまではただ単純に自分の好みを宣言し他は認めないといった攻撃的なアピールだったのだけれども、最近では「わたくしは○○を嫁としたいものですが、同士はいらっしゃいますでしょうか」というコミュニティ形成の道具として扱われている。
自身のアピールもコミュニティ形成の手段ではあるのだが、より積極的にクラスタを検索しそこに所属するためのタギングとして「萌え属性」が用いられつつある。
ボカロパンツ派閥なんてのがあるけれども、これも自分が信じるものを宣言しなんとなく派閥に属することでコミュニケーションの機会を得ている例ではないだろうか。白だの縞だので集まることで、他の派閥に負けるなという会話ができたり時には結束してコンテンツを生み出したり。
かようなキャラクタを軸としたコミュニケーション構築という娯楽をいかに提供できるかがこれからのサービスとなって行くことだろう。もちろん言うまでもなく、既に成功している事例が PIXIV なのだが。

以上のようなことを含みつつ ai sp@ce はどんなもんだろうと、静観を続けていた。DAKINI氏がかさぶたで『「おれを見ろ」ではなく、「おれの愛を見ろ」』と書いていたのが正鵠を射ているなあと思ってのこと。
基本的に私はアバターサービスが大嫌いである。自分をアピールするのが苦手であり、自分の作り出した作品の方を見てもらいたいと思っているからだと思う。WiiのMiiも嫌いで仕方ないのに、XBox360の新インターフェースはアバター必須となってしまった。しかもそのアバターがバタ臭くて耐えられない、爆発してしまえ。
だいたいで、ネット上で表現すること自体がアバター化みたいなものなのに、二重三重に別人格を演じてどうするのだ。めんどくせえ。
という個人的心境の前提で ai sp@ce を見るとどうか。
確かに「キャラドル」という俺嫁を添えて、それを可愛く着飾ったりカスタマイズしたりして皆に見せることができるほど可愛がるという要素は悪くない。しかし、街を歩いていたりコミュしている人たちをみると何か違うことに気づくのだ。
「キャラドルいらなくね?」
結局「キャラドル」の方でなく、アバターというプレイヤーキャラクタそのものの方を着飾ったり、会話をひねったりすることでコミュニケーションが成立してしまうのでそれで良いのだ。「アバター=自分」でなく「アバター=作成したキャラクター」になってしまっていて「キャラドル」をかまう必要がなくなる。または、コミュニケーションとしてキャラドルを褒めるのではなく、アバターを褒める事で事足りてしまう。
自分を仮想空間にコピーしなくても、中の人としているのだし、アバターそのものを可愛く仕上げて名刺として使用することができる。
なんか、この微妙な剥離感が気になってもういいやと思ってしまったあたり。

2008年で最も凄げえと驚愕したキャラクタコンテンツは Baby Princess のブログ “WHOLE SWEET LIFE” である。
Baby Princess は Sister Princess 後継の読者参加型誌上キャラクターゲーム。12人(9人)の妹ではなく、今度は 0歳から18歳までの19人姉妹の物語。これだけのレンジがあればどれかは当たるだろうという力業な弾幕コンテンツ。正直なところ、キャラクタを全員覚えるのは12人が限界だと思った。
んで、その企画自体はともかく、そのブログが本当に凄い。
これまでの一年間姉妹が交代で毎日更新しているのだけれども、このコンテンツの本体は「読者が書き込むコメント」にある。どの記事にも数十個のコメントがついているのだけれども、そのひとつひとつがキャラクタのファンが「交換日記」的に書き込んでいるため、本当に壊れきっている(褒め言葉)。
シスプリの時もそうだったけれども、こういった二次元に対するファンの愛情アピール文は本当に面白い。
そして、それを数多く読んでいくと、それらファンの壊れたコメント群が一つの世界を構築していることが見えてくるのである。ブログの記事自体は与えられたコンテンツだけれども、そのコメントでファンたちは自分の考えた世界をそこに構築していく。そして、ここが意欲的な実験なのだが、時にはコメントを拾ってブログ記事に反映されることもある。
最初は薄っぺらな絵と設定、おおまかな性格しかなかった19人姉妹だったが、この1年間のブログを通じて驚くぐらいキャラクタが肉付けされていった。(というほど深く追いかけてはいないのだけれども)
ユーザーがシェアドワールドを構築していくのだけれども、それをスタートさせるきっかけは19人いる姉妹のうち誰のファンになるかということの選定であり、その結果の提示となる。
そして「俺の嫁」というワードで他の強者共とコミュニケーションをしていくのだ。

俺より強い奴に会いに行く。




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