インフォメーションディバイド

ごうちゃの所で「アルプス一万尺検索実況」を読んで笑う。
面白おかしく書いてあるけれども、自分らが普通検索かました時とかは大体こんなもんだよな。1を調べるのに 10の手土産を持ってくるとか、全然関係ないトピックに詳しくなるとか。

しかし、これを読んで本当に恐ろしい時代になった物だと危惧するに至る。

本当に様々な情報が誰にでも入手できる世の中になった。昔は特定の人が特定の知識を有していて、博学だとか生き字引だとか言われていたものだが、今はそれを優に超える情報を誰でもが入手できるのだ。もはや「物を知っていること」が頭の良い事ではない。
それ自体は良いことである。しかし、その様に道具によって従来の常識を超越した情報を得られる様になった人と、従来通りの情報しか扱っていない人との間はどれだけ開いたのであろうか。
パソコン教室で教えるべきは WORD や EXCEL や年賀状印刷ソフトの使い方ではなく、Google の使い方とどうやればどういった情報にアクセスできるのかといったテクニックではないだろうか。

思い出せない事項や、過去に観たけれども曖昧になっている事項を元に会話をすることがある。「あーそういえばさ、昔あったよね、アレなんだっけ、みんなやってたじゃない」。そんな答えの出ない漠然とした会話を数分続けるような場面。
そういった場面では大抵それをネタに会話が楽しみたいのであって結論が欲しいわけではないのだと思われる。しかし、情報リテラシーを有する者は即座に結論を検索し、結果を引き出す事ができるであろう。
そうなると情報リテラシーを有する者とそうでない者との間にもの凄い溝が生じてはしまわないか。

情報を持つ者にとっては曖昧さや結論は会話の目的になりにくい。そうなると、必然的に分析、考察、自己の体験といったものが会話の中心となっていくのである。

なんかわけわかんなくなってきたけれども、今回はぼかしたまま終わる。

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