2007年はどんな萌え?

なんというか、2006年は「ツンデレ」の年だったような気がする。
最も大きなムーブメントであった「涼宮ハルヒ」もその枠にはめてしまう事も可能であろう。いささか乱暴ではあるが。
「涼宮ハルヒ」ブームで意外だったのは、あれはラノベうんぬんよりも、80年代のジュブナイル小説(眉村卓とかそのへんの学園SF)の再来であり、それが今の世にも受け入れられるのだというあたり。まあ、キャラクター小説として現代ナイズされてはいるけれども。

まあ、そんなことはともかく、毎年恒例になっている(ような気がする)「今年来るのはこんな萌え」。実際来ることはなく、アフターフォローもなしの放談だけれどもお付き合いのほどを。

今年来ると考えているのはズバリ
「形のない萌え」

萌えというか、オタクコンテンツというのは今まで「ジャンル」とか「属性」とか、そういった型にはめることで定義されているものであった。そのテンプレートが一人歩きしすぎてしまい、徐々にゆがんでいくというのが昨今であったと思う。
テンプレートと化することで多くの人にとってわかりやすくなるのだけれども、本当の皆の心はそんなに簡単なものでもないと思う。
また、それを具体化するあまり物質的なアイテムが増えすぎ飽和しているのではないだろうか。初回限定版特典付録とか、積み重なる完成品フィギュアの箱とか。

そもそもで、オタクというのはコンテンツをネタに想像や妄想という領域で遊ぶことができた人種ではなかったのか。それが、テンプレートにこだわる余り、リアルでの物質的なアイテムに束縛されるというのはいかがなものであろう。
可愛ければそれで良いではないか的に、新しいジャンルやシチュエーションが開拓されていくけれども、それがだんだんリアルと剥離して無形化していくのではないだろうかと考えている。
今後は特典についても形が残らないもの、充足感のみを与えて終わるもの、そういった風に変化していくだろう。
萌え要素にしてもリアルでは実現できない様なものがさらに登場し続けるのだ。(女の子にしか見えない女装の男の子とか)

その結果、その世界にいない人からみたらまったく見当の付かない様な世界になっていくと思うが、逆にそうなってしまった方が安息の地たり得るのではないだろうか。

精神的充足のみのより高次な世界へ。
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