ゲームのプレイスタイルと個性

テレビ(CS110)のチャンネルを珍しくペケペケとブラウジングしていたら、ちょうどフジ721で「ゲームセンターCX」をやっていた。
今回の有野チャレンジは(結婚おめでとう記念で)「PS版ときめきメモリアル」であった。
うわなつかしーなー、と眺めていたら「あったあった」と相づちを打ちたくなる爆笑シーンの連続。
このころのギャルゲーというか「恋愛シミュレーション」は本当他人に見られたくない恥ずかしさがあるよなあ。無論、見る方は楽しくてしょうがないわけで。

最近のゲームはプレイヤーの個性が現れないから面白くないのではないかと思い始めている。
プレイスタイルの没個性というより、享受されるだけのコンテンツなので誰がやっている姿であっても同じになっているというか。
昔は仲間がプレイしている姿をやいのやいのと言いながら見ていて、交互プレイというのもあたりまえだった気がするのだが。

東方プロジェクトがシューティングという前時代的ゲームであるにもかかわらず、そのファンコミュニティが今どきかつ面白いのは、ファン同士がネットワークというものを道具にしているところにある。
リプレイデータの公開共有である。
リプレイデータはそんなに新しい概念ではないが、PC でネットワークが存在しているときそれを交換することができるようになった。ファンはそれら他人のリプレイデータをみてプレイスタイルを研究したり、上手いプレイに感心したりといった楽しみ方を見いだす。
もの凄く上手くなくてもリプレイデータをみせたりするところがポイントである。

つか、東方プロジェクトを引き合いに出さなくてもプレイヤーの個性がダイレクトに現れるゲームが存在する。オンラインゲームと言われる MMORPG のことだ。
ただ、MMORPG はチャットルームとしての色が強く、プレイヤーの個性やリテラシーがダイレクトに現れすぎるとも思っている。
そのへんうまい塩梅でかつ他人のプレイをみて楽しいものがこれから先生きのこるゲームであろうと考えてみたりする。
音ゲーとか対戦物とかはだいたいその枠組みで語れそうだ。
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