オタクに受けるゲーム、極論編

「ラグラロク・オンライン」が人気を高めつつあるときに、こんな評を見たことがある。
「所詮は萌え絵付きチャット、同人誌のネタのためにプレイしている」
なかなかにすさんだ意見ではあるが、ここに色んな物が詰まっていると考えている。

ゲームだけでなく娯楽コンテンツ全般に言えることだが、それを求める理由というのが「個人的愉悦」の為というよりも「他者とコミュニケーションをとる題材として」といった意味合いの方が大きいのではないだろうか。
「今流行っているから」という理由で手を出すのも、その「流行」というコミュニティの中に自分を置いておきたいからという事だ。そして、コンテンツの話題を介してコミュニティに参加し他者とのコミュニケーションを得る。
とかいうと堅苦しく思えるが「お前が行ってたアレ、やってみたら面白かったよ」といって会話の話題にする、そんなあたりのことである。
そして、そのコンテンツを引き合いに出したコミュニケーションというのがまた面白く、それ自体もゲームを遊ぶことの延長となる。
その具体的な施行が同人誌即売会における二次創作の売買(とコミュニケーション)なのだ。

同人作家は常に次のウェーブを捉えようと躍起になっている。
次のウェーブこそさらに楽しいコミュニケーションの場であり、創作意欲の温床であるからだ。もちょっとぶっちゃけて言うと「売れそうなジャンル」ということになるかな。
そう考えると「同人誌が盛り上がるゲームは(同人界において)良いゲーム」なのである。
では、同人誌が作りやすいゲームというのはどういったゲームなのか。今までそれが論議された事があっただろうか。日本市場にも受け入れられるゲームと言ってはいたが、同人市場まで含めて考えたことがあったであろうか。
オタクにうけるためには、キャラクターが立っていて、絵は完成していないが特徴だけは明確で、誰が描いても認識できるようなキャラクター性で、設定が若干甘く妄想が介在する域が多く、特徴的な台詞回しが印象的で、音楽が印象的で覚えやすく、ちょっぴりエッチな要素を含んでいて、なによりゲームが面白い、事が必要なのだ。

しかしま、そういっても「グランツーリスモ」や「バイオハザードシリーズ」の同人誌ってそんなに見かけないのでこの理屈はおかしい。

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One Response to “オタクに受けるゲーム、極論編”

  1. 匿名 Says:

    ギャグが入れられてアニメ絵で、というのが抜けているような気がしないでもない。

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