価値観の変化とパソコンの今後

PS3 で分散コンピューティング・プロジェクトである Folding@home が提供されているが、このあたりにかつての夢と現在の状況を合わせ見ることができるような気がする。

分散コンピューティングは、個人の家にあって余っている CPU パワーを持ち寄ることで大きな問題を解決しようという目的があった。
PS3 とネットワークによって家庭が、個人がつながっていく世界を創ろうという野望に近く、うまいことリンクさせたものだなと思った。
だが、実際に提供されてみるとそんなに絶賛を受けているわけではない。
そこには、そもそもの条件である「電力をボランティアで提供する」ということの重みが隠れているのではないかと考えている。

PS3 の消費電力がいくらかというのは、通常のデスクトップ PC をあんまり変わらないので以下は一緒くたにして語る。
分散コンピューティングをボランティアで提供しようということは、空いている PC を貸す事以上に 300W 程度の電力を消費する機械を 24時間起動しておくといった事を意味している。
その消費電力からご家庭の電気料金に影響する額は決して少なくない。むしろ大きい。
それらは、コンピュータが「早くて強くてカッコイイ」事がステータスであった時代の価値観なのだと思う。

そういった、コンピュータに対する価値観は、CPUのクロック速度競争が頭打ちになってきたあたりで徐々に変わり始めた。多くのユーザーが使用する大多数のアプリケーションにおいて、「これくらいの速度で動けば良いんでね?」と思える様になってきたというのも理由かもしれない。
それと同時に、ライフスタイルとして「省エネ」「エコロジー」が唱えられはじめ、その機運が高まっている。オイルショック後の省エネブーム以来のムーブメントではないだろうか。
そういった省エネ感覚が蔓延し始めると、スペック数値が大きければ大きいほど良いとされていたコンピュータ業界とは相反する思想になってくる。
つまりこれからは、必要な規模で適度に使え、それでいて電力を消費せずに家計も圧迫しないコンピュータがより尊重されるであろうということだ。

TV番組を録画する HDDレコーダが 90W 程度で動作するのに、なぜ数百Wも消費するパソコンを使って TV を録画したり見たりするのか。本当に、それだけの電力を消費するだけのメリットをもたらしてくれているのか。
そういうことを考えると全てのリソースを PC ホームサーバに集約するということが理想なのかどうかも怪しくなってくる。

購入価格と消費電力が同じくらいの価値観を持ち始めているなか、様々な機器、商品における購入判断基準が変化していくのではないだろうかと考えている。

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