やる気と制作と若い学生

www.textfile.org 経由 で読んだのだと記憶しているが、「フリーソフトウェア・プロジェクトに参加していないことの言い訳について」が日記界隈でちょっとホットなようだ。(反応リンク集)

発端は okuji さんが日記で言及していた「社に応募してくる学生に『フリーソフトウェア・プロジェクトに参加したことがありますか』と質問している」ということと、その反応があまりにも芳しくないというお話。
それを受けてフリーウェア界隈で「そりゃいかん」「なんでだ」「敷居が高いからか」とか物議を醸している模様。

みんなの言を一通り読んでみたけれども、どうも腑に落ちない。
なんでだろうと考えていたら、はっと気が付いた。私自身フリーウェアプロジェクトに参加したことないからだ。
私自身フリーウェアを使い、Linux を使い、ソフトをいくつも作って、ソース以上のものをオープンにしているつもりである。んが、皆が期待しているような「フリーウェアコミュニティへの参画」はたぶんしたことがない。
というのも、私の興味は自分の手でモノを創り続けることで、その時その時に必要なものを見繕って作成を行う。で、完成したら、また別の面白そうな事を始めるのである。
だから一所に居たことが無いし、モノを創るのも自分の興味を満足させるためである。
(一応私の中でそれらは意図ある実験で、色々繋がってはいるのだけれども)
もちろん会社での勤務とは別に自分の余暇を費やして作業を行う。最近もなんか色々と作ったつもりだ。
が、作っては投げ捨てていくだけなので特に目立つ事も無いし、それ自体はフリーウェアプロジェクトへの参加ではないといった感じ。

そもそも学生に何を求めているのかな。
どん欲なモノ作りの精神じゃないのかな。
違うのかな。

みんなの言を読んで思ったのは、「今時の若者は」と嘆きたくてしょうがない病と、「フリーウェアプロジェクトへの参加者が少なくて寂しい」と憂える気持ちと、「フリーウェアはみんなが協力するから素晴らしい」という賛辞がごちゃまぜになっているんじゃないかなあと。
ただただしさんの言及中にあった、「ハッカーと画家」の抜粋が私の考えに最も近い。
というか、私が昔面接を行った時の質問がまったくこのままだったので。
「あなたは今趣味で何か作っているものがありますか?」
突然この問をふっかけられて答えられる人はほとんどいなかった。そもそもからして隣に座っていた社長すらこの言葉の意味をわかっていない様子だったのだけれども。(今は別の会社に勤務しています、ご心配なく)
家でコンピュータに触らないプログラマ。趣味で絵を描かないグラフィッカ。期待できないですから、ほんと。
そういった制作欲求があったとして、それを表現する場はフリーウェアプロジェクトへの参加だけなのでしょうか。ほんとに?
MLに参加して改善要求をいっぱい挙げてくれるけれどもコードは書けないという人と、夏冬のコミックマーケットには必ずサークル参加して自作のゲームを売っている人。後者の方が劣っているわけではないと私は思う。(もちろん前者も重要な役所である)
いやいや、私のこの見方自体が「作りたい人」で「協力したい人」じゃないのか。うーむ。

コミュニティへの参加は敷居が高い云々については、どんなに敷居を低くしても駄目なんじゃないだろうか。
コミュニティってのはソーシャルネットワーキングで、既に参加している知人から招待されて入り込む。で、最初の内は知人界隈だけで話して(参加して)いるのだけれどもふとしたきっかけ(大体マタ友)で付き合いの輪が広がる。
けれども、中に知り合いがひとりもいないと飛び込むのが怖い。おそらくみんな歓迎してくれるだろうということはわかるのだけれども、それでも怖い。その恐怖を押さえつけて飛び込むにしても「みんなに喜んでもらうための手土産」が必要なんではないかと考えてしまう。日本的。
逆に手土産があると堂々と飛び込んだりしますけどね。

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