なぜスカウターに憧れるのか

漫画ドラゴンボールに出てきた「スカウター」。21世紀になった今も、あの機械に憧れを持っている人は多いのではないだろうか。
なぜスカウターに憧れるのかというと、あのヘッドマウントディスプレイとしての格好良さもさることながら「相手の攻撃力を数値化する」機械であるからだと考えている。

当然のことだが、人間には優劣のパラメータが数値でついているわけではない。
だが、人は認知欲、出世欲といった欲求を持っており、他よりも認められたいとか優れた存在でありたいといった事を大なり小なり欲している。そういった欲求を満たすために、他との優劣を付けたがる。
最もわかりやすいのは対一で対峙したときの勝負の結果だろうけれども、直接的な勝負では多人数になってくると処理しきれないため多くはなんらかの数値化をして比較をし、優劣を決めることとなる。
身体技能の優劣はわかりやすく比較もしやすいため、スポーツなどといった形で昔から優劣の判断がなされてきた。学問をおさめる分野では、試験等のツールを用いた数値化で優劣を決めたりしている。貨幣経済は文化的生活のために必要なものだが、資産の所有と貯蓄といったことを人となりのステータスとしてみるとこれも数値化による優劣判断となる。
かくして人は何でもかんでも数値化し、他と比較し優位に立とうと奔走するのである。

ネットワークが普及し個人レベルでの情報も多く飛び交う様になり、そのなんらかの強さの数値化も色々な手法で行える様になってきた。ブログランキングであったり、はてブ数であったり、マイミク数であったり、フォロワー数であったり、マイリスランキングであったり。
数値化された己を見て他より優位に立ちたいというのは欲求であるので、その欲を満たすことのできるような数値化を含んだサービスは成功の条件となるだろう。もっとも「成功」と言う言葉も何らかの条件に基づく優劣判断だが。

数値化する事で比較や競争をさせると盛り上がると思われがちだが、案外そうでもない。当然のことだが、下位にいる人間にとってはちっとも面白くない。ゲームのオンラインランキングで「あなたは183,839位です」とか言われても面白くはないし、じゃあがんばって1位を目指そうとも思わない。上位で盛り上がっている奴らには到底かなわないことがわかっているので、どうかしようもないのである。スポーツに照らし合わせて、ずぶの素人がプロスポーツ選手と本気で戦うとかに置き換えるとイメージできるだろうか。
また、優劣ゲームがエキサイトして数値化されたその数値を上げることだけに腐心しはじめるとまた色々と間違ったことになり始める。スターくれたら~しますだとか、ランキング工作とか。
数値化することで優劣が見えるのはよいのだが、ではどうしても上位に張り付いていないといけないものなのだろうか。自分に合った範囲での浮き沈みで欲求は満たせないものだろうか。
良い数値化サービスは、利用者各人の周辺にあった形でも楽しめる様な優劣化なのではないだろうか。

ネットサービスだけのお話だとは思っていない。文化活動の多くが数値化と優劣化に溢れている。
規模も小さくサイクルも早いネットサービス上での活動を眺める事で、もっと大きなものの歪みが見えてきたりはしないのだろうか。




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