「かわいい少年」という二次元ファンタジー

朝日新聞の文化欄に「女装少年」の記事が載っていたとか。
もちろん、ここでの女装少年は漫画やアニメ、ゲームといった二次元(というか空想の物語)でのお話。
# まあ、そのわりに「プリンセス・プリンセスD」とかもあったけどなー

「少女少年」を読みならしていたり、ショタ漫画なんかも知っている身としてはなにをいまさら感があったりもするけど。
アニメの「はぴねす!」もなんか準にゃんを楽しむアニメになっている気がするし。そいや「はぴねす!りらっくす!」には準エンドがあると言うことを知って微妙に動揺する。もちろん性的な意味で。
話がそれた。
そういった女装少年といったジャンルは通過点であって、最近オタ系でエッジなムーブメントというのは二次元エロメディアにおける「かわいい少年」要素であるというのはここしばらく目に付いていたところ。
強調しておくけれども二次元でだからね。三次元でのちびっこはどうでもよい、というか犯罪です。
一般ジャンルでの「女装少年」と「ショタ」は別物になるんだけれども、エロジャンルになるとほとんど融合しているように見える。どちらもそれなりに歴史のあるジャンルなので、漫画におけるかわいい男の子という表現と、それを嬲る描写といった技術手法についてはかなりのレベルで確立していて、正直男の私が見てもぐっとくるものもたまにあったりする。
男か女かといった概念に縛られているのはちょいと考えが堅いのかもしれない。また、そういった概念の緩衝としてふたなりブームがあったのだろう。実際「ふたケット」は女装少年もジャンルとしてオッケーで思想的に融合していたし。

なんというか、エロメディアなんだけれどもそこに表現されているのはただひたすらに「かわいい」物であれば良く、それが設定上男の子だろうが女の子だろうがあまり関係なくごっちゃになるくらいの表現をしてもオッケーという感じか。
「かわいいものを性的快楽に溺れされる」というエロコンテンツの骨子があって、記号としてのかわいいものとして女装があったり、ちいさめであったりとか、おどおど属性であったりとか。
それは想像ゆえのファンタジアであり、その世界で遊ぶことができるだけ現実世界と空想快楽世界を乖離しきっているといえよう。区別どころか別物過ぎて遊離している気がするが。

「護くんに女神の祝福を!」などは「メガデレ」とかいって煽られているけれども、実際は絢子よりも護という可愛い男の子がみんなにちやほやされているのを楽しむ物語だと思っている。護というキャラクターが確立しているからこそ、絢子のめろめろ具合が楽しくなってくるのであることよ。
また、ハーレム系漫画においても女性キャラの特徴は薄くなってきており、成功するかどうかはむしろ男性キャラの方にどれだけ魅力があるかにかかってきている。
涼宮ハルヒはキョンなしには定位できない存在なのだ。
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