ゲーム性ってなあに?

私が趣味で作っているゲーム(のような)物は、基本自分が遊びたいから作っているというところがある。当然、自分ではこういうのが遊びたいと思って作っているので、作った本人はかなり楽しんで遊んでいる。自己満足ではあるけれども、自分の作ったもので自分が楽しめるというのは、案外幸せなものなのである。幸せというか、やろうと思ってもなかなか難しいといった方が良いか。
まあ、TCGS シリーズは意図して70年代のレトロゲームを今の時代にプログラミングしているので、当時を知らない人にとっては何が面白いのかさっぱりわからないだろうと思うわけだ。だからウケが悪くても当然なのだけれども、それを透かして見えてくる物もあったりする。

ゲームにも色々世代があったりする。
大きくは古いゲームと新しいゲーム。細かくしようと思えばいくらでも出来るだろうけれども、さらに3〜5世代くらいには定義できるだろう。
今どきとあの頃の違いはなに?というのがここ最近の私の主題である。

今現在の段階では以下のような物ではないかと考えている

・旧世代のゲーム
提示された状況に対し、如何に素早くうまく対応できるかを競う。
判断力、アドリブ重視。

・今どきのゲーム
お手本があって、それを如何に正しくトレースできるかを競う。
技術力、トレーニング重視。

旧来のゲームはどこまで行けたかが主軸になっているけれども、最近のゲームは取り敢えず最後までいけるけれどもその道程が正しいかどうかが主軸といったところか。

学問におけるゲーム理論というと、多数存在する選択肢から最も有利な選択を数学的に行うものを指し、一言で言うと「ゲームは駆け引き」である。旧来のゲームを知っている人間はこの駆け引きを重要視し、駆け引きこそがゲームだと考えがちである。
具体的な例でいうと「音ゲーはゲームか」で、肯定できないとかいったあたり。

最も、お手本トレース型も昔から存在はしていたし、ハイスコアラーと呼ばれるゲームが上手い人たちは大抵パターンを作るのがうまく、そのパターンを忠実に再現できる人々だったりもする。
ただ、時代の流れによってゲーム自体がそういったパターントレース型に歩み寄ってきたというのはあるとは思うし。今どき、判断力メインのゲームは(パズルであっても)流行らない。

そういった、判断力・技術力が伴わない人にも楽しんで貰おうと「時間を対価」としてコンテンツを提供する物もあるが、これもどっちかというとパターントレース型か。もしくはまったく別の物として考えるべきか。
ノベルゲーは実はこれとも違うと考えていて、またじっくりと考えたいメディア。

〜〜〜
以下、書いているうちに違う話になってしまったので切り離し。

文化に対してジェネレーションがあるのは当然だと思う。わかりやすく言い換えれば、消費者の嗜好傾向ですな。
近代の本や音楽、そして映画は庶民の手に降りてきてから割と時間が経っているので、そういった文化的ジェネレーションの違いに対して個別に対応していくような構造が既にできている。「ジャンル」というタグ付けの事ですな。
かたや新しいメディアであるテレビとコンピューターゲームにおいてはまだまだ足りず、そういった各ジェネレーション個々への対応がなく十把一絡げに語られることが多い。
まあ、テレビは放送局のカラーと時間帯によってある程度のゾーニングがあったし、スカパーの様な多チャンネルサービスによって準備は出来ている。あとは消費者の意識次第なのではないかと見ている。
アニメも「=子供がみるもの」では無くなり、大人がみるもの、女性がみるもの、社会派、アダルトアニメと多岐にわたりコンテンツ自体は既にジャンル分けがされている。だが、コンテンツの外においてはまだまだゾーニングが甘く、どういったジャンルか、誰が見るべき物か、誰が見てはいけないかといった線引きが曖昧である。
ゾーニングについては否定的な意見もあるけれども、私はゾーニングによってコンテンツの内容と対象者が明確化し消費者にとっては有益であると考えている。

「キッズ向け」「家族みんなで」「シニア向け」「ポルノ」「残虐系」「女性向け」それぞれに分かれてそのジャンルの中で切磋琢磨することでより磨かれて鋭敏な物になっていくと思うのだけれどもなあ。
だからこそ、ゲーム売り場において「18禁コーナー」を明確に設置してだな、コンシューマーでのエロゲー流通化を今こそ。
あと、シニア向けといっても「囲碁」「将棋」「麻雀」ではないのだよ(麻雀の訴求力は確かに大きけれども)。一番の問題は、シナリオや描写が年代に合わせていない事ではないかと思う。
ラノベを読みあさっていると痛感するのだが、若い子にウケているものがどうにも口に合わない場面に出くわす。特に、青年期の悩みを主軸にしたようなもので、ある程度の齢を重ねてしまうとどうも青臭く感じてしまう。いや、全てがダメなんではなくてもちろん良作もあるのだけれども、視野や世界の狭さが中心だとどうにもダメみたい。
なので、今どきのゲームをシニア向けとして 50〜60 のオヤジがプレイしても通用するシナリオや文体となっているかどうか今ひとつ考えてみるというのはどうだろうか。




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One Response to “ゲーム性ってなあに?”

  1. takah Says:

    団塊世代に「ひぐらし」な西村京太郎や北方謙三を出せば売れるかというと、、、三国志が出たっきり

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