コレクターユイとソフトウェアの黄金期

デジタルチューナーで EPG(番組表)をつらつらと眺めていたら NHK BS-Hi で「コレクターユイ」の再放送をやっている事を知る。おー、久しいのうと思って録画してみたら今日が第一話だった。
NHK らしくちゃんと D5 マスターで無駄に綺麗な画面に感心する。見ていないけど今やっているプラネテスもこれくらいで見れるんだろうか、今度チェックしてみよう。

コレクターユイは、コンピューターとネットワークをテーマにしている。
99年に作成、放送されたアニメだが、専門用語や技術考証は当時でも割と「どうかなー」と思うちぐはぐさがあったのだけれども今見るとそれが良い感じのマヌケテイストとなって懐かしむには十分となっている。
ハイテクネタは扱うのが難しいよね。

久々に見ていて、おや、と思ったのが、コンピュータースペースを表現するのに一部 PCB (電子回路基板)をイメージとして使っている部分があったところだ。
コンピューターのメタファー(比喩)として、ハードウェアの姿がまだ使われていた時代。おそらくはその最後期だと思う。
99年といえばクロック戦争が開始された頃で Intel と AMD が 1GHz 目指して高速化競争を始めていた時代。(そしてついに 1GHz の CPU が登場したのが2000年頭)
この頃は「早いコンピューター=高機能」で、まだハードウェアが輝いていた時であったともいえる。近頃は高速化競争もすっかりなりを潜め、ハードウェアは割とどれも同じといった状況になってしまった。特にデスクトップは差別化が困難で、32型ワイドテレパソとか PC 以外の部分での競争になっている始末。
そもそもで「高速なPC」が必要だった理由が「ソフトウェアを快適に使いたいから」であって、物語の主役がハードウェアからソフトウェアに移っている事を 5年前に正しく認識すべきだったのだと思う。
コレクターユイはそういったハードウェア時代を引きずりつつもソフトウェア全盛期時代に描かれた物語である。なので、話のメインは「プログラムとバグ」であるし、ソフトウェアが擬人化され活躍している。
それにくらべ最近のサイバー物はネットワークと情報がメインでハードウェアがほとんど出てこない。このあたりが、今見て感じるズレの正体となっているのである。

かつてコンピューター業界においてハードウェアは主役であり、使う目的そのものであった。ソフトウェアはハードウェアのおまけであったほどである。
90年代はソフトウェアが主役の時代であり、ハードウェアはソフトウェアを使うための道具(手段)となりステージから降板することとなった。
そして 90年代後半に皆の手に降りてきたコンピュータネットワークは、その状況をさらに一変させることになる。
現在はソフトウェアが主役であることには変わりはないが、ソフトウェア自体が目的のための手段となりつつある。その目的が、情報であったりコンテンツであったりコミュニケーションであったりするわけだ。
例えば、情報を即座に得るために Google を使う、これが目的。
Google を使うために WEB ブラウザを起動する、これが手段。もはやハードウェアは PC でも PDA でも携帯電話でも何でも良い。
ソフトウェア屋は、ソフトを作れば売れるわけではなく、情報やコンテンツを使うためにソフトを作るのだという意識を忘れてはならない。

こういった事は当然ゲーム業界にも当てはまる。
かつてはハードウェアそのものであるアーケード機器が花形であったが、ソフト偏重になってゲーム機はソフトを再生するための道具になっていった。
次世代機競争華やかりし時。なにか忘れてはいませんかね。
今はもう、ソフトウェアは手段でしかないのですよ。
その目的は何?
私は「プレイヤーズコミュニティ」であると見ているが、そのあたりはプロが考えるべきところでしょうな。

余談になるけど、「コレクターユイ」のサイバー感がズレているのは「この先バーチャルリアリティがやってくる」という視野で描かれているからでもありますな。
同じ時期に存在した「lain」が今見ても凄いなあと思えるのは、「人と人との繋がり」とか「世界に散らばる情報のブラウズ」とか言ったことを主軸に見ていて、それが今現在も変わっていないからかと。

—–




You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

Leave a Reply