中学技術科授業の思い出

Make: Blog に「物作りがなぜ大切か」というコラムの翻訳記事が載っていた。
この中では理論だけで実践を伴わない子供達とそういった社会を作っている全ての人たちへ警鐘を鳴らしている。
「たくさん失敗を重ねるべきだ」「学校の技術科の授業では、失敗すれば評価が下がります。これでは物作りを楽しめるはずがありません。失敗が怖いからです。」といった言葉はいくらかの苦みを伴って胸に染みてくる。

私が中学生の時にも技術科の授業はあった。女子は家庭科で裁縫や染め物をやり男子は技術科で木工をして椅子を作ったりしていた。
そんな技術科の授業の中にプリント基板のラジオキットをはんだ付けで作成するというものがあった。この頃はまだはんだ付けもメジャーな加工技術で、ゆえに全員必須でやらせるのも普通のことであったのだろう。
しかし、小学校の頃からはんだ付けを覚えラジオキットの作成を数こなしてきた私にとってはこの授業内容はいささか退屈なものであった。キット作成で言えばMZ-40K(80じゃないよ)を組み立ててからずいぶんたっていたし、この頃の電子工作はTTLやCMOSのICが主流になってきていたから、いまさら6石(4石だったかも)のラジオキットなんて簡単に思えるものであったからだ。
なのでちょっといたずら心が芽生えた。自分自身に対しタイムトライアルでどれだけ短時間作成ができるかを課してみたのだ。結果1週間に1時間、5回だか6回だかで終わる授業内容を1回の時間で終わらせ一発で完動もさせることができた。
その様に自分の腕前をひけらかして一人で悦に至っていたらなにが起きたか、技術科教員に怒られたのである。
これを1時間で組み上げたと言っても信じてもらえず、「家で組み立てて来やがったな」という理由で怒られた。
もちろんそんな事はしていないし、得意分野で腕をふるって怒られるとは思っていなかったので当時は相当ショックを受けた。(まあ得意なことをやったら不利になるなんてのは良くあることではあるのだけれども)
余った時間は級友の制作フォローに回り、トラブルで動かないものを原因追及したりアドバイスしたりとその技術科教員が行えないような活動をしてまわることで一応「家で組み立てて来た」疑惑はとけたとは思う。
そんなエピソードの他にもいくつか苦い思い出はあるのだけれども、今回は割愛。

通常5~6回で終わる制作を1回で終わらせたということは、経験があったにせよ他の生徒の5倍の作業パフォーマンスをたたき出した事になる。腕の良い人が普通の人の5~10倍の効率で作業するなんてのはエンジニア、特にプログラマを生業としていれば普通に目にする光景なんじゃないかと思われる。まあ、その10倍速で作業できる人が超人というのわけではなく、その分野では適材といったニュアンスなのだけれども。
しかし、学校教育という集団組織はこの事実をなかなか生かしてはくれない。
1.0の能力を持つ平均的な人材への教育を目指すとして、0.5とか0.7とかを1.0へ引き上げるために組織というのものは良く機能するのだが、逆に5.0も1.0に丸め込んでしまいかねない。

工業技術ですらそうなのだから、情報工学という名のコンピューター操作演習になれば普段から道具として使っている人とそうでない人の間には100倍以上の効率&速度差がついても不思議ではない。
そのとき100.0の位置にいる人間を正しく評価して扱うことができているのか、そもそも定義される1.0が正しい水準なのか、色々と疑問は尽きない。

ついでなので小学校の頃の話も。
そこそこの町の小学校はいくつかの学校が隣接しているので、このエリアまでの児童はこの小学校に行きますという住居による学校わけがあった。「校区」というやつである。そして、その校区の外、他の学校のエリアは「校区外」と呼ばれ学校や教師の管理責任範囲の関係から校区外へ父兄の同伴なしに遊びに行ってはならないという規則が存在していた。
私が小学生の頃、市の科学博物館が建設される。ちと遠いけれども自転車で行ける距離だったため、必死になって通って展示物に目を輝かせていた。子供向けに半年間何回でも出入り自由な「定期券」というのもあったのだが、お小遣いから捻出してその定期券を手にし、これからばんばん通うぜー!と盛り上がったりした。
だが、学校側と教師にしこたま怒られて以後通うことができなくなった。科学博物館が校区外にあったからである。なにがあっても、どのような目的であっても校区外に行ってはならぬと言われた。
今度は図書館に通い始めた。電気、電子工学に興味を持ち始めたもののそういった本は高いし学校の図書館には当然ないどころか、知識欲を満たせるような高度なモノがなかったからである。なので市の図書館へ赴いて、そういった本を貪るように読みあさっていたのである。
だが、その図書館も校区外だったため行ってはならぬと再びこってりと怒られた。
子供の頃のもっとも学習欲旺盛だった時期にそれを阻害され、組織的都合で理不尽に怒られるというおまけもついてきたこれらのエピソードは今でもちょっぴり根にもっている。




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3 Responses to “中学技術科授業の思い出”

  1. あたたん Says:

    同じではないですが、似たような体験は沢山しているので、共感しますよ。
    小学校だけでなく、自分が若い頃=年功序列、年取ってきたら=実力主義、とかいってる社会全体がそうですけどね。
    組織というのものの99%は悪とか、そういう発想も多分にありますけど~。(^^♪
    まあそういう体験も、技術の分野では体験できない、「一般世間には理不尽なことがあるという社会勉強=いかに技術の分野のほうが社会より良いかを示す証拠。」として解釈してますけどね。

  2. とおりすがりに Says:

    出る杭は打たれる。今の世の中、貴族気取って何もしないのが一番評価されるようですから、やな世の中ですねぇ(ノ∀`
    仕事も、スピードを上げれば上げるほど、仕事を呼び寄せて忙しくなるもんですしね。さらに、それがどうにもなる気配が無く、どうにか出来る気配も無いのもなんとも・・・

    それはさておき、昔の神奈川県では、中学の音楽やら美術、技術家庭等の評価点が公立高校受験時に倍になるという、【どうしてこうなった】なシステムだったのを思い出した。
    (受験時にはその辺の教科の試験が無いため、内申点で倍にするとかなんとか)
    主要教科より重視されてはいた。でも、だからこそ失敗を楽しむ余裕は、当然なかったろうなぁ。
    私はバカなので全力で楽しみましたがw

  3. rerofumi Says:

    不満に思う事に対しておまえは何か戦ったのか、と言われるとなにもしていないのでこの手の愚痴話はバツが悪いところではあります。
    個人の才で勝負せず、結局組織の中にいるわけだし。

    まあ、そういった組織云々を忘れたり離れたりしたところで「物作りの楽しさ」を満喫していきましょうというあたりで。

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