Archive for the 'テレビ番組' Category

ニコニコ技術部が「ザ☆ネットスター」入り

NHK BS のニコニコ動画分室ことフリーダム番組「ザ☆ネットスター」
2009年2月号を見た人は知っていると思うけれども、ニコニコ技術部がそこそこに紹介されていて私の動画もちらりと流れていた。再放送もあるので見逃した人は観てみて、とかいう。
今回はそんな出来事を書き留めておくための記事。

やはり最大の収穫は「わたあめPインタビュー」ではないかと。というかインタビューOKしたのか。
今回、わたあめPと連絡を取りたいと番組製作スタッフからニコニコ技術部メンバーの方に打診があったのだけれども、連絡先を誰も知らなくて捜しようもないという状態だった。以前から各種イベントの度に連絡がつかないかと検索していたものの、まったくヒットしない状態だった。今回は、スタッフから連絡がありますと「ニコニコ技術部まとめwiki」に掲載したりしてなんとか捕まえることができたらしい。
なんにせよよかったよかった。ゆるふわうp主のわたあめPは、ねとすたで取り上げられるには最適な人材だったのではないかと思うのですよ。

しかしまあ、ザ☆ネットスターをパイロット版からずっと観てきた者としてなかなかに感慨深いものがある。といっても自分の動画が紹介されたことではなく「ニコニコ技術部」という単語がコミュニティとして確立定着し、それを取り上げてもらえた事に対してである。
既に形として存在しているし、多くの参加者で賑わっている。そんなニコニコ技術部の様子を見て、ああここまで来たんだねえとしみじみ思うのですよ。

しかし番組2月号でのメインはどちらかというとゲーム系で、その中でも竜騎士07氏インタビューが目玉だったみたいね。まあ、わかる気はする。
なんで詳しそうな東浩紀じゃなくて僕に振られるのと白田先生はおっしゃっていたけれども、いまさら的なジャンルであるからこそ白田先生にまとめて貰いたいというのはあるんじゃないかと。
コンティニュー編集長の林さんはひぐらしとかの流れで話をTYPEMOONに持って行けないあたり、オタ文化には弱いのかな?

しかし、一見がんばっている様子の「ザ☆ネットスター」も強いバイアスで構成されているあたりが見えるようになってきて、色々とポジション再考のタイミングに来ているのかもしれない。何かと言うと、どんなに人気があっても「ドナルド」や「ガチムチ」は取り上げられないあたりの事だ。マッシュアップ系は特定コンテンツホルダーのものしか出てこない感じだし。
で、安全な所を取り上げると「初音ミク」「ゲーム」「やってみた」に収束していくというスパイラル。
ニコニコ動画本体も同じで、権利者削除をうけにくかったり諸処の問題が起きにくいジャンルに(数ヶ月を経て)じんわりとシフトしていく傾向にあると思って眺めている。いつの間にかゲームタグが最大になっていましたなんてのは当たり前のお話なのだ。



半導体娘と池毅サウンド

松浦晋也さんが「半導体娘計画(ニコニコ動画)」言及されていたのを見て、ちょいと口惜しくなったので書いておく。

撮影できますPが「みくみく◇HW実験室」から「半導体娘計画」まで作ってきた動画群には、一貫した [ 元ネタ ] が存在している。NHK教育の児童向け料理番組「ひとりでできるもん!」である。番組ではおかずやお菓子を作っていたところを、電子機器におきかえているわけである。
楽曲群も「ひとりでできるもん!」を彩った池毅サウンドの雰囲気に似せてあり、番組の一期や二期を見ていた人ならニヤニヤしまくること間違い無い。のですよ。
番組を知らない人でも「ひとりでできるもん」という単語を念頭において「半導体娘計画」を見ると、理解できるのではないだろうか。全ての要素を自分で手作りし、曲が終わる頃には「できちゃった☆」となる。それをみて「ひとりでできすぎwww」というツッコミが、独自の風味を持ったネタとなっているわけである。

まあ、90年代前半にかぶりつきで教育テレビを見ていたなんてのはよっぽどの層だけだろうから知らない人の方が多いか。

P.S.そいやHW実験室のころには「ピタゴラスイッチ」ネタも仕込んでいたな



テレビの父

今週のプロジェクトX は「テレビ」だと伝え聞いていた。「テレビ」ってなんじゃらほい? と思ってみたら「イロハのイ」が映し出される。うわ、ヤバイ、ヤバイって。「テレビの父」と称される高柳さんの話は滅茶苦茶熱いんだよ。
案の定話が進むにつれて燃え泣き。
RCAが特許の使用許諾をするあたりなんかは俺内でハリウッド映画のクライマックス並の盛り上がりですよ? 映画「タッカー」のラストより熱いですよ?
エピソード的にはもっとあるような気もするけど。45分だとこんなものか。というか前後編でやるとかして欲しかったのー。
10数年前に「知ってるつもり」で高柳さんの話があったときはまだご存命でその映像が流れていたのを覚えている。(その時でほとんど寝たきり状態だったけど)
その後まもなく亡くなったので、テレビがデジタルへと変革する手前までは見守っていたことにある。その後の変化がまた結構なものなのだが。

高柳さんが在籍していた日本ビクターのサイトに行くと「『テレビの父』高柳健次郎」というページがあって足跡と教訓が読める様になっている。
http://www.jvc-victor.co.jp/company/human/

他の著名人もそうだけど、「信念」「目的」「没頭」そういったところに技術者魂を見せつけられ、自分には無いなあとか思ってしょんぼりしてみる。ううむ。

ちなみに、今年の 2/1 でテレビ本放送開始から 50周年だそうで。
日本でのテレビの歴史ってのはこういった風にあちこちで目にするのだけれども世界的にはどうだったのよと調べてみるとアメリカの方が遙かに先行していたのね。
アメリカでは 1939年にテレビ放送が開始し、1951年にカラーテレビ放送が開始している。日本での白黒放送開始が 1953年なので結構差が開いている。
もちろん電子式テレビとしては高柳さんがブラウン管に映像を表示したのが世界で最初の事なので、その後本当に戦争さえなければといったところなんだろう。




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