それはそれでかまわないんじゃね?
実は俺、ムギ派なんだ。むぎゅううううう
てなわけでたくあんGet! まあ、たくあんはキュウリの浅漬けと並んで好きなお漬け物なので全然問題なし。
つか、まあ、普通にスーパーで買えるたくあんと同じですが。なので普通においしい。ぽりぽり。
信頼の東海漬物株式会社。
たくさんあるので半月切りでなく、乱切りにしてぼりぼり食べるのもありだよね。
なんのかんので食べまくり。
それはそれでかまわないんじゃね?
実は俺、ムギ派なんだ。むぎゅううううう
てなわけでたくあんGet! まあ、たくあんはキュウリの浅漬けと並んで好きなお漬け物なので全然問題なし。
つか、まあ、普通にスーパーで買えるたくあんと同じですが。なので普通においしい。ぽりぽり。
信頼の東海漬物株式会社。
たくさんあるので半月切りでなく、乱切りにしてぼりぼり食べるのもありだよね。
なんのかんので食べまくり。
2010年の年始にあたり、当Blogの過去記事を見返してみたりしていた。
その中で、2005年1月に『ソフトウェアと大量消費の時代』という記事を書いているのを見つけた。これは「00年代後半はこうなる!」といった予測記事で、実際その様になったのかを比較しながら読み返すとなかなかに楽しい。記事中ではソフトウェアと書いているけれども、これはコンピュータープログラムのことだけではなくてコンテンツや情報といったデータもひっくるめての表現ですな。
じゃあ2010年から5年はどのようなコンピューティングワールドになるのかといったことを考えてみることにした。また5年後に読んで笑えるように。
90年代はパーソナルコンピューティングの時代で、00年代はネットワークコンピューティングの時代だったのではないかと思う。インターネットが発展しネットワーク上で様々なものが提供されるようになって、私たちの生活は驚いても良いくらい変化した。冷静に振り返ると「さすが21世紀」と言えるようなことが多々あったりもする。
じゃあ10年代は変化するのかと聞かれたら、やっぱり劇的な変化が起こるような気がしている。ただ、その際個人におけるコンピューティングというものが大きく変化して何か別なものになりうるくらいの所にいるんじゃないかというのが今のところの私の見解である。
そのパラダイムシフトといっても良いくらい大きな変化がコンピューティングに訪れたとして、それが良いことか悪いことかはわからない。エンジニアとしてその変革にがんばってついて行くか、別物でおもしろくないからと割り切って旧来のコンピューティングで楽しんでいくのか、見極めをしなくてはいけない時が近づいている。
これからのコンピューティングに何が起こるのかというと「ダウンサイジングの波」ではないかと考えている。
「ダウンサイジング」というとこれまでもあった事だし耳慣れた、あるいは使い古された言葉だと思われるかもしれない。だが過去のダウンサイジングでどれだけコンピューティングが変化したかを振り返ると、次の波に対しても身を固くして構えざるをえないのではないだろうか。
平たくいうと「PCが主役の時代は終わりPD(ポータブルデバイス)の時代になる」といったところ。
もちょっと頭の中で固めることができてから書こうかと思っていたのだけれども、電子出版について今あれこれと語るのが熱いみたいなので時期を逃さぬようメモレベルで書いておく。
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2010年1月21日に Amazon が Kindle Digital Text Platform の印税を70%まで引き上げるとの発表を行った(cnetの記事)。つまり Amazon が販売店として手数料30%をいただいて、あとは著者(掲載者)の取り分になりますよ、というお話。
この「印税70%」という数字が衝撃的だったらしく、各所で電子書籍と日本の有り様について語られ始めている。
問題はその70%という数字がどれくらい衝撃的なのかなのだけれども、私は何の感慨もなく聞いていた。なんでか。その世界は既に存在しているからである。
なにかというと、同人誌のダウンロード販売代行のこと。DLSiteやとらのあなダウンロードストアやメロンブックス.comやその他数十ある同人コンテンツのオンライン販売店。
これら同人コンテンツダウンロード販売サイトでの相場は手数料30%~40%が相場であり、その数字でかれこれ10年は運営されている。
当然ではあるが、紙の本を手にした方が嬉しいし、やはりイベント会場で作家から直に買えればもっとうれしい。けれども、なかなか手にする機会に会えない場合ダウンロード販売は強力な味方となりうる。それに、作家側から見ても印刷して紙の本をつくのには結構なお金がかかる。実際に本を売っても差額での利益は少ないものだったりもする。けど、ダウンロード販売なら手数料以外はほとんどかからないので率は良いし在庫切れもない。
なので、この同人コンテンツダウンロード販売は次世代オンライン商法のテストモデルとなりうるとして長らく注目し、利用してきた。(単に好きなだけだろというツッコミは置いておく)
もちろん、同人コンテンツの世界では作者が編集、装丁、デザインまですべてひとりで行うことが条件である。逆にそれができるのならば、印税70%の世界は既に存在しているのである。
また、逆に編集やデザインを他に委譲するこれまでの出版形態も残るだろうし、残ってもらわないとデザインワークができない人は困ることになるだろうね。DTPワークをすべて作者が行うことで、電子書籍の多くがへっぽこな装丁になってしまうという指摘はある意味正しいと思う。
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漫画雑誌は連載という形式で掲載し、ある程度まとまったら単行本を出すというモデルを続けてきた。
それにより雑誌掲載時は安めの原稿料しかもらえないけれども、単行本がでるとまとまったお金が入ってくることで作家はなんとかやっていけるとかいう微妙なモデルを作り出している。
それを逆手にとってというか、雑誌を持たないモデルも確立し始めてきた。つまり、無料のWEBコミックとして連載し人気があった漫画は単行本をだしそちらでしっかり儲けるというビジネスである。
FlexComix、WEBコミックハイ、ガンガンONLINEなどがそれらにあたる。
ガンガンONLINEはガンガンノベルズというラノベレーベルのカタパルトにもなっているから、もう少しいろいろなものを巻き込んでいる感があるかな。
私もWEBコミックハイで連載している「つぐもも」とか大好きで読んでいるんだけれども、単行本でたらやっぱり買っちゃうしね。この「つぐもも」の作者である浜田よしかづ氏は自分の執筆しているところ、つまり仕事風景をスティッカムでライブ配信していることでも話題になっている。
また、TVアニメという大きな広告をぶちあげて単行本の売上を伸ばしそこで稼ぐといったモデルもあるようだ。そのものじゃなくて、もう一つ大きな枠で全体的に稼ぐというか、これまでとはちがったマネーフローで稼ぐといった感じになりつつあるのかもしれない。
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同人誌即売会というと、昔はサークルのところに漫画出版者が名刺を持って訪れて周り新規の契約作家を探し回っていたという。でもここ最近は出版社各位そんな余裕はなくなり、編集もフリーの漫画編集会社が代理で受け持つことが多くなったとかでさっぱり数が減っていたとか。
その代わり昨年末名刺を持って絨毯爆撃をかましてたのが、携帯電話向け漫画配信を行っている出版社だったそうな。
携帯電話向け漫画配信というと大多数が女性向けのアダルトな方面だったのだけれども、ソッチ系が飽和かつ縮小を始めたのか一斉に「男性向け創作のブランドを新規に立ち上げそちらにも力を入れていきます」と言い始めたとか。
どうにも景気のよい話ではなく、原稿料がどんどん値下げされており1ページ3000円というのも本当の話らしい。既にある同人原稿を流すだけならともかく、そのために新規で書いていたのでは生活ができないレベル。おまけに、会社都合で締めは半年毎の年2回支払いで、大量に売れた時のインセンティブは数十万ダウンロード以上とかいう話も聞く。
まあすべての出版社がそうというわけでもなく、逆に出版社によっててんでバラバラというから携帯電話というメディアにおける相場というものが確立しないうちに進行していったのだろう。
ぜーんぶ伝聞なので間違った情報もあるかもしれないけれども、一応携帯電話サイトにてエロ漫画を今売っている友人から聞いたというか質問して裏をとった範囲。
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その昔、MP3を利用しているだけで泥棒扱いされた時代があった。だいたい1997~1999年ごろ。
MP3はファイルサイズが小さく、ダウンロード可能なサイズ故不正アップロードやダウンロードに用いられたのである。なので、MP3で音楽を聞いている人=違法コピー利用者というレッテル張りがされていたのだな。ちゃんとCDを買って自分の所有物を私的利用のためにMP3に変換していても、そしてそれを配布せず厳重に手元で管理していても泥棒と同等に扱われていたのである。今でいうとiTunesでCDをリッピングしただけで犯罪者予備軍とされる感じ。
確かそんな頃に書いた記事があったなあと掘り返してみたら、1999年6月の記事であった。
今は、まだ混沌としていても音楽のネットワーク配信や MP3 といったフォーマットは確実に定着していくと思う。 (キリッ
などとカッコつけてるなー、当時の自分。
MP3はともかくとして、この時に本をスキャンして上げるのはなんで問題にならないんだろうということを疑問として書いている。きっと当時は問題にしていなかったのではなくて、問題だと認識すらできていなかったのだろうな。
音楽の方は先に問題視することができて、DRM化、DRMの敗北、オンラインショップ化とこの10年で歩んでくる事ができたのだと思う。それもこれも 2001年にiPodとiTunesが出てきて、2003年にiTunes Music Store が始まったからであろう。これらが成功しこれまでを反省することでようやく芽吹くことができた。
じゃあ電子書籍の方は?DRM化とDRMの敗北は既に味わっているか現在進行中なところで、携帯電話というゆりかごの中もそろそろ終焉だ。ちょいとスタートは遅かったけれどもようやく始まりだすのかもしれないね。
3Dプリンターを試したいという好奇心で前回立体出力サービスを利用したものの、運送中に破損するという憂き目にあい若干の残念さを伴う結果になってしまった。
その結果をアイジェットさんに報告したところ「申し訳なかった、梱包を見直して再出力したものをお届けしたい」との申し出を受ける。えーべつにいーよー、とも思ったけれどもここで検討を重ねれば今後利用されるお客様が同様の破損被害に出会わなくなるよねということでご好意を受け再出力してもらうことにした次第。
その再出力版が届いたよー、ということでドキドキの開封。
写真のような感じで梱包材が詰められているので、アイジェットさんを利用する際はご参考に。
今回のキモは出力品を保護枠でくるんで固定する形での梱包。前回はフィギュアの自重によるたわみで折損してしまったので、それが起こらないための工夫。
面白いのが、この保護枠が3Dプリンターによる立体出力で作られていること。もちろん、元のモデルデータを利用してフィギュアの形にそった型になっている。
つまり彼らは問題を克服するために、自分たちが提供しているサービスを駆使する形で解決したのである。すばらしい。
この保護枠出力の手間と経費がどれくらいかかるかは見当つかないけれども、作戦としては有効だ。確かに一点物を作る機械だからそれを使うというのは理にかなっている気はする。
事の発端が「3Dプリンターを試してみたい」というものだから、むしろこの保護枠の方が興味津々だったりする。
いや、面白いわ。楽しませてもらいました。
散財記録。
裁断機として以前から好評なPK-513を購入。ずーっと欲しかったのだけれども、満を持しての導入。悩み続けていたのはやはりその置き場所の確保。結構な大きさがある上に、ハンドルが上に上がった状態でロックされるものだから、普段たたんでどっかに置いておくといったことができない代物なのですな。
これまた散財なのだけれども、先日 Kindle SDK 発表を受けて「面白そうだ」と購入した Amazon の Kindle DX が発端。
PDFが表示できるので、Kindleで読みたいものは自分でスキャンしてPDFを作れば良いのですな。で、その作業をさくさくこなすために裁断機が欲しくなったという次第。
PK-513はこの手の用途で使う裁断機の定番なれど、1万円代で「400枚切れる」という中国企業産の裁断機もあり肩を並べる人気。でもこっちにしたのは、実はPK-513の方が12kgと軽いのですな。それに刃に触れない様安全対策が施されまくりなのもポイント。その分150枚しか切れないけれども、そこは十分な数値かと。
で、使ってみてその便利さにビックリ。「ちょっと」苦労するかもしれないけれどカッターでも切れるしなー、とか思って導入を渋っていた過去の自分にグーパンチをお見舞いしたい。
いろんな人のレビューを見ていたのだけれども、自分で切ってみるまでその凄さがさっぱりわからなかったのも事実。
なので、本を切るところを動画にしておいたよ。
2010 International CES ではタブレット型の電子書籍とAndroid搭載タブレットの話題で埋め尽くされていた。それと同時にAppleのタブレット型iPhoneへの期待も高まり発表前日といった様相を呈している。
ところで私はHPのTC-1100というタブレットPCを所有している。2004年と今からもう6年も前に発売された機種だ。当時はタブレットPCがコンピューティングを変えるとマイクロソフトが意気揚々として発表していたものだが現実としてまったくといって良いほど流行らず、その後”ORIGAMI”という二度目の失敗を経て今日に至る。
しかし、このTC-1100はさほど悪いわけでもなくむしろ名機であったとも考えている。PentiumM 1.0GHz と当時は十分過ぎるスペックだったものの、今では非力でAtom搭載機みたいに動作にワンクッション感じるため使いづらくなってしまった。でも、未だに手元に置いておいて時たまいじったりしている。
タブレットデバイスがようやく花開こうとしている今だからこそ、タブレットPCを振り返ってみようと思う。
なにごとも、故きを温ね新しきを知る事は大事。
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やたー、立体出力サービスでオリジナルキャラフィギュアできたよー!
以前、3DCGフィギュアの話を書いたときになんとなくにじみ出ていたと思うんだけれども、私はフィギュアを作る技術を持つ人に憧れ羨んでいるところがある。物作りできる人全てにコンプレックスを持っている様なものだけれども、その1つとして。
そういったフィギュア作りをコンピューターアシストでできないものかといったところから、形状を物体として出力する立体成型技術に長らく熱い視線を送っていた。個人用だと、卓上CNCのMODELAあたりから始まって、CNCフライスキットとか。CNCとは別なアプローチで3Dプリンターなる物が流行しはじめて、RepRapやCandyFabやFabberやCupcake CNCといった物達に目を輝かせてきた次第。
別にフィギュアそのものを成形しなくても、パーツを3DCADから出力してくれれば良いと思っている。
2008年に業務用ではあるが ZPrinter という色つきの立体モデルを成形できる立体プリンターが登場して皆を驚かす。
これだとパーツでなく完成品になってしまうのだけれども、まさにフィギュアがそのままでてくる装置ではないか。
この ZPrinter がリリースされると、こいつを使った立体出力サービスがいくつかの会社でスタートする。
その前後から立体出力装置の安価化から、一般利用できる代理出力サービスが多くなってきており、アマチュアモデラーでもそれら立体出力を気軽に利用できるようになっていった次第。
立体出力サービスも「樹脂積層成形」「光硬化樹脂膜積層」そしてZPrinterの「接着インク噴出型積層」といろんな機械と手順によるものがありそれぞれ特色をもっているため目的に合わせて選択する必要がある。
そんな百花繚乱?時代な立体出力サービスを実際に試してみたくてうずうずし続けていたのですよ。
しかし、試すのは容易だけれども実際に出力するモデルが必要になる。人様の物を借りるのも気が引けるし、版権的に問題のないものにしたい、それになによりモデルを自在に扱う技術が欲しい。といったわけで、3DCGに再度チャレンジし自分で出力するモデルを作れるようになってみたわけです。
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今回出力した 3DCG モデルデータ。
出力するサイズによってお値段が決まるのだけれども、いかにも「フィギュアっぽい」大きさと質感にこだわって大奮発!高さ 14cm で成型してもらう。お値段2万5千円なり。安くはないけれども、1点もののオリジナルキャラフィギュアと考えると順当な額かも。
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サイズ 10cm のねんどろいどと並べて比較。
誠 Biz.ID 「必要なのは才能発掘の次のステップ」――日本のアニメ業界に足りないもの
この記事を読んでなんとなく思い出したこと。
単に思い出しただけだから関係無い話かもしれない。
以前、オープンソースライブラリ SDL ユーザーML のOFF会にお邪魔させてもらった事がある。オープンソース系方面においてゴリゴリの趣味でゲームを作って楽しんでいる方々がいっぱいな集い。OFFというよりミニ成果発表会。
学生・研究生と本職・元本職のゲーム制作者とその他が 1:1:1 くらいの割合だったのかな?本職も少なくなかったということで。仕事とは別に趣味でもってゲームを作りたいという筋金入りまくった人たちだと思っておくれ。
そんな中にえらく若くて有望な学生さんがいて、ゲームとして完成させたものはないけれどもこの歳でここまでできるのは凄いよキミと皆一目置いていた。その子に対して皆が口をそろえてかけた言葉が
「そこまでできるなら絶対に『ゲーム会社には入らない方が良い』、個人で続けなさい」
といったもの。もちろんその場では私もこの言葉には同意していた。
企業に入って『商品』をつくるとなると、いかに早く安く作るかだけが問われて技術や才能を振るいようがない。特に、市場が自転車操業になっている状態では言われたことをやるだけだし、ろくな事をさせてもらえない。そんな意味の言葉。
しかし、冷静に考えると妙な話である。才能がある人間に対し「プロにはなるな」と言っているのだから。適当な仕事をして生活するだけのお金を稼ぎつつ、才能は個人趣味で伸ばせというのは本当に適切なのだろうか。
このへん、開発職が職人色や芸術色を淡くもっている故のジレンマなのかもしれない。
でも、企業に属して沢山のお金と人を費やさないと作れない類のものもある。そういうのが作りたいなら会社に入って作るしかない。逆に言うとそうでなく個人で作れる何かであったら、組織は足かせになって個人の才を殺してしまいかねないから趣味でやっていた方が良いのかもしれない。
そんな風に「個人でできるから企業には入らず趣味でやります」という考えが主流になったら企業と市場を中心とした「業界」というものにとってはもの凄い痛手かもしらん。才能がある人ほど業界にこなくなるのだから。
なぜ、会社や仕事において上の地位を目指すのかと考えると、そうすることが自己表現の形、自己のアピールだったからなんじゃないかなあ。生活の他は仕事しか無く、個人研究や趣味というものをイメージすることができない種類の人は、仕事=自己表現だからそれに邁進できるのだろう。
しかし、ネットワーク等テクノロジーの発展で時代は変わり様々な形で自己表現を行う事ができるようになった。やりたいことを仕事という形にしなくても表現ができるのではないか。
才能を開花させても仕事にはする気がない。そういうのもアリか。
2009年は月1本のペースで「ぴこぱこサイクル」というオールドゲームのプレイ&レビュー動画を投稿していた。
月に1本といっても定期的に動画を作成するのは結構大変なことで、それでもなんとか12本を作成して昨年を終えることができた次第。一応、始めた時から月1の12回シリーズと決めていたので、予定通りの終了。
なんで突然プレイ動画を作り始めたのかというあたりにも理由があって、これはこれで以前からやりたかった積み残し作業なのですよ。
そんな思惑と過去の経緯を、誰に聞かれるでもなく勝手に書き連ねるのが今回の記事。
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手持ちのノートPCのひとつでHDDがBIOSレベルで認識されなくなり、修理に出すことにした。
分解しづらいノートタイプというのと、保証期間内なのでうまいこといかないかと思って自分でばらすのではなく、今回はメーカーサポートを利用する事にした。まあ、それ以前に自分でばらすのも困難な奴だったし。最近はMacintosh を筆頭に分解しづらいのが増えているので息苦しくなってきたよなあとも思う。
メーカーに修理を頼みたい場合、大抵はサポートセンターに電話して引き取ってもらうか、サポートに持ちこんで故障状況を説明する必要がある。しかし、このサポートセンターがどうにも苦手なのだ。
なぜかというと、全ての顧客に対応できるレベルで応答してくるからに他ならない。
つまり、サポートセンターは私を徹底的に初心者扱いしてくる。まわりくどい。
ソフトウェアの不具合や、操作的な不具合は自分でなんとかするので、サポートセンターを利用するときはハードウェアの故障と完全に問題切り分けができている時になる。自分じゃ直せないからハードウェア的に交換して直してくれ、といった状況しか存在しない。たぶん、ハードウェア的に修理もできない状況であると判断できたら修理依頼もせず涙をのんで破棄するであろう。
そのように、ハードウェアの故障だと明確にわかっているときにマニュアル対応されるのは苦痛なのである。
電源が入らないといっているのに「OSのバージョンはいくつですか」と聞いてくるのには苛立ちすら覚える。
別に今のサポートセンターが悪いというわけではなく、むしろ通常利用客にとっては必要なものであり丁寧に教えてくれているなあと素直に感心はする。
ただ上級者や同系列のプロフェッショナルにとってはまどろっこしいだけで、お互いの得になっていないんじゃないかと思う次第。
素人お断りで基本お金を払って直すだけとか、状況によってはユーザーの使い方を嗜める様な、そんな頑固職人みたいな上級者向けサポートは無いものかねえ。いまやメーカーでも修理することができなくて全取っ替えするしかない状況故に、ハード故障時の対応というのは難しい課題な気もする。
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年末に Satofumi氏より連絡いただいたのだが、私が昔Linux用に作成していたバッテリーモニターアプリを Qt Toolkit を使ってリファインしたものを作成されたそうだ。
サイトへGo! → 「APM ばってりーもにたー」
マルチターミナルをめざして Qt 版を作成したとの事なので、Linuxで動作することを保証するだけでなく Windows版のバイナリも提供されているのでお試しあれ。
今回の連絡をもらってありがたいなあと思うのはリファインしてもらったことよりも、10年も昔に作ったものが掘り起こされてかように使っていただけたところですなぁ。
2010年明けましておめでとうございます。
毎年年明けには「今年はこんな萌えが来る」と根拠なく放談を続けている当ブログ。いいかげん「萌え」という言葉も古くなり00年代とともに捨てていきたいところですが何となく恒例になっているので今年もやる気なく書いていきますよ-。
2009年の放談を振り返ると「コミュニケーション構築に向けた、名刺としての萌え要素」とか書いていた。俺の嫁を宣言することでわかり合える猛者たちといった事なんだけれども、ラブプラスを取り巻いていた熱狂をみるとあながち外れてはいなかったのかなーとも思う。
ま、そんな事はさておき、今年を占ってみよう。
ここしばらくはコミュニケーションとキャラクターの関係について考える事が多かった。コミュニケートの手段としてキャラクターを用いたり、キャラクターを軸に場を作りそこでコミュニケートをする様になると見ていた。
そういった世界はおおよそ構築されたような気もするのだけれども、今年はそれらが拾い切れていない要素にスポットが当たるのではないかと見ている。
ズバリ言うと「個人の萌えという感情を定量化して比較、競争していく」という世界。俺の愛花に対する入れ込み具合を見よ、ワシが凛子のために書いたラブレターは108式まであるぞ、私は寧々さんとすでに300時間語らっています。とかそんな世界。
なんとなく今までそのように入れ込み具合を競うということはまれで、主にあったのは「いかに自分が壊れているか」といった表現であった。痛車とかはそういったオタクの(ちょっぴり自虐的な)表現から生まれたものじゃないかと思う。
痛車やディスプレイ前でのバースディケーキの例を出すまでもなくこれまでにもいかに壊れた表現ができるかといったことや、それほど自分はこのキャラが好きだという表現を我々はしてきた。
どうやってその表現をしていたかというと、誰が見ても敵わないと思ってしまう圧倒的な壊れっぷりを提示して叩き伏せるといったやりかたであった。これは表現のインフレを招きやすいし、高度になっていくと「どっちがすごいのか」といった判断がつかなくなっていく。
なので、これから出てくる萌え要素にはどれだけ萌えたかを数値化できることが求められていくのだと思う。
数値化、大事です。先ほどちらっと出てきた「プレイ時間」などが良い例。ほかにもキャラソンCDを100枚買うとかあったよね。そういった数値にすると、ヤムチャでは敵わないといったことが明確にわかるわけ。なので、最初からそういった数値化とセットになった萌えが提供されていくだろうと見ている次第。
ゲームだったらプレイ時間だけじゃなく、ゲーム内での実績システムみたいなのとか、お前あのキャラと何回コミュニケートしたとか。シスタープリンセスの前からあった誌上ゲームでのお気に入りキャラクターのお兄ちゃん数によるランキングとか、ああいうのをネットと絡めると今もっと面白くできるはず。
結局、そういった競争や比較をした事があまりないというのはどういう事かというと、キャラクターを愛でるといった行為はこれまで個人の範囲のみで行われてきたことである。そういった隙間をめざとく見つけた人は、他の人がギャルゲーをしている姿は意外におもしろいということがわかっていたりする。
ぶっちゃけていうと「みんながどの様にラブプラスをプレイしているのか見てみたい」といった事になる。そして、そういった事はオフ会などを通じてちょくちょく実現化されているようだ。
今のとこ互いの萌え度をぶつけ合うといった場はオフ会の様なリアル空間でしかやりにくいものとなっているのではないかと思う。しかし、その表現方法が確立すればネットワークを介して見せっこすることが可能になるはずなのである。
つまりはキャラクターに対する愛や入れ込みといった「プレイスタイル」を作品として提示し、それを元にPixivのように語り合うSNS空間、そしてそこで交わされるコミュニケートがより求められるのではないかという世界を見ている。
そして、すごい奴を見て自分の位置を確認するという作業のために必要なのは萌え度を表すスカウター、つまりは定量化でないかといった事につながるのである。
こう改めて書いてみると ai sp@ce が微妙に惜しいなあ。
ここ数年の繰り返しというか総括になってしまうんだけれども、ゲームやアニメといった商品によってトップダウンで与えられるキャラクターによる「萌え」というのが発端だったのだけれども、今はキャラクター単体があってもなんの価値も持たない様になってしまった。
萌えやキャラクターといったコンテンツが成功するには、ユーザー側で発展させ膨らませるという作業が必須であることが目に見えている。そういった状況なので、ユーザーがなにに飛びつくのかというのは制御が難しくなり、コンテンツフォルダーとしてはやりにくいところだと思う。場合によっては素人が描いた全くの落書きみたいなものがもてはやされるかもしれないのだから。
だからこそ、ユーザー側での祭りにフォーカスが当たるわけである。
ユーザーも与えられるだけ、消費するだけでは面白くないと感じている。だから、キャラクターに対する想いを動画作成に注ぎ込んだニコマスといったものなどが作り出されていく。
そういった、ファン活動という二次創作活動が加速するとどうなるかというと、次は二次創作者にスポットがあたりブランディングされていく。エンドユーザーそのものが注目されつつも、キャラクターという共通項を通じて好きな人たちがつながっている。
そういったコミュニティ構築がやりやすい「萌え」というのは、自己表現がやりやすいキャラクターもしくはコンテンツ、システムといったことであると纏められる。
ニコニコ動画「御三家」などと括られたアイマス・東方・ボカロはそれに必要な要素をバランスよく含んでいると見れるのではないだろうか。
消費だけでなく、表現ができないと今の「萌え」は楽しめなくなってきている。