Archive for the 'クリエーター' Category

おっさんホイホイはもっと評価されるべき

はてな村のニコマスクラスタは今日も賑わっているなあと眺めながらぼんやりと考えたこと。
なぜにニコマス動画は未だに作り続けられるのかといった事を考えると結構興味深くは無いだろうか。また、はてな村で盛り上がって明らかに視認できるほどのクラスタを構成しているあたりも特徴的である。
なんでだろうと考えていたら、案外ファン層の年齢が高いことが関係しているのではないかというところに至った。おっさんホイホイパワーである。

なんかごちゃごちゃ書くほどの事でもないので飛ばしぎみに。
おっさんホイホイ的要素を持つコンテンツというのが成功の鍵なんではないか。UGC(ユーザージェネレーテッドコンテンツ)の形成と成功はおっさんが握っていると提唱してみる。

1) おっさんホイホイでおっさんがコンテンツにはまる
2) おっさんの豊富な経験と積み上げられた技術力でUGCや記事を生み出す
3) 技術競争でUGC盛り上がる
4) おっさんの経済力でUGC製作のための材料売れる
5) 凄いコンテンツが投稿されているらしいとヤング見に来る
6) 俺も作ってみたいと思わせる
7) いろんな層がコンテンツの作成を始める

おおざっぱに書いたが、初音ミクや東方プロジェクトも似たような感じなんじゃないだろうか。今はヤングが盛り上げているけれども、スタート時の牽引とレベルの上昇においておっさん達が担っていたものは大きい。
ここで重要なのが、クラスタ形成の前段階で驚くほどの技術力とそこそこの資金が投入されること。この技術力の投入というのが今までUGCがもてはやされるなかであまり語られなかった様な気がする。
単に人が集まればコンテンツが湧いてくるだろうと思っている人は絶対に成功することはできない。

だから「若者向けコミュニティ」を吹聴するマーケティングはうさんくさいものを感じるのである。
いや、ヤングが中心でも良いのだ。おっさんが紛れて楽しむことができる余地を残しておいてくれれば。



工具が大好きということ

Make: Tokyo Meeting で聞いて最も印象に残っている言葉は

「男の子は工具が大好きなんだ」

という何気ない一言だったりする。

ソフトウェア系の女性が会場の熱気に当てられて Gainer を衝動買いしたらしく、それを手に「これでネギを振らせるにはどうすれば良いんですかっ!」と私らに質問してきた、という状況でのお話。
その質問に答えるべく6人くらいであれやこれやと説明していた時に出てきたのが「工具が大好き」という言葉。
これを聞いてその場に居る(工作大好きな)男性陣一同深く頷いた次第。

昔、文房具店というか画材店が大好きだった。
色んな画材を見て、手にして「ああ、これがあればアレが作れる、コレも作れるに違いない」と夢を広げるのだ。もちろん、それを買っても技術が伴わなかったりして思い通りに作れるわけではないのだけれども、どう難しいのかどういった道具があればより楽に作成できるのか見えてくるものだ。
もちろんそのように目を輝かせるのは画材だけでなく、工作道具や、コンピューター、ソフトウェア、すべてのツールに対してである。ある意味形から入っているのかもしれない。

とはいえ「コレがあればアレが作れる」という連鎖発想は割と重要で、逆を返せば「アレを作るにはコレが必要になる」といった思考もできるようになっていく物だ。実は何を創るかの「アレ」を見据えるのが最も難しく、それを据えたときにそこまでの過程を積み上げてスタートとゴールを結び付けるのが工具とその使い方、そして経験なのだろう。
不意に「アレ」が作りたいと思ったときに、十分な工具と材料が手元にあれば即座に作り始めて結果を出すことができる。ここで、工具をそろえておくことはその途中過程を万全な形で用意することに等しい。
だから工具に憧れるのだと思う。

そういった意味では、知識や経験も工具と同じで自分の中に揃えておくとイザというときに物を作るための道具になる。だから、色々なものを作って試してみたいという欲求は、ホームセンターで工具を眺めているときの気分と根は同じなのかもしれない。

〜〜〜〜〜
といっても、そういった工具にワクワクする心は「つくる」側の心理なのだろうと思う。
「つくる」側はそのような現象が全ての人にあるものと思ってやたら入門を勧めてみたり、楽しいよこっちおいでと勧誘してみたりするけれども、作ることよりも見ること消費することに楽しみを見いだす人も多いので無理に理論を引かぶせてもよろしくなかったりするのだよな。



初音ミクとドーナツ

ここ数日話題となり、激しい議論が応酬されている初音ミク周辺の問題である「デッドボールPの『ちょっとHな』楽曲削除問題」について。
この件については静観をするスタンスであったけれども、あまりにもおかしな方向に転がっているみたいなのでちょっとだけコメントしておきたくなった次第。駄文におつきあいくださいませ。

削除行動についてはクリプトン・フューチャー・メディアから一応の声明が出されているため、これ自体は疑問の余地は無いと思う。もっとも、どの動画の事かははぐらかして書かれているためすっきりしない部分もあるのだけれども。
私が問題視しているのは削除決定そのものではなく、それが一般視聴者による通報によって起こされたという事にある。ピアプロブログでの報告においては以下のように書かれている。

今回、公序良俗に反する歌詞を伴う作品がニコニコ動画に連続的に投稿されているとの通告を一般視聴者の方より受け取りました。

この文を読む前に状況としての背景を理解しておく必要がある。
デッドボールPは「ちょっとHな」シリーズで人気を博した。「中だし」だの「妊娠しないから」といった刺激的な歌詞をミクに歌わせたというのももちろん話題の理由なのだけれども、それ以上に楽曲としての出来の良さとエッチだけでないドラマを含めた詩の物語性も高い評価を受けている。
「既成事実」のラストで泣きながらお別れを言うミクには胸を締め付けられる思いをしたものだ。
でまあ、作者への評判が上がると共に強烈なファン層を形成していくことになるわけだ。その上級のファンをさして「信者」と呼ばれる。そして光が強いほど影が濃くなるがごとくに、セクシャルなネタが受け入れられず信者を目の敵にする反対勢力が目立ってくるのです。こちらは「アンチ」と呼ばれてますな。
何が言いたいかというと、今回の問題は「信者」VS「アンチ」の諍いの結果であるということですよ。ここ最近のデッドボールP周辺においてはその信者とアンチのコントラストが強すぎると思っていた。
そうしたアンチの行きすぎた行動の結果、クリプトン・フューチャー・メディアへの通告という形になったのだと考えている。(おそらくは執拗な)通告をうけた以上、クリプトンもニコニコ動画もついには動かざるを得なくなったのではないかと。

だから「使用許諾」や「公序良俗」といったワードを議論しても空転するだけで、前向きな物は生まれてこないのです。
これまで初音ミクという現象に対しては「旧来然としたメディア」が仮想敵として据えられており、ユーザーとファンがその外部の敵に向かって主張することで団結とモチベーションを得るという構図があった。今回は本来味方であるはずのファンが暴走・分裂する形で、内部そのものが敵となってしまったのです。
これは典型的なコミュニティー崩壊の兆しであり、コミュニティの大きさが限界に達して自重崩壊を始めているものと捕らえている。

それじゃ削除処置が適当だったかというと、やはりちょっと失敗していると思う。作者不明なわけでもないし、本人も指摘されれば自主的に削除する様な人物であったはずなのに勧告で済まさず権利者削除としてしまった。
これをちゃんとメールで指摘して自発的に削除してもらう形にしていれば「デPついに名誉の削除勧告w」と笑い話で済んでいたと思っている。そうではなく、権利を振りかざしての強制削除という恐怖政治的な処置をしてしまったことはこの後じわじわと影響が出てくるのではないだろうか。(この前から起きてはいるけれども)
まあ、ニコニコ動画もクリプトン・フューチャー・メディアも人手が足りずきゅうきゅうしている様に見えるから、一般視聴者からのメールにいちいち丁寧な対応をしてはいられないのだろうなあ。

そんな状況を上手いこと表現しているなあとおもったのが、斑石うにもさんのBlogタイトルである「初音ミクブームのドーナツ化現象」
なにやら周辺だけが盛り上がっていて、本来ニコニコとクリプトンにとって最大の財産であるはずのクリエーターが恵まれていないといった指摘。(指摘自体はazuki-glgさんの「ヒット曲の栄光に立ちはだかる初音ミクという名のサイレン」が元記事)
上記記事は初音ミクブームを作り出したクリエーター達に金銭収入が為されないといったお話なのでコミュニティ騒動とは違うのだけれども根底に流れている問題は同じものであると見ている。
真ん中不在でドーナツだけがぐるぐる回っている様ではそのうち溶けてバターになってしまいますよ、っと。

といっても悲観しているわけでもなく、みんなもうちょっと上手いこと対応するだけでまだまだ楽しくやっていけると信じている。



ジャンヌ・ダルクは捕らえられたのか

みくみくJASRAC【してやんよ】な話題。
経緯とかまとめとかは「初音ミクニュース」あたりのクリップを参照するのがよろしいかと。
実のところ、この事件(?)は当事者同士の言論が曖昧なところとか、周囲の危なっかしいほどに過剰な反応とかからどういった認識で居ればよいのか飲み込めないでいる。よくわからないが故の中立といった感じで静観しているといった状態。

でも眺めていると「許すまじ」派と「別に良いじゃない」派の温度差というか隔たりが凄い事に気がついてみる。そこに違和感を感じていたんだけれども、なるほどねというか。
「別に良いじゃないか」派は事象しか見ていないので今回の事件(?)に対しての的確なコメントしかできないんだ。「許すまじ」派が感情的にヒートしている理由は事象そのものとは別な所に論点がある。だからそれが見えていないとなぜあそこまで声高になるのかがわからないかもしれない。

何かというと、初音ミクは旧来メディアやJASRACといった権利者および権利者代行団体に対するアンチテーゼシンボルとして祭られて来ていたのだ。
これまでに「初音ミクとニコニコでCGMが花開く」という言葉がどれくらい記事の上に舞ったことか。まさに、メディアに対し戦いを挑む職人達のシンボルであり、旗を振り(歌をうたい)鼓舞するジャンヌ・ダルクであった。
その美しきシンボルが仮想敵であるJASRACに権利登録されてしまったのである。いままで御旗の元で歌ってきた歌が、仮想敵の権利で全て染まっていく。これまで信じて祭ってきた象徴が冷徹な権威に捕らわれると考えればどれくらい大きな事だったかというのは想像はできるかしらん。
# なんかそういうプロットでエロ漫画ができそうと思ってしまったのは秘密だ

お金を払いJASRAC経由で権利者、制作者に届くことは割とどうでも良い……と思ったけれども、現在該当楽曲が使われている動画の数が凄いから影響はあるか。
どちらかというと、ニコニコのJASRAC契約が怪しくない?(もう始まっているという話もあるけれども)
これって、私らががんばってオリジナル楽曲を作ってそれを盛り上げれば盛り上げるほど、ニコニコ市場で買い物をすればするほど、JASRACに支払われるお金が多くなるって事でもあるんじゃないの?
ほんじゃ、なんのためにオリジナルにこだわっているんだというところがちょっとだけ折れてしまいそうな気がしてみたり、そのお金は誰の所に届くんだという気がしてみなかったり。

ああ、そうそう、初音ミクでCGMすげーと目覚めた人は敢えてここで「伽藍とバザール」を読んでみるというのはどうだろう?いまここで読み返すというところに意味があるかもしれない。



『ピアプロ』とガイドライン

『鏡音リン・レン』もサプライズだったけれども、仕込み規模を考えればこっちも相当なサプライズだと思われるクリプトン・フューチャー・メディアの投稿サイト『PIAPRO(ピアプロ)』
今のところはボーカロイドに限られるけれども、絵と音楽の投稿サイトとなっている。
ニコニコとかぶっている様に見えるけれども、どっちかと言えばPIXIVの方とかぶっているんじゃないかなあ。
面白いなあと思うのは、これまで接点が薄かった音屋と絵描きがあのCVシリーズのパッケージ一つで同じ場所に集いお互いの作品を評価しているところ。確かに何かが生まれそうな予感(だけ)はするわな。
ニコニコは作品展示場(同人誌即売会場)で、ピアプロはその準備会場(制作の裏方)、といった風に使われていくと幸せなんじゃないだろうか。大量の視聴者がピアプロに来るというのはちょっとイメージできない。

『ピアプロ』が開設されて真っ先に見たもの、というか気になったものは利用規約であった。「聞いて!見て!使って!認めて!を実現するCGMエンジン」というお題目がちゃんと利用規約に描かれているのかなといったところ。
ちと読みにくいので最初誤認したところもあったのだけれども、まあ良くできているんじゃないかなあ。あまりにも「当社が権利を有する」という言が強くて面食らうのだけれども、よくよく読むと基本となるコンテンツは制作者が定義した利用範囲に則していて、それ以外の(つっこまれそうな)穴をできるだけ全部塞ぎたいからああいった規約になっているのだと理解した次第。

さて、もう一つというか今回最大の目玉。以前から用意しますと公約されていたクリプトンが有する版権キャラクターの二次利用に関するガイドラインが提示されたこと。ちとわかりにくいけれども、ピアプロの「ヘルプ」→「コンテンツに関するガイドライン」に在るよ。
ま、よーするに非営利であればキャラクターを絵画的二次創作利用しても良いというクリプトンのお墨付きが出たわけですよ。羽目を外しすぎなければ、じゃんじゃんやっても構わないとゆことですな。ロゴについては範囲かどうか今回わからない状態ですが。「初音ミク」という単語自体は登録商標だから、下手な使い方はできませんけどね。

で、個人的に最も大きかったのがそのガイドラインにおいて
「但しゲーム作品を含むプログラム、立体物、衣装を除く」
という但し書きが付いていたこと。ソフトウェアとフィギュアは駄目だそうです。しょんぼり。
とりあえず早急に、私が公開していた「初音ミク」関連のソフトウェアは全て
頒布停止しました。よろしくお願いします。
まあ、制限がかかるよということであり問答無用でやっちゃ駄目という事じゃないので、これらガイドラインに含まれなかった作品制作については権利者にお伺いを立てていきましょ。

ソフト屋とモデラーは各自で色々と考えてくれたまへ。
『ピアプロ』楽しそうだなーと弱音ハク。



アマチュアが撮るものはポートレートのみなのか

インプレスのAVwatchで連載している “Electric Zooma!” で Premiere Elements 4 のレビューを読んでいて色々と違和感を感じた。
おそらくはここで挙げられている新機能や改善点および使い方などについて、私の使い方、使う目的とはまったく異なるからなんだと思う。もちろん、私自身の事を庶民中の庶民、超一般層であるとか思ってはいないので私の方がヘンだということで片付けて貰っても構わない。

思えば Photoshop Elements も 3 からは大衆指向となり色々な機能が追加されていった。んが、それが非常に余計なお世話でありだんだんと使いにくくなってしまったので Photoshop は Elements を使うのをやめてしまった。
2 までは YMCK やベクターパスを必要としない人にはお手頃な Poormans Photoshop であったのでどう使うかは使う人次第で純粋に道具として存在していたと思う。3 以降は「写真整理」が中心と据えられてしまい、ゼロから絵を描く人のクリエイティブツールには向かなくなってきたのだよな。
初心者にとって便利なように「お膳立て」を行った結果「このような目的に使いやがれ」という、提供者側が想定したユースケースができあがっちゃっているのですよ。
自分の手で何かを作ることを目的としている私にとってそういった「想定」があるのは煩わしい以外の何ものでもないのです。純粋な道具を提供してくれよぅ、となると結局プロフェッショナルツールズになってしまうといった次第。

そういった「利用の想定」で最も多くて不快なのが、「自作ビデオは顔出しのファミリーポートレートである(しかない)」という奴ですな。これは国内の動画投稿サイトの大半に見られる臭いだと思う。
私もここしばらくは色々な動画を作って投稿してきたが、そういったライフスナップは一切存在していない。あくまで自分の腕で何かを作っている動画、もしくは作った結果の動画である。自主製作映画とか自作アニメなんかもホームビデオとは異なる存在である。
そういった意味で先の Premiere Elements 4 のレビュー内にあった

米国におけるYouTubeの受け止められ方は「Broadcast Yourself」のキャッチフレーズ通り、自分を放送するメディアとして捉えているようだ。このあたりは日本とはすでに温度差が違ってきている感じがする。

の部分に異を唱えたいところである。
その温度差をどう感じるかはニコニコ動画の信者であるかどうかで変わるんじゃないかと思っている。
正直、先に書いた様な自主製作コンテンツを掲載するにふさわしい動画投稿サイトはニコニコ動画以外に存在していないと思う。色々見て回ったが、他の所にはとても投稿する気になれなかった。そして、逆にニコニコ動画ほどファミリーポートレートを投稿するに向かない場所も無い。
ニコニコ動画は今やオタクリエイターが凌ぎを削る闘いの場なのだ。(例:初音ミク)

まあ、そんなところからはちょっと離れて別の話題に。
今し方ニコニコ動画を覗いたところ総投稿動画数は 475,396本であった。内容はさておいて、この47万本の動画は何を使って作ったと思う?
そう考えると、動画編集ソフトにとってもの凄い需要市場がここにはあるのではないだろうか。
実際利用者を眺めていると「ニコニコに投稿したいので動画編集ソフトを使ってみた」という超ビギナーがゴロゴロと存在している。そういった人達が何を使っているかというとWindowsXP添付の「Windows ムービーメーカー」である。なんせ、無料で使えるわけだからね。結構良くできたMADであってもムービーメーカーを使っているとかいう人がいたりして逆にびびったりもする。
先に書いたようにニコニコ動画はネタコロシアムでもあるので、動画編集無しの投稿などほとんど考えられない状況にある。「ねこ鍋」だって大盛り、特盛りとかテロップが入っていたしある程度編集されコンテンツとして完成していたからいっそうの人気を博した。
そういった点でムービーメーカーを作成し添付し続けていたマイクロソフトは評価されて良い。

今度はそれとは逆のお話。初音ミクインパクトである。
VOCALOID2 初音ミクはある意味話題になりすぎた。本来買わないような層まで買っちゃったのである。その結果どうなったかというと「音楽って何で作れば良いのですか」である。
DTM はセミプロ以上の世界でしか生き残っていなく、それ以下ではほとんど存在を忘れられかけていた。そもそもで、PCの大衆化において音楽はなぜかリスナーとそれ向けのプレイヤーばっかりが注目され、音楽を創るという行為がさっぱり語られてこなかったと思う。
Windows においてはあれだけ山ほどの添付ソフト(あれはOSじゃないアプリの塊だ)があるのに、音楽作成や編集となると WAV編集すらままならない状態である。
なにせ初音ミクが15000円であることを「1万円以上もするソフトなんて高すぎる!」とか言っているのが普通なご時世になってしまったのである。そんな層に 3万円以上もする DAW をほいほいと勧めるわけにもいかないよなあ。
そういった事を考えると Macintosh はすげえのである。GarageBand が標準で入っている。
思えば PodCast が流行ったときも「じゃあどうやって作るの」だったのだけれども、Macintosh においては GarageBand を使えば良いだけの話だったし、ちょっとしたメニューを追加して「PodCast対応にしました」とか言っちゃってた。
Windows にも GarageBand ほどのサウンドクリエイティブツールが付いていれば、今回の初音ミクインパクトに呼応できただろうし、良質な楽曲をもっと早いスパンで沢山生み出せたかもしれない。
そもそもで、ムービーを作る事ができてなんで音楽を作ることが置いてけぼりにされているんだろう。オリジナルコンテンツは全ての要素をまんべんなく創る必要があるというに。

CGMとかご大層な用語もあるけれども、現代は様々なメディアがユーザーの手の内にあって、ある日突然コンテンツ作成供給側に回りかねない状況にあると思う。
その、不意に作成供給したいと思った芽をつぶさず伸ばすように先行者は土壌を用意しておくべきではないだろうか。



踊る初音ミクを夢見て

poser_model_hatsune_miku_first

なんかもう、この二週間は「初音ミク」にどっぷりとかまけている毎日。というのも、ニコニコ動画を中心としてブレイクがどんどんふくらんでいるから目が離せないというあたりが理由。
入手したユーザーが楽曲を作ってじゃかすか投稿していたのが先々週の流れ。先週はそれを見ていた人達が、一斉に「初音ミク」というバーチャルアイドルに対してアクションを起こし始めた。早い話が、絵描きの大量参入である。
これによって初音ミクは本当のブームになったと言えよう。
前回書いたように、みんな何となくアイマスを通して見ているのでやはり最終的には踊る初音ミクが見てみたいのか、3DCG組も大量参入しており製作過程のビデオが結構な数投稿されていたりする。完成しているのは少なく、まだ決定版と言えるのが「ラクガキ王国」くらいしかないのだけれどもね。

そいった流れに乗っているつーわけじゃないのだけれども、ちと別方向から私も初音ミクのモデルを作っていたりする。上の画像はその成果(途中だけれども)。
とゆーても、3DCGフィギュアにあこがれつつも腕が今ひとつ足りなくて挫折すること数回という経歴を持っていたり。そこで、今回はPoser用モデルである「にあ☆みぃ」を素体として利用している。一番重要なところを出来合いでまかなう作戦。
そのほかのパーツは自分で作るのだけれども、それくらいはやりましょうということで。髪の毛とか服とか。幾度となく味わった挫折のおかげで小物の作成くらいはできるようになっているのよね。
Poser用モデルを自分で作るのって結構クセがあってずーっと七転八倒していた次第。ようやくここまでたどり着いたのだけれども、予定よりずっと時間がかかっているよう。(まだちょっと手を入れたいところがある)

はて、もうひとがんばり。

しかしまあ、ここまでブレイクしているというのもなんか信じられない感じではありますな。



無駄な才能とニコニコ動画

ニコニコ動画では良くできている動画を褒める形容として「才能の無駄遣い」という言葉がある。もちろん「才能の無駄遣い」というタグもあるので、最初に訪れたときはこのあたりから見て回ると出来の良い動画に巡り会うことができる。
この才能の無駄遣いという言葉が実にうまい具合にニコニコ動画というものを表しているものだと感心する次第。
意味としては「これを職にして稼げるぐらいの技量があるのに、ニコニコ動画なんぞに費やしてばっかじゃねーの」といった感じの褒め言葉となる。実際にプロやセミプロが力を駆使して行っているのではなく、たぶん本職は全く関係のない一般人がそれらを作っている。
だからこそ「才能の無駄遣い」という言葉がしっくりと来るのだ。

ひろゆき氏がascii.jpのインタビュー内でこの事についてコメントしている。
アマチュアで居たがる日本人と、それでも反応が欲しくてニコニコ動画に投稿する うp主の姿は何となくわかる気がする。
そういった事をふまえてニコニコ動画を見ると改めて、埋もれている才能のその多さに驚いてしまう。そして、そういった埋もれた才能を多く引きずり出したという点でニコニコ動画の役割は大きい。
もっとも、これはニコニコ動画だけでなく魔法のi-らんど等のユーザーコンテンツサイト全般にいえることでもある。

そういった埋もれた才能には埋もれているだけの理由がある。
一つは完全オリジナルの物を一本作り上げられるだけの技量が無いこと、二つめに完全オリジナルのものに対し面白がってくれる土壌がないこと、そして何より既存コンテンツを元にした二次創作の方が敷居が低い上にウケも良い事にある。
そこそこ腕の良い程度では、なかなか表舞台には立てない。
とはいえ、燻らせておくのはもったいないというのも事実であり、適度なバランスで作り手と受け手が盛り上がれていたのがこれまでのニコニコ動画であったと思う。

しかし、ここ一ヶ月で大分空気が変わってきた。
一番象徴的なのは、これまで野放しにされていたアニメの無断掲載を権利者が削除し始めたことである。もっとも、これについてはユーザー側でも幾分「そりゃそうだよな」ともやもやしながらも受け入れざるを得ないところがあり、その行為自体は問題ではない。
だが、それも進んでくると波風が立ち始める。
Youtubeも含めてこれまで黙認されてきた「涼宮ハルヒの憂鬱」TVシリーズ本編が権利者削除で消え始めたのである。それまで、権利者がうるさくない安パイであり、ネット上で野放しだったからこそこれほどまでの人気と売り上げに至ったと考えている利用者サイドは大いに面食らった。続いて「らき☆すた」も削除が始まり、これも「俺たちが盛り上げてやったのに」という反発を静かに伴った。
このとき、ちょっとミスをやらかした。涼宮ハルヒ関連を削除した際に、関連MADビデオ(二次創作物みたいなもの)も何本か削除してしまったのだ。この事に利用者は大いなる憤慨を募らせる事になる。
それ以降は派生物はあまり手をつけないで本編映像だけ消えているので、なんらかしらの影響はあったのだろう。

まあ、権利者削除自体はしょうがないところがあるので特にコメントも無いのだけれども、その事象自体はニコニコ動画に静かな変化をもたらす事になる。
無駄な才能が自重しはじめたのだ。
ネットワークは権利侵害しまくりの場と思われることも多いが、最近の若者はそういった権利者が権利を振り回す姿を良く見ている関係上、思った以上に著作権に敏感である。過剰反応しすぎているとも言えるかもしれない。
なので、ニコニコ動画でもTV番組の投稿や視聴は「悪いこと」と知りながらやっている向きの方が多い。(そうでないのも少数いるあたりが面倒くさいところなのだけれども)
そうなると、二次創作をするにせよ、なんらかの動画を作る際は「権利者削除が行われたコンテンツを避ける」という緩やかなバイアスがかかり始めるのである。どんなに面白くても東映版スパイダーマンのMADはもう出てこないだろう。
そうなるとどうなるかというと、ここ二週間は安全と思われているコンテンツの二次創作や、より安全でありつつ自分で作った感の大きい「歌ってみた」系ばっかりになっていくのである。組曲『ニコニコ動画』関連の歌ってみたや、エアーマンが倒せない替え歌を歌ってみた、魔理沙は大変な〜Rimix があふれているのはそういった関係だと思っている。

ここでまた一つ事件が起こる。
カラオケ板でアニソンを良く歌うダンディーボイスいさじ氏が自身の手で組曲『ニコニコ動画』を歌い投稿した。元々ニコニコで人気が高い氏だったので、猛烈な支持とそれに比例した数のアンチファンを発生させた。そして、その動画が「権利者削除」を食らってしまうはめになる。
確かに一般曲(JASRAC管理曲)も含まれているのであり得る事ではあったのだが、削除されているのがこれだけなのでいまいち真相がわからない。アンチの工作によるものだという話しもあるが、もしそうなら悪意をもった個人でどうにかすることができるということで大きな問題を孕んでいそうな気もする。
それよりも、私としては安パイだとみんなが信じていて、大勢が歌をつけた組曲『ニコニコ動画』も権利的にやばいというレッテルが付いてしまった事を見守りたい。コンテンツの権利ってなに、とみんなが大きな不信と停滞に陥るのではないだろうか。
さすがは「コンテンツ大国」。

さらに昨日、そういった権利者要求をくぐり抜け、見逃して貰っていた「らき☆すた」のオープニング動画が削除されるという事件が発生する。
これは権利者削除ではなく管理者削除であるのがよりいっそう面倒臭い。
これはここ1〜2週間、マイリスト登録数ランキングが不正操作されているらしいという事件に起因する。ランキングが存在すると、その数字を巡って憧れとやっかみが渦巻いてしまうのはしょうがないことなのだろうか。そういったランキングが操作されている、いない、実際に行える、陰謀だ、運営対処しろ、といった黒い物が渦巻き、ついにここ数日ではランキング上位の動画はかならず荒らしが発生するといった事態に発展してしまった。
あまりにも目に余る荒らし行為に、やむを得ずなのかひとまず削除して回避するという手にでた様なのである。
このへんも真相は不明なのだが、これまでに権利者削除と管理者削除が頻発しておりその理由が明かされないという理由から燻っていたものが一気に爆発しかけている。
削除方針に対する大いなる不信感である。

これらは現在進行形なのでどうなるかはわからないが、ニコニコ動画は大きく流れが変わっていく物だと考えている。
そして、そうした若干の居心地の悪さは「無駄な才能」を再び埋もれさせることになるのだろう。



つぶやき 11/16/1999

数年前、CD-ROMというメディアが普及しはじめたころ、人々はこれに
熱狂した。マルチメディアタイトルという言葉が飛び交い、クリック
すると絵が換わるだけの紙芝居が乱造された。
その中の一つに「漫画がCD-ROM」になるという触れ込みがあったらし
い。またはCD-ROMクリエイターから新しいタイプの漫画家が誕生する
というのだ。
まあ、ある意味そうかもしれないが、今読むと「なんじゃそら」って
感じではある。
んが、現在でもそれは失敗と言いきれるのだろうか?漫画と同じ形態
をコンピューターにもってきているのなら失敗と言いきっても暴言で
はないだろう。やはりメディアにはメディアなりの形という物が存在
するのだ。TVで漫画は表現できない代りにアニメになっていった様に。
では、コンピューターではなにか?どうやれば漫画的な娯楽となりう
るのか。断言する勇気はないがおそらくは「ゲーム」というメディア
であろう。特にデジタルノベルというメディアは、ゲームの範疇とし
ては少々貧弱だがデジタル漫画としては最高の形態だと思う。現在は
ノベルが中心で絵が添付的だがその比率を逆転させることは十分可能
である。なおかつ分岐という概念はどのメディアにない物で、これが
受け手にとって最大のメリットとなる。
そう言った意味で「ゲーム」をデジタル世界の「漫画」と捕らえてもっ
と作家が参加して貰いたいものである。現状ではコンピューターの知
識がないとできないことなのでなかなか難しいのだが、そういったイ
ンフラは整っていくだろうし整うべきである。HTMLの様に誰でも書け
るような時代が来れば…。
まあ、現状でもHTTP(WEB, HTML)でもって実現されている世界ではあ
るのだけれども。




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