コンテクストレベルとテキストのあり方

THE INTERVIEWS というソーシャルっぽいテキストSNSサイトが話題になっていた。
誰かからの質問に答えてその回答をテキストと1枚の画像で表現するという情報ロギングタイプのサイト。特徴としては応答者を知っている誰かからの質問のみで構成されているところと、誰が質問したかは絶対に明かされないところ。これによって質問者は相手が著名人であっても気軽に質問することができるし、応答者にとっては質問に答えるという心地よいアクションのみを得ることができるという仕掛けらしい。

最初にそのサイトを知ったのは2011年9月に入ってすぐの事だったと思う。Twitter上で質問に答えたよとか質問をくださいとかいったtweetが散見されるようになってきた。
主にネタ系クラスタが最初に飛びついて使っていて、(知らない人から見たら中傷にしか見えないような)ボケた質問とそれをうまく受け流すとぼけた回答をしているというのがそれなりに楽しそうに見えたのである。
このネタクラスタの使い方、遊び方を最初に見てしまったのが私の中でのTHE INTERVIEWS評に繋がっているのである。

THE INTERVIEWS を初めて見たときの印象は「あ、テキスト書きには面白い場かも」というものであった。
このBlogなんかもそうだけれども、まったくのお題無く自由に書いて良いテキストというのは存外書きにくいものである。書くテーマが決まって入れば、そこに向かってどう組み立てていくかというのがすぐ浮かんでくるのだけれども、そのテーマの制定がなかなか難しい。
その、何を書くかという初動のところを「インタビュー」という形できっかけとするあたりが面白いというか無理の無いデザインだなあと感心した。

ただ、他の人からの質問ありきな上SNSという性質をもっているので、ある程度のネームバリューを持つ人で無いと意義を見いだせないという最大の問題点をもつ。
つまり、どんなに面白い文を書ける才を持っていたとしても『ぼっち』である限り、質問を受け取ることができず回答する場面がいつまでも訪れないのだ。知り合いがいないと何も起こらないという、そのことをまざまざと見せつけてくれる恐怖のサービスでもある。
なのでどんなにつまらない質問でも応答者は涙を流して感謝しなければならない、のかもしれない。

ネタ系クラスタの使い方を最初に見ていたので、本来のTHE INTERVIEWSが想定しているような使い方というか至極まっとうな自分語りについて使うツールというイメージは無かった。
逆にそういった普通に使うコミュニケーションツールとしてのTHE INTERVIEWSはテキスト書きに慣れている人ほど批判的に捉えている様である。曰わく、参加するほどの魅力を感じないと。

一番印象的だったのは「THE INTERVIEWSってmixiでバトンやっていた人たちが好きそうだよね」という評。
mixiに代表されるSNS上で流行った日記上でのバトン。好きな曲とか自分の趣味などに決まった数十のお題について回答し、他人にも書くことを強要するというスタイルで増えていくあれだ。自分が好きなコンテンツを好きな誰かを見つけて知り合いの輪を広めるとかそんな風に使われる。
こんな書き方をしているあたりからわかるようにバトンの類は嫌いだった。
けれどもTHE INTERVIEWSにはまだ可能性を感じている。その辺の違いはなんだろうかと考え始めたのである。

そうこうしているうちに、最初のブームで使っていたネタクラスタが2週間ほどでTHE INTERVIEWSに飽きて離れ気味になってきた。
理由は簡単で、インタビューに答えるというかその返答を書くのが結構な負荷なのである。
元々Twitter上で盛り上がっていた集団が、なんか新しいサービスがあるということでシフトしてきているのだから、Twitterより面倒でできることが変わらなかったらそりゃ使わなくなるよね。
それに新しいメンバーを探すのが困難なシステムなので、基本Twitter上で見かけたインタビューアカウント界隈しかスフィア範囲がなかったりする。そうなると顔ぶれが変わらないのでいつもtweetでやりとりしている以上の情報もあまり語る必要は無くなってくると言う物である。

なので、THE INTERVIEWSという新しい場は、これまでのサービスにはない語りの場でなくてはいけない。

THE INTERVIEWSを普通に使っている人の記事をいくつか見ていると、このサービスの悪いところがすぐに見えてくる。特に素性をまったく知らない人を適当に見て回るとすぐにわかると思う。
通常の使い方というのはいわゆる自分語りなのだ、応答に対して答えるというのは「自分にとってはこう思える」という文脈なんだけれどもただ返答しているだけだとその前提が全て省かれとても短い返答になってしまう。

ほとんどの記事がこの短い応答で終わってしまうのだ。

このような短い応答に終わってしまうとどうなるか。
「その人を知らないと話がまったくわからず、面白くもなんともない」記事になるのだ。
決してTwitterで十分じゃんとかそういった簡単な話ではない。

こういった流れを「ハイコンテクスト文化」と呼ばれているのをちょうど目にした記事で知った。
コンテクストとは文脈のことであるが、そこに至る流れとそこからの流れといった様に文化やコンテンツを単体で見ても意味が通じず他の文化やそこからの流れを全て把握していないと楽しめない事を指している。
MADビデオなんかそうだけれども、元ネタや結果がいくつもあってそれらを全部知らないとパロディと認識できないし、楽しむこともできない。
そして文化やコミュニケーションは濃くなればなるほど、コンテクストを必要とし、それを持ち合わせていない者を排除する。一言で言うと「内輪受け」になってしまうのである。

ひとつ勘違いしてはいけないのは「ハイコンテクスト」であればあるほど理解できたときそれは面白くなる。自分はこれが理解できているという優越感はたまらなく魅力的な味で、一度口にするとなかなか離れることはできない。

で、SNSというのは「個人を知っているか否か」で利用頻度が決まるとてもハイコンテクストな文化なのである。
そこに付随するテキストはほぼ全て「個人像を知るために」「個人像を知っていることが前提として」書かれているものになりがち、というかなっている。
それらについては発言している個人を知っていれば面白く読めるのだけれども、知らない場合はゴミ以下の役にも立たない。

スペースの関係で省略するがリアルタイム性というのもひとつのコンテクストである。
その場、その瞬間に味合わないと面白さがわからないというのは時間軸のコンテクストによるものとなる。
今、この瞬間は意味が通じるけれども、後日知らない人がみて意味が通じるかどうかは以外と難しい。
そういった意味で、短い返答というものは時間軸的にもハイコンテクストになってしまいがちという難しさがある。

さて、ハイコンテクストであればあるほど面白いので身内向けのテキストはそれだけで面白いということができる。
では逆に向けて、誰にとっても面白いコンテンツ、後日まったく知らない人が見ても面白がってくれるコンテンツはどのようなものであろうか。

ハイコンテクストの逆を張るという意味で言えばローコンテクストであるというのがひとつの解となろう。
つまり、制作者自身を知らなくても、前知識がなくても、タイミング的にいつみても面白いと感じられる要素が含まれているコンテンツあたりとなろう。
他者の作成した文脈を利用することができず、自分で生み出した文脈のみで勝負するとか、誰もが知っている標準的な知識を文脈として利用するかといた手法が考えられる。

私個人としては、自主制作物が常にそういったローコンテクストになるように配慮する傾向にある。
その際特に腐心しているのは

  • 時間にとらわれない(3年以上経って見返しても意味が通じ、なおかつ面白いものであるように)
  • できるだけ人から切り離す(自分を見てもらうのではなく作品を見てもらう)

という部分である。
特に時間から切り離すのは大事で、一時の流行よりも、長い時間見てもらえる作品の方が本当の手応えとして自分の手の中に残る感じは得ている。
まあ要するに「人は死んでも作品は残る」というのが理想だよねといったところで。

THE INTERVIEWSを初めて知ったとき「あ、おもしろそうだ」と思ったのは、このローコンテクストなテキストを書くことにも使えそうだと思ったのだろう。
ただ単にSNS的なテキストサービスだったら、それは私の興味を惹くには至らなかったと思う。

しかし、THE INTERVIEWSには容易に使うとハイコンテクスト可してしまうという構造的問題がある。
それはそれで面白いから埋没してしまうのだけれども、それで良いのだろうか。
本当にローコンテクストな記事は書けないのだろうか。

時間軸的にはローコンテクストだけれども、ある程度回答者に結びついた適切な回答というのは後年に残るすばらしいネットワークテキストコンテンツ(=インタビュー記事)になりうる可能性を秘めている。
そういった後年に残せるすばらしい記事が読みたいのでインタビュー記事はローコンテクストであって欲しいと思っている。

とまあ、そういったようにコンテンツとして残るインタビューというのがTHE INTERVIEWSの本来の使い方なんではないかと考えている。
ハイコンテクストに溺れるとだんだんとチャットと変わらなくなってくるし、そうなってしまうとTwitterよりも負荷が高くて使いにくいので魅力は感じないことと思われる。

なので自分の回答記事はできるだけ単体で呼んでも意味の通じる娯楽性の高いものを書こうというチャレンジを続けている。自分のことを知らない人が見ても、数年後に見てもそれなりに面白いと思える呼んでもらえる記事作りとするためである。
そのためには関係ない事を書いて話題をねつ造する場合もあるし、関連で余計なうんちくを書き始めることもある。
それらひっくるめて適当に楽しんで頂けたらと思う。

というわけで私へのインタビューURL
http://theinterviews.jp/rerofumi/interview 「こんにゃく問答」
飽きるまでは有効。




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